2012年12月27日木曜日

20121227_原発に関する自民党の動き

選挙前から自民党は、原発をある程度は維持し利用していくという考えを表明していたから、茂木経産相の以下のリンクにおける発言は、当然予想できたことである。

茂木経産相:「原発新増設せず」白紙 安全確認し再稼働

だが、私のように可能な限り早く原発ゼロを実現させたい「脱原発派」としては、このまま黙って自民党の政策を追認していくわけにはいかない。……とは言え、ただ「反対、はんた〜い」と言い続けても、世論は思う方向に動いてはくれない。

問題なのは、「原発推進派」と「脱原発派」のどちらが正しいか、ではない。個々人が何を重視するかによって、導き出す答えが異なるのは当たり前である。問題を単純化して言うなら、安全を重視すれば「脱原発」が正しいし、短期的な経済の安定や原発周辺の社会システム維持を重視すれば「原発推進」が正しい答えになる。

また近い将来、安全面、放射性廃棄物処理においても、多くの人が納得できるレベルの原発技術が開発できれば「原発推進」が正しい選択になる。反対により早く自然エネルギーによる発電システムが、発電量やコストで原発を凌駕(りょうが)すれば、「脱原発」が正しい選択になる。両方がほぼ同時期に実現すれば、共存ということになるだろう。

残念ながら現段階では、どちらが正しい選択かはわからない。

しかし、われわれは進むべき道を選ばなければならない。「そんなことは政治家や官僚に任せておけばいいじゃないか」という国民の無責任な行動が、あの福島第一原発事故を引き起こした要因の一つであることを忘れてはいけない。さまざまな情報を自分なりに収集し、考え、自分が正しいと思う答えをしっかりと持たなければいけない。

そしてそれを、できるだけ多くの人に伝えて味方につけなければいけない。それが民主主義のルールだ。

まずは来夏の参議院選挙に向けて、なぜ「脱原発」なのか、自分なりに発信を続けていこうと考えている。

20121224_白川郷のマイカー乗入れ規制

世界遺産で有名な白川郷がマイカーの乗入れ規制をはじめるらしい。

白川郷:観光客のマイカー乗り入れ規制へ 自治会が決定

車嫌いである私としては、全面的に支持したい。

むろん、車嫌いと言っても現代社会に生きている以上、まったく車を使わないというわけにもいかず、緊急時やどうしても必要なときには私も利用させてもらっている。だいたいバスなどの公共交通機関を含めて月に2回以下、年に20回ほどだろう。まぁ、あちこち出歩く者としては、少ない方だとは思う。

もちろん宅配便や郵便は利用するし、いろいろなところで買い物もするから、物流の面で少なからず車の恩恵にあずかっていることも承知している。

以前、高齢の父が夜中に具合が悪くなったときには、どうしようもなくて救急車のお世話になり、このときばかりは車という便利なものが存在していることに感謝した。

もう少し言えば、自分自身かなりの期間、仕事で車を利用していたし、マイカーを所有していたことさえある。

だが、どうしても車を好きになることはできなかった。

できるだけ車に乗らないようにしようと、意識してやりだしてからもう7年ほど経つが、ほとんど不都合はないので、当分の間、この車嫌いは続けていこうと思っている。

2012年12月15日土曜日

20121215_第46回総選挙前日所感

選挙のたびに思うのだが、その時どきの争点に関し、自分の考えとぴったり同じという政党や候補者はなかなか現れない。

もし、「どの争点も妥協できない、自分の意見をなんとか押し通したい」と考えているなら「お前が立候補しろよ」ということになるだろう。そこまでやる覚悟がないのなら、ある程度の線で妥協するしかない。

さすがに政治家になるつもりはさらさらないので、今回も、争点に優先順位をつけて各政党を採点したり、実際に当選した場合の実行力はどうか、などという点を判断材料にして、最も私の考えに近い政党、候補者を選ぶことにした。

優先順位の高い争点は、「経済政策」「原発・エネルギー問題」「行政改革」の3つである。

判断材料とする情報は、政党自らが出している公約・マニフェスト、マスメディア、インターネットなどから主に得たものだ。

民主党のマニフェストにも一応目は通したが、マニフェストとは正反対のことを行なったり、発言した言葉とは異なる行動を平気でとったり、野田党首が虚言癖があるように思えるなど信用できない部分をたっぷり見てきたので鵜呑みにすることは避けた。

他党の公約等についても、選挙対策として言ってるだけと思えるものは無視したり、自分なりの解釈に置き換えた。

そんな具合でじっくり検討した結果、公約としては「みんなの党」のものが最も共感できると感じた。

しかし、残念なことにみんなの党は、今回の選挙でも政治を動かせる勢力にはなれそうもない。党首の渡辺喜美が世論を動かすほどのカリスマ性を持ち合わせていないのだ。考え方がしっかりしているからある程度議席は増やすだろうが、今回もそこまでだ。よってみんなの党には来年の参議院選挙か、その次の総選挙の時に期待したいと思う。

共産党や社民党、新党日本、新党改革などはほんの数議席を維持できるかどうかというレベルなので、これも除外した。共産党や社民党などは、ここのところずっと国民に相手にされていない状態が続いている。選挙時にどんなに威勢のいいことを言っても、結局は何も実現できないのだからまるで存在価値がない。そろそろそのことに気づいてもらいたいものである。

マスメディア各社が行なっている事前調査では今回、自民党が圧勝しそうな勢いだという。

しかし、原発推進、公共投資ジャブジャブ、無制限金融緩和という自民党には到底政権はまかせられない。たぶん自民党と連立を組むであろう公明党は、安倍自民がまかり間違って暴走をはじめた際のブレーキ役が期待されるが、自民圧勝の際はあまり機能しないだろう。

日本未来の党はどう見てもその内実は、小沢新党である。脱原発に向けては頑張るだろうが、財源その他、政策の実行性には大きな疑問符をつけざるを得ない。

そんな風に考えていくと、結局残るのは日本維新の会である。暴走老人の石原慎太郎が代表である点は心配だが、公約(維新八策と骨太2013-2016)はみんなの党の次に説得力のある内容だった。

いまのところ当選者数も自民、民主の次を期待できそうである。

選挙後に自民党と協力して憲法改正や軍備増強に突っ走る一味になる危険性ははらんでいるが、原発や経済政策その他でいいブレーキ役を果す可能性もある。まぁそれは党内で石原と橋下のどちらがイニシアチブを握るかで決まることだろう。

ということで今回は、若い橋下に賭けてみようと思う。

ダメなら来年の参院選で民意をくだせばいい。

まぁ、実際は今回の選挙の結果、どのような勢力図になるか、そしてその結果を受けて政治がどのように動いていくかはまだわからない。有権者ができることは自分の思いを込めた1票を投じることだ。

投開票日前日の所感である。

2012年12月14日金曜日

20121214_極私的第46回総選挙資料

第46回総選挙の投票日が明後日にせまっている。

今回の選挙の争点など、記録に残しておきたかったので公約をまとめた私的な資料を作ってみた。タイトルにあるように極私的な資料なので、たまたま見てしまっても内容を信用しないようにしていただきたい。まぁ、個人ブログの内容を信じる人もいないだろうが、一応断っておく。

私自身の政治的な立ち位置は、いわゆる無党派層である。と言っても、友だちに頼まれたからとか、有名人だからとか、優しそうな顔をしているからという理由で一票を投じる人を選んだりはしない。その時どきの争点、公約を吟味して、よかれと思う候補者を選んでいる。だから過去自民党にも(ちょっと古いが)社会党にも一票を入れたことがある。

ちなみに郵政選挙のときは、郵便局のあきれた実態に憤っていたので自民党に入れた。政権交代選挙のときは、民主党は信用ならないと思っていたのでみんなの党に入れた。今回は……、まだ悩んでいる。

そういうわけで、以下のリンク先にあるような公約比較資料を作ってみた。何度も言うが、極私的な資料なので各政党自身が公開している公約とは微妙に異なる内容となっている。

特に民主党に関しては、政権運営の中で発言と行動が乖離(かいり)することが目立っていたこと、前回の公約をきちんと守る努力を怠った(特に消費税問題において守ろうと努力したが守れなかったというのではなく、守ろうという努力もしなかったというのが問題)ことなどから厳しい味方をしている。

争点としては、勝手に以下の10項目を上げた。
 1.経済政策
 2.原発・エネルギー問題
 3.社会保障問題
 4.TPP
 5.外交・安保・基地問題
 6.東日本大震災復興関連
 7.行政改革
 8.政治改革
 9.消費税増税
10.情報公開

1〜9までは、各政党のマニフェストなどでもほぼ取り上げられているので違和感はないと思うが、最後の「10.情報公開」というのに首をかしげる方もいるかもしれない。

だが、福島第一原発事故の発生から現在までの経緯を見ていて、つくづく感じたことがある。この国の統治システムがうまく機能しないのは意味のない秘匿主義がはびこっているからなのだ。原発事故による放射性物質の放出にしても、政府はパニックを恐れたのだろうが事実は隠された。たとえパニックの怖れがあったとしても、私は事実を速やかに公表すべきだったと考えている。事実を公表して避難誘導のために自衛隊や機動隊を頼っても、結果的には数名〜数十名がパニックが原因で亡くなったかもしれない。そうなったときは、政府はその責めを受ければいい。一国の政権を担うというのはそういうリスクも含めてのことなのだ。パニックを防ぐ、出来得るかぎりの手を打ってなお、防ぎきれずに犠牲者が出たとしたら、非難はするがここまでの憤りは感じないだろう(むろん自分の家族が犠牲になったら別だが)。だが、事実を伏せて政府が勝手な判断を下すことを私はどうしても許す気持ちになれない。一斉に非難しようとする群衆を恐れ、放射能を浴びながらしばらく留まるか、運を天に任せて群衆とともに非難するかは、自分で決めたいのだ。

そこまで大きな問題でなくても、我が国には政府や行政によって秘匿されている情報が山ほどある。それを情報公開すれば多くの問題が浮き彫りになり、解決のための手段を講じることができるようになるだろう。

個人的にそんな思いが強かったので争点の10番目として「情報公開」を入れたわけだ。

それともう一つ、今回総選挙に出ている政党は12党あるらしいが、取り上げるのはこれからの日本の政治に多少なりとも影響力を持つと思われる7党に絞った。

この表をじっくり眺め、政党に点数をつけたりしながら、明後日まで悩んで、これからの4年間を託す投票先を決定したいと思う。

第46回総選挙 公約比較表

2012年12月7日金曜日

20121207_野田内閣の実績(3)

野田内閣の政治手法を見ていくと、ある特徴的な手法が見えてくる。

「大飯原発再稼働」「オスプレイ」「放射性廃棄物中間貯蔵施設」「TPP」など、国民の理解を得にくい問題については、まず、できるだけ情報を出さないようにして問題を放置しておく。

むろん、形式だけのいい加減な会合くらいは定期的に開くが、政府の方針を国民に理解してもらおうという努力は一切しない。そんなことはどうでもいいことだからだ。いや、むしろ国民にきちんと理解してもらっては困るからと言った方が適切だろう。

その後、国民の反感が多少収まった頃合いを見計らって、「丁寧な議論を積み重ねた結果である」などと言いながら物事を強引に決定してしまう。実に不誠実極まりない手法である。

さらに必要であれば「責任を持って」などと取れもしない責任を平気で口走ったりもする。

あとはどんなに国民が反発しても、「丁寧な議論の結果である」「政府の責任で」などと言って逃げ切ってしまう。ここまで露骨にやると、まさに政治手法としては最低最悪の部類に入る禁じ手であると言わざるを得ない。

税と社会保障の一体改革関連法案にしても、国民不在の強引な手法で決められてしまった。もともと消費税の増税は既定の路線だった。多くの国民が近い将来、消費税率がアップすることはやむを得ないと考えていたことは各種世論調査で判明している(一応根拠として一つだけ報道ステーションの調査を上げておく)。

それを増税前の(無駄の削減などの)手順を省き、「待ったなし、待ったなし〔お前は相撲の行司かと何度も突っ込みたくなったが……(笑)〕」と、なんとかの一つ覚えのように唱え続けて強引に推し進めようとしたから多くの国民の反発を買ったわけだ。

その一方でIMFなどに大盤振る舞いをしているのだからあきれてモノも言えない。

政権末期には東日本大震災からの復興予算が、全く復興とは関係ない事業に使われていたという不祥事まで発覚した。

こうして考えてみると野田内閣は、重要政策においては何一つ成果を上げられず、国民の政治不信を最高レベルまで高めた、史上最悪レベルの内閣だったと評価するしかないだろう。

2012年12月6日木曜日

20121205_野田内閣の実績(2)

2011年12月16日、野田首相は「原子炉は冷温停止状態に達した。事故そのものは収束に至った」と宣言する。

東日本大震災:福島第1原発事故 「冷温停止状態」 首相「事故は収束」
東京新聞:作業員「政府ウソばかり」

上記の記事を見るとわかるが、何の根拠もなく、また福島には(いや、福島に限らず日本中で、だな)この福島第一原発事故のために苦しんでいる人が残されていることに何の配慮もせず、野田首相は「事故そのものは収束に至った」と宣言した。

当然のことだが、この発言は各方面から激しく批判されたが、そのような批判などどこ吹く風といった風情でついに撤回しないまま現在にいたっている。

その収束宣言からおよそ1年たった現在でも福島の現場は、事故の収束にはほど遠い状態にあると考えている人が大勢いる。そのことからも、あの野田首相の「冷温停止、事故収束」発言は、一国の首相としては看過しがたいほど軽率なものだったということがわかる。

ついでに原発関連の野田内閣の実績についていくつか触れておく。

原発関連で最も大きな野田内閣の決断と言えば「大飯原発の再稼働」だろう。むろん、異論はあるだろうが、私はそう捉えている。なぜならあの大飯原発の再稼働がなければ、原発稼働ゼロのまま夏を乗り切り、世論の流れは脱原発へと大きく傾いたと予想できるからだ。

今夏を節電努力などで乗り越えてきた我々は、事実として原発が1基も動いていなくても、猛暑の夏をなんとかかんとか乗り切れたことを知っている。

大飯原発を再稼働するときに野田首相はこんなことを言った。

「突発的な停電が起これば、命の危険にさらされる人も出ます仕事が成り立たなくなってしまう人もいます。働く場がなくなってしまう人もいます。」
むろん、大停電が起きれば多くの人が迷惑をこうむることは確かだ。医療の現場でもいろいろなトラブルが起きるだろう。しかし今年、電力不足ではなく台風や吹雪により日本各地で突発的に大規模な停電が起きたが、野田首相が言うようなことにはならなかった。

また、こんなことも言っている。
「夏場の短期的な電力需給の問題だけではありません。化石燃料への依存を増やして、電力価格が高騰すれば、ぎりぎりの経営を行っている小売店や中小企業そして、家庭にも影響が及びます。空洞化を加速して雇用の場が失われてしまいます。そのため夏場限定の再稼働では、国民の生活は守れません。」
これは大飯原発のみを再稼働すればそれで済む問題ではない。エネルギー政策全体の問題であって、たった2基の原発を動かしただけでは全く意味をなさない問題なのだ。野田首相はそれを大飯再稼働の問題に矮小(わいしょう)化し、持論に都合よく使ったというわけだ。

そして結局こう結論を出した。
「以上を申し上げた上で、私の考えを総括的に申し上げたいと思います。国民の生活を守るために大飯発電所3、4号機を再起動すべきというのが私の判断であります。」

ようするに野田首相は、日本中の原発がすべて停止するという状況を看過できない産業界、官僚、政治家の圧力に屈し、安全をないがしろにしたのだ。

その後のエネルギー政策(2030年代に原発ゼロを目指す)にも、原子力規制委員会の人員の決定にも、国民の意見はほとんど反映されていない。明らかに野田民主党が進めてきたのは原発推進の政策と言える。

つまり、野田内閣の原発関連の実績は原発推進に賛成する人には多いにあったが、脱原発に賛成する人にとっては負の実績しかないということになる。

2012年11月26日月曜日

20121126_野田政権の実績(1)

本人曰く、「決められる政治」を展開した野田政権は、実際にどの程度の実績を残したのか見ていこう。

もちろん、鳩山政権、菅政権同様、誰がやっても結果は同じというような細かい実績は無視して、重要な法案、政治事案、あるいは野田政権の特徴をよく現している出来事に勝手に限定させてもらう。

10月3日野田首相は、建設すべきではないという世論が高まっていた埼玉県朝霞市に建設中の国家公務員朝霞宿舎を視察、安住財務大臣に5年間の建設凍結を指示している。まぁ、これは多くの国民が、震災復興に力を入れて欲しいと考えている最中のことなので、野田政権の実績ととらえる向きもあるかもしれない。

だが、以下のリンクの記事を読むと、2009年11月の事業仕分けで「必要性に疑問が残る」として、いったん計画が凍結されたものを、当時(2010年12月)の財務大臣野田佳彦がどういうわけか凍結解除を認めたものらしい。

朝霞公務員宿舎 建設凍結で調整へ
朝霞宿舎「凍結」でも…すでに森はバッサリ、フェンスで目隠し

そういえばニュースで野田総理が朝霞市の工事現場を視察する映像を見た記憶があるのだが、「建設現場見に行ったって意味ないだろ、そんな暇があるならもっと復興に力を入れてくれ、もし見に行くんだったらもっと被災地に行ってくれ、福島第一原発に行ってくれ」と思ったことを覚えている。

まぁその後、国家公務員朝霞宿舎の建設は最終的には中止(2011年12月)になったので、鬱蒼(うっそう)と生い茂っていた森がすっかり伐採されてしまったことは残念だが、その結果自体についてはよかったと思っている。

2012年11月20日火曜日

20121120_野田政権の概略

野田内閣は2011年9月2日から2012年11月20日現在継続中の内閣である(すでに11月16日に衆議院を解散しているので、総選挙後継続するかどうかは不明である)。

政権獲得後の民主党3人目の代表となった野田佳彦だが、党首選下馬評はそれほど高くはなかった。が、街頭演説で鍛えてきた弁論のうまさが功を奏したのか、あれよあれよという間に代表の座を射止め、第95代内閣総理大臣に就任してしまう。

東日本大震災からの復興、福島第一原発事故への対応、エネルギー政策問題、経済の立て直し……等々、菅内閣がやり残した問題が山積している状態での引き継ぎだっただけに、一抹の不安は感じないでもなかったが、その実直そうな風貌、就任演説などから地味にコツコツと問題を片付けてくれるものと就任当初の期待は高かった。

しかし、震災復興、事故対策など、ほとんどの重要案件に国民から評価される結果を出すことができず、代わりに「社会保障と税の一体改革」を本人曰く「待ったなしの課題(←なんの根拠もなく、野田が言い続けていただけ)」と位置づけるなど、独断専行が目立つようになってくる。

当然のことながら国民の支持率は極端に低下、党内外からの批判も高まったが、頑なに解散も総辞職も拒否し続ける。しかし、2012年11月16日、ついに衆議院解散に追い込まれる。

結局、民主党政権は3人の総理大臣を送り出したが、いまのところ全員1年前後しかもたない短命政権だったという不名誉な結果に終わる可能性が高い。

2012年11月18日日曜日

20121118_菅政権の実績(3)

前回では菅政権の実績を2点ほど上げたが、今回は失政について触れておく。

前にも書いたが、菅直人は民主党内のゴタゴタを収めることができず、2011年3月11日まで目立った成果を何も上げられていなかったことも、大きな失政の一つだろう。

続く3月11日以降の菅政権の災害、事故対応はどうだっただろうか? 正直言ってお粗末なものだったと思う。だが、東日本大震災とそれに続く大津波、そして原発事故という一連の事態は、まさに非常事態であり誰にも予測できなかったことだ。

あまりにも備えが足りなかったために、なす術がなかったというのが本当のところだろう。たぶん首相が菅直人ではなく、ほかの誰かであったとしても数多くの失策を犯したであろうことは間違いない。

だからここでも細かいことには言及しない。ただ、重要と思われる以下の1点のみ上げておく。

まず、情報の秘匿について。もともと日本の官僚がこれほどまでにのさばっていられるのは、不都合な情報を簡単に隠すことができるからにほかならない。菅直人はその悪しき習慣を打ち破る千載一遇のチャンスを逸してしまった。

なぜ、非常時に放射性物質の拡散情報は明らかにされなかったのか。

おそらく、霞ヶ関のお役人たちに菅直人や閣僚はこんなことを言われたのだろう。

(この部分は想像に過ぎないが)「事実を発表すると、住民がパニックを起こして一斉に避難を始めるのでかえって危険です。死者やけが人が多数出る可能性もあります。そんなことになったら不用意に危険を煽ったとして、菅政権が厳しく責任を追求されることは間違いありません。今のところ放射性物質の拡散は、すぐに影響があらわれるレベルではないのでこれは伏せておきましょう」

という具合だ。

確かに非常事態宣言を出し、自衛隊などを出動させたとしても100万人単位の住民を安全に非難させるのは至難の技だ。多数の死者やけが人はでないかもしれないが、何人かの死亡者は出るだろう。だが、そのリスクを負うのが指導者の役目だ。

情報を秘匿は諸悪の根源だ。

菅直人政権は結局、東日本大震災と福島第一原発事故対応以外のことはほぼ何もできず、2011年8月30日に総辞職する。

2012年11月17日土曜日

20121117_菅政権の実績(2)

2011年3月11日以降の菅政権の実績は、すべて福島第一原発事故関連のものである。

むろんここでも特筆すべき点のみを取り上げる。

評価すべき点は、以下の2点である。

まず、東京電力の全面撤退を阻止したことが上げられる。まぁこれは、菅政権の実績というよりも、菅直人元首相個人のファインプレーだろう。
この件に関しては、東京電力は一部撤退と言っただけで全面撤退とは言っていないとする説もある。東京電力の言い分が正しいのか、菅直人の言い分が正しいのかは、以下のリンク先の新聞記事を読んでご判断願いたい。

最悪時は残留10人と「認識」 国会事故調で東電前社長

二つ目は、「電気事業者による再生可能エネルギー電気の調達に関する特別措置法」を成立させたことだろう。

もし、菅直人がこの法律を成立させていなければ、原発に変るエネルギー確保への取り組みは、今よりもはるかに立ち後れていたはずだ。この法律があったおかげで政治がもたもたしているにもかかわらず、再生可能エネルギー導入の動きはなんとか継続している。

2012年11月16日金曜日

20121115_菅政権の実績(1)

菅政権は「最小不幸社会の実現」を目指して誕生した。

しかし残念なことに(民主党代表選を経て誕生したにもかかわらず、それも短期間に2度も勝利したのに)民主党党内のゴタゴタを治めることができず、その対応に追われているうちに2011年3月11日を迎えてしまう。

東日本大震災前の実績を強いて上げれば、2011年9月7日に発生した「尖閣諸島中国漁船衝突事件」がある。

日本の巡視船に、中国籍の不審船が体当たりをしてきた事件である。日本側は中国人船長を逮捕したが、9月24日に突如釈放してしまう。表向きは那覇地方検察庁が独自に判断して釈放したことになっているが、そんなバカな話があるわけがない。当然、政権上層部の判断があったと見るべきである。

この措置は、国の内外に民主党政権が外交的には弱腰であるということを印象づけてしまう。

2012年11月15日木曜日

20121112_菅政権の概略

菅直人の内閣総理大臣在任期間は、2010年6月8日から2011年9月2日までである。

前任の鳩山由紀夫内閣と異なり、菅直人内閣は党の実力者小沢一郎との確執があり、最初から波乱含みの誕生だったと言える。が、ともかく小沢グループが推す樽床伸二との代表選に勝利し、菅直人は総理大臣に就任した。

しかし、就任直後の7月11日に投開票された第22回参議院議員通常選挙でいきなり大敗北(選挙前の54議席を44議席に減らし、参議院で与党は過半数割れとなる)を喫してしまう。おかげで菅内閣は、党の内外からその責任を問われ批判にさらされることとなる。

小沢グループなどは、まるで他党であるかのような風情で菅直人を批判していたが、よく考えるとおかしな話である。

くだんの参院選は政権誕生後、わずか1カ月余りで行なわれた選挙である。総理大臣であり民主党代表でもある菅直人は、その1カ月の間に大きな成果は上げていないが、むろん大きな失敗もおかしていないという状態だ。野党ならともかく同じ党の議員が、そのようなタイミングで行なわれた選挙の責任を、自党の代表である菅直人に押しつけようとするのはどう考えても無理がある。まぁ、形式上は党の代表が責任を問われることはしかたないことだが、それは他党が言うべきことで身内が言うことではない。

参院選敗北は、私の見立てではむしろ、失策を繰り返した前内閣の鳩山由紀夫と金権イメージを身にまとう鳩山(ここでも登場)、小沢らの責任の方が大きい。

続けて菅直人は、党の規定により9月にも民主党代表選を戦うことになる。この代表選には満を持して小沢一郎が出馬する。てっきり「小沢一郎は、背後で物事を操ろうとするタイプであり、総理大臣になって表舞台で活躍しようとはしないだろう」と私は考えていたのでこれは意外だった。

党内の最大派閥を率いる小沢グループと現職菅直人の争いは、接戦になると見られていたが、あにはからんや結果は菅直人の圧勝で終わる。

実は、この代表選で民主党の内部抗争は収まり、菅政権が実力を発揮するのではないかとほんの少しだけ期待した。

だが、秋から冬にかけての菅政権はほとんど何もできずに終わり、あの……3月11日を迎えてしまう。

2012年11月6日火曜日

20121106_鳩山内閣の実績(3)

鳩山由起夫内閣の実績として行政改革の一環である事業仕分け、普天間基地移設問題について見てきた。

だが、10カ月ほど続いた鳩山内閣の仕事として取り上げるべきものは、それ以外にはあまりない。もちろん彼とて遊んでいたわけではないから、細かな政府提出法案は国会でいくつも可決成立している。

しかし、それに言及してもあまり意味はないと思う。たいして大きなニュースにもならず国会で粛々と可決成立するような法案は、誰が総理大臣でも結果は同じところに落ち着く、そういうものだからだ。そのような基準で見ていくと「鳩山だから……」というような実績は、ほかにはほとんど見当たらないのだ。

結局、鳩山内閣は、組閣当初は政権交代の高揚感もあり大きな期待を集めたが、その実行力のなさ、見込み違いによる前言撤回、そんなことばかりが目立ち、急速に国民の支持を失っていく。

最終的には普天間基地移設問題が収拾不可能な状態に陥り、2010年6月8日、首相と民主党代表を辞任するに至る。

私はどちらかというと民主党嫌いであり、鳩山由紀夫も嫌いである。そのため知らず知らずのうちに公正を欠く見方をしているのではないかと思い、再度、ウィキペディアなどで鳩山内閣の実績をおさらいしてみたが、残念なことにやはりつけ加えるべきことは見つからなかった。

初の民主党内閣である鳩山内閣は、何ら実力を発揮することなく不発で終わったということである。

2012年11月2日金曜日

21021102_鳩山政権の実績(2)

民主党政権、特に鳩山由紀夫政権の実績を語る上で、普天間基地移設問題に触れないわけにはいかない。

私の考えでは2009年8月の総選挙で民主党が大勝したのは、別に民主党が評価されたわけではなく、自民党に嫌気がさして、試しに民主党に1回やらせてみようと考えた有権者が多かっただけである。

むろん私も自民党の一党支配ではダメだと考えていたが、いまひとつ民主党に肩入れする気にならなかったのは、実にいい加減なことばかりを言う鳩山、菅、小沢などの民主党の幹部たちを信じられなかったためだ。

その最たるものが普天間基地移設問題だった。

民主党は普天間基地の海外移設を目指すとし、最低でも(沖縄)県外と言って選挙戦を戦った。

もちろんそれが実現できれば素晴らしいことである。

だが、海外や県外への移設が、かなり困難なことであることは容易に想像できる。まず、海外移転は日本の国益から言ってもできないだろうし、沖縄県外に移設するとしたら、相当丁寧な根回しと準備が必要になるだろう。政治家と官僚によるゴリ押しがまかり通る問題ではない。かりに実現できたとしても一朝一夕に実行できることでもない。

それにもかかわらず鳩山氏は、自信たっぷりに「最低でも県外」と言い続けていた。そして2010年3月にはあの有名な「腹案がある」発言まで飛び出した。

結局、鳩山氏率いる民主党は実現可能な移設案など何も持ち合わせておらず、自民党時代と同じ辺野古案に戻ってしまう。一旦希望を持たせておいて、あっという間にそれをぶち壊されたのだ。沖縄県民が怒り、いま、かたくなに県外移設にこだわるのも当然という気がする。

自民党時代になんとか辺野古で決着しかかっていた移設問題を、どうにもならないほど混乱させてしまったのは鳩山政権と認定していいだろう。

2012年11月1日木曜日

20121101_鳩山政権の実績(1)

正直言って、鳩山由起夫内閣の出だしは非常によかった。鳩山首相の口からは行政改革、減税、子育て支援、普天間基地の移設(海外あるいは沖縄県外)など、威勢のいい言葉が次々と出ていた。

民主党の悲願であった自民党からの政権奪取がかなったのだから、気合いが入るのも当然だろう。民主党政権に対し懐疑的だった私も、「よし、やってやるぞ」という鳩山首相のやる気満々の顔を見て、「おやっ、少しは活躍してくれるのかな」と一瞬思ってしまったくらいである。

実際、平成22年度予算を削減するために行なわれた事業仕分けは、政治パフォーマンスとしてはなかなか面白かった。蓮舫議員や枝野議員が、次々と官僚たちをやり込める姿は庶民の目には気持ちよく映った。しかしその一方で、行政刷新会議(議員)側のやや乱暴な論理展開に違和感を感じないでもなかった。

だが、何よりも問題なのは、あれほど派手なパフォーマンスを展開した割には、実際の予算削減はそれほど大きなものではなかったということだ。

削減額9692億円。当然鳩山氏や民主党寄りの人は、この数字を大成果と評するだろうが、平成22年度の国家予算は92兆2992億円、平成21年度予算を3兆7512億円も上回っている。

むろん、「2兆円の景気対策を行なったのだからしかたがない」というような言い訳はあるだろうが、景気は一向に上向いていないのだから、その景気対策も無駄遣いだったわけだ。

そして後からわかるのだが、事業仕分けで中止になった事業がひそかに復活したりしている。つまり、鳩山由起夫内閣の行政改革は完全なる失敗に終わったということだ。

2012年10月31日水曜日

20121031_鳩山政権の概略

2009年8月30日に執行された第45回衆議院議員総選挙において民主党が圧勝。衆議院議員・民主党代表の鳩山由紀夫が第93代内閣総理大臣に任命され、鳩山政権が発足した。

鳩山政権は、2009年9月16日から2010年6月8日まで続いたが、在任期間は266日間で、戦後8番目の短命内閣である。

非自民勢力による政権の誕生は、1994年の羽田内閣以来15年ぶりだった。

発足直後は日本経済新聞などの世論調査では75%の支持率となり、政権交代、2大政党によるいままでとは異なる政治の実現に、国民の期待が集まっていたことが伺える。

当時の状況を思い起こしてみると、確かに自民党による政治には多くの国民が嫌気をさしていた感がある。私自身も自民党はもうダメだなと考えていたが、とは言え烏合の衆に過ぎない民主党を支持する気にもなれず、総選挙ではみんなの党に投票したことを記憶している。

選挙結果を見て、民主党の勝ちっぷりが予想以上の圧勝だったことに驚きはしたが、どんな政治をやってくれるのかお手並み拝見、と、そんな気持ちだった。

まぁ、世の中というものは、想像だにしていないことが起こるものである。

2012年10月2日火曜日

20121002_第3次野田内閣発足

昨日(2012年10月1日)、大惨事野田内閣が発足した。

ん、「だいさんじ」と入力したら「大惨事」と変換されてしまった。別に間違いではないような気もするが、一応訂正しておく。

第3次野田内閣が発足した。

第3次野田内閣の顔ぶれ

閣僚の顔ぶれを見ればわかるが、どうやら野田首相は本気で国政を担う気持ちはまったくないらしい。党の要職と重要閣僚を身内で固め、もうしばらくの間、権力の座にしがみついて、なんとか老後に自慢できるような手柄をたてたいと思っている……。まぁそんな感じだろう。

これからしばらくの間、重要な問題はそっちのけで、民主党と自民党は解散の時期を巡ってくだらぬ駆け引きを繰り広げることになる。

そしてすべての問題が、官僚によって身勝手な手順で進められ、決定されていく。

やはり大惨事野田内閣と称したほうが適切な気がしてきた。

日本も世界も、社会システムを根底から見直し、構築しなおす時期に来ているのだと、最近つくづく思う。

2012年10月1日月曜日

20121001_オスプレイ普天間へ……。

とうとうオスプレイが普天間基地に配備されてしまった。

この問題でも野田政権は、誰もが納得する説明をせず、自分勝手な論理を展開し、自分たちとその支援者だけで納得して強行突破した。

日米政府、オスプレイの運用で合意 - WSJ日本版 -
オスプレイ:6機普天間へ…2機着陸 沖縄知事「遺憾」- 毎日jp

野田政権の愚行はこの先、どこまで続くのであろうか。

沖縄に行ったこともないし、友人も親戚もいないが、沖縄県民の怒りはよくわかる。

このような愚行を阻止する手立てが、現時点では何もないことに、ただ、ただ、驚くばかりである。

2012年9月30日日曜日

20120930_尖閣諸島防衛のための日本の戦略が見えない

中国はなんとしても尖閣諸島を自国領土にしたいと考えている。まぁ、資源や漁業のことを考えれば、隙あらば領土はぶんどるというのは当然の行動と言えるだろう。

現時点では実効支配しており、圧倒的に有利な立場に立つ日本だが、ここのところの政府の対応を見ていると「尖閣諸島が日本の領土であることは明々白々、領土問題は存在しない」というバカの一つ覚えのような主張を繰り返しているだけである。

わざわざ首相が国連総会に出席し、領土問題に関する演説をしても、やはりバカの一つ覚えを繰り返しただけだった。

それに比べて相手の中国は、不利な自国の立場を挽回するためにありとあらゆる手を打ってきている。

9月28日付の米紙ニューヨーク・タイムズとワシントン・ポストには見開きで中国の主張を伝える意見広告が出たらしい。

「尖閣、日本が強奪」と全面広告=中国紙が米有力紙に掲載

広告主は中国の英字新聞社らしいが、中国政府が関係していることは間違いないだろう。

日本を名指しで批判した国連での中国外相の演説にしても、今回の意見広告にしても、中国の動きには「何としても尖閣を取るぞ」という戦略と意気込みを感じる。

対する日本の動きには、何の戦略も、熱意も感じない。

そんなことで日本は尖閣諸島を守れるのだろうか。

2012年9月17日月曜日

20120915_格差 —— 領土 —— 宗教、世界で不満が爆発している

中国で起きている暴動が治まらない。

中国の暴動は尖閣諸島を巡るものであり、怒りの矛先は日本に向けられている。

映像で見る限り、恐ろしいほどの怒りがほとばしっている。

だが、いったい彼らは、あのような暴動を通して何をどうしようというのだろうか。

歴史に学ぶと、民衆の暴力が自国の政権を倒し、より民主的な国家を樹立したケースは数多く見られる。しかし、民衆の暴力が国際間の問題を解決し、好結果を残した(近年の)ケースを私は思い起こすことができない。

怒り——暴動——戦争という流れでは、国際間の問題はもはや何も解決しないのだ。

はっきりと映像に残される暴動の映像から伝わってくるのは、愚かさと醜さ、ただそれだけしかない。

いま世界では、格差、領土、宗教に関連する諸問題で暴動が頻発している。

民衆は自分たち民衆の力が想像以上に強大だということを知らなくてはいけない。

民衆が政府を戦争に導くことさえあるのだから……。

2012年9月15日土曜日

20120915_老婦人が撮影スタジオに殺到しているらしい

今朝のNHKニュースで見たのだが、60歳代、70歳代の老婦人が写真館に殺到しているらしい。

人気なのは、老婦人を美しくメイクアップ&ドレスアップし、さらにライティングでシワを飛ばして、若々しく撮影するサービスである。

確かに思わず眼を疑うほど素晴らしい仕上がりになる。

だが、ゴテゴテに厚化粧して、撮影のためだけの衣装をまとっての撮影である。普段の本人とは似ても似つかない姿の写真だ。

まぁ、ネタにはなるだろう。

だが、本来なら人間の深みを感じさせる年代の行動としては残念な気がした。

本格的な高齢化社会を迎え、いろいろなところで老人の姿を見ていて、なぜか違和感を感じることが多い。

やがて私も老人になる。

どのような老人になるか、ということもそろそろ考えに入れておくことにしよう。

2012年8月17日金曜日

20120817_ギリシャから学ぶ教訓

ユーロ危機の引き金となったギリシャの話題がここのところ聞こえてこないので、ひとまず落着いているのかと思ったらそうでもないらしい。

NHKニュースでチラッと見ただけなので正確性に欠けるかもしれないが、観光立国であるギリシャで600件ものホテルなど宿泊施設が閉鎖しているということだ(残念ながらネットで探してもヒットしないのでソースは提示できない)。

まぁ、そのこと自体は想定の範囲内と言える。

確かにギリシャ危機は長年の失政のツケが一気に吹き出したことが大きな要因だろう。しかし、ギリシャ国民が緊縮策を批判してデモや暴動を繰り返している様を見て、ギリシャ政府だけでなく、ギリシャ全体に不信感を抱いたという人は多かったはずだ。そんなギリシャにいま観光に行こうと積極的に思う人は間違いなく少ない。

そのうえ今夏は、ロンドンでオリンピックも行なわれていた。

ヨーロッパ周辺の金持ち連中が、緊縮策にふてくされてサービスが低下してそうなギリシャより、4年に1度のスポーツの祭典を見に行きたいと思うのは当然のことだ。

ニュースではホテルの経営者が、相変わらず国の無策に文句を言っていた。

だが、いまギリシャ国民がやるべきことは、国をあてにすることではない。主要産業である観光業者は、手を組んで徹底的なPRを展開すべきだ。

正直に、
「国が危機に瀕している。自分たちが一生懸命サービスに努めるからぜひギリシャに来て欲しい」
そう、訴えるべきなのだ。

そうすればやがて観光客も戻ってくる。

ほかの産業も息を吹き返す。

政治家や官僚に、恨み、つらみを言いながら、それでも頼ろうとしていてはダメだ。

と、呑気にギリシャのことを眺めている場合ではない。
日本もそろそろ政治家や官僚は見限って、自らの力で困難な局面を打破すべき時かもしれない。

20120817_尖閣諸島不法上陸を見て思う抗議行動作法について

日本が抱えている領土問題は3つある。

北方領土、竹島、尖閣諸島(北千島や南樺太は含めていない)である。
ここのところ日本の政権基盤がしっかりせず、諸外国から好機と見られているためか、3カ所すべてで相手方から日本が攻勢を受けている。

その実態は以下の通りである。

ロシア首相 国後島で強硬姿勢

竹島問題、韓国に共同提訴呼びかけへ

“尖閣”不法上陸に事なかれの野田政権…禍根残す可能性

日本はそれなりに対応しているように見えるが、実はなす術もなく見守っているようなものだ。

しかし、これら領土問題は一朝一夕に解決する問題ではないので、首相や外務大臣が余計なことを言わなければ、それほど大きな影響はないだろう。だからできるだけ彼らには黙っていて欲しい。野田首相は間違っても退陣の花道を飾るためにプーチン大統領と会って、領土問題について話し合おうなどと考えてはいけない。彼では完全に役不足だと私は思っている。

さて、ここからが本題だが、昨日、中国や台湾の活動家が尖閣諸島にやって来て領有権を主張した。そのニュース映像を見て強く感じたことがある。

中国国内はともかく、国際社会ではあのやり方は通用しないだろう。海賊のような風体の男たちが、険しい顔をして、連行されながら尖閣諸島は中国の領土だと怒鳴り声を上げる。

あのようなパフォーマンスをしているかぎり、国際社会では支持を得られないだろう。

怒りを完全にあらわにするというのは、本当に人の顔を醜くしてしまう。どんなに正しいことを主張していたとしても、怒りの表情からは理性を失った愚か者という印象しか伝わってこないのだ。

相手を威嚇するのではなく、何かを訴えかけたり、交渉したりしたいなら、怒りは常に押し殺さなければいけない。

怒りは時として、大きなエネルギー源になるのだが、それはできるだけ表に出さず(ときどきちらっと見せる程度で)内に秘めておくべきものなのだ。

2012年8月16日木曜日

20120816_NHKスペシャル「終戦 なぜ早く決められなかったのか」を見て思ったこと

昨日、NHKスペシャル「終戦 なぜ早く決められなかったのか」という番組を見た。

NHKスペシャル「終戦 なぜ早く決められなかったのか」

番組の検証によれば、1945年8月15日より以前に、終戦という決断をするチャンスが幾度となくあったようだ。

しかし、残念なことに陸軍、海軍、外務省など、決定権を持つ高官がそれぞれの立場で持つ情報を共有できず、さらに自己保身、組織防衛、偏見、先入観、錯誤などの負の要因を乗り越えられず、結局、適切な判断を、適切な時期に導きだすことができなかったということらしい。

結果的に終戦は、広島、長崎への原爆の投下、ソ連の参戦後になり、被害はとてつもなく拡大した。番組タイトル通り「終戦 なぜ早く決められなかったのか」と当時の高官を糾弾したいところだが、番組が先に進むにつれて、別なところへ思いが飛んでいった。

「終戦」とは比べものにならないほど小さなことだが、職を賭(と)した問題(個人的問題としては十分大問題と言えるかもしれないが、私にとっては自分の信念を曲げるほど重大なことではなかった)で信じられない経験をしたことがあるのだ。

かなり以前になる。小さな会社でそこそこのポジションにいた私は、とある問題でオーナー経営者と対立した。私の考えが正しいことは明白だった。事実、オーナーを囲む取り巻き連中でさえ私の意見に賛成していた。しかも問題が取り扱いを間違えれば、会社が傾きかねないほどの重要なことだったので、オーナーの暴走を見過ごすことはできなかった。

ところが、問題をどう扱うか決定する会議において、直前まで賛意を表明していたものまで含め、全員がオーナー側についた。つまり会社の経営陣がのきなみ、会社の存亡ではなく、オーナー経営者におもねることを選んだのだ。

どうやら人間というのは、そういう習性を持つ生き物のようである。

まず最優先されるのは「何が正しいか」ではなく「自分にとって何が正しいか」なのだ。正しい行動をとって会社の危機を救っても、そこに自分がいなければ意味はないということだ。

昨日「終戦 なぜ早く決められなかったのか」を見て、一個人の職業の問題ではなく、国の存亡、数十万という人の命に関わる局面においても、同じような考えがまかり通ると感じ驚いた。

そしてもう一つ。正しいことを言っても、必ずしもそれが役立つわけではないということも感じた。御前会議のときにソ連参戦の可能性があることを、軍部代表が進言したとしたらどうなっていたであろうか。むろん急速に終戦へと事態は進んだかもしれないが、進言した者が他の人から集中攻撃を受けて、権力の座から追放されただけかもしれない(オーナー経営者を敵に回した私がそうだった。まぁ、私の場合はそうなる前に自分からとっとと辞めてしまったのだが)。

まぁ、いまとなってはそこまで検証することは不可能である。

結果がどっちだとしても、自己保身や何やらのために平気で真実を曲げる輩は最低だが、バカ正直に正面突破をはかって玉砕する者も利口とは言えないといまは考えている。

重要な局面では、目的を達成するための柔軟な心と戦略を持つものが必要なのだろう。

そして、そんな人は滅多にいない。

2012年8月15日水曜日

20120815_終戦記念日に思うこと

一年に二度、平素と違う心持ちになる日がある。

正月と終戦記念日。

正月には、新たな希望、自分自身や人間が持つ無限の可能性を感じる。

終戦記念日には、人間の愚かさ、醜さと自分自身の無力を痛感する。

どちらも私にとっては大切な日である。

【追記】
わたしは、戦後生まれ、戦争の実体験は全くない。

2012年8月14日火曜日

20120814_じわじわと広がる脱原発の意志

福島第一原発事故の後、それでも原発は必要だという意見がの多さに正直言って驚いた。

冷静に原発維持派や原発推進派の話を聞けば、電力の安定供給、コスト、エネルギー安全保障など、彼らが心配する気持ちも多少はわかる。

が、どれも絶対的な理由にはなり得ないことを考えれば、最終的には脱原発を可能な限り早期に実現するというところに国民の意志は落着くと見ていた。

事実、菅内閣はその方向に動いていた。

ところが、野田内閣はおそらく官僚と産業界の意向を受けてのことだと思うが、原発の維持・推進へと舵を切ってしまった。

政権にあるものが、
「口ではうまいことを言いながら事を強引に進めてしまえば、原発の今後を維持・推進に持っていくことなんか簡単だ」
と、高をくくっていたのだろう。

大飯原発の再稼働を決定したあたりでは、
「しめしめ、やっぱり権力を持ったものが物事は決められるんだ」
そう言わんばかりの得意げな宰相の顔がテレビに大映しになった。

だが、そんなことがうまくいくはずがない。

ここに来て潮目が変わりつつある。

まず、春頃から続いていた首相官邸前の反原発デモが異例の盛り上がりを見せ、首相も無視することができなくなった。

首相、脱原発の代表と面会へ 抗議拡大で焦り

続いて全国各地で行なわれた意見聴取会や討論型世論調査では、脱原発派が他の意見を圧倒した。

討論型世論調査 「原発ゼロ」へ変わる意見

さらに8月12日に閉め切られたパブリックコメントに8万件を超す意見が集まった。まだ集計が済んでいないが、締め切り間際の駆け込みが多かったことから、脱原発の意見が多いと見られている。

原発意見公募に8万件超 比率3選択肢、専門家会合で検証へ (1/2ページ)
原発意見公募に8万件超 比率3選択肢、専門家会合で検証へ (2/2ページ) 

そして静岡では、中部電力浜岡原発(御前崎市)の再稼働の是非を問う住民投票条例の制定を目指して市民団体が出した署名について、県選挙管理委員会が13日、16万5127人分の署名が有効だったと発表している。

有効署名数は16万5千人超/原発住民投票

明らかにいま、世の中の動きは脱原発に向かっている。

官僚、産業界に巣食う原発維持・推進派の連中は、慌てて政界工作に奔走していることだろう。

お盆休み明け、野田政権がどんな手を打ってくるのか注視しておきたい。

【追記1(20120814)】

NHKニュースを見ていたらこんな世論調査結果のニュースをやっていた。

原発依存“15%程度”が最多

無作為抽出の世論調査だと、やはり真ん中を選択する人がまだ多いようだ。脱原発を望むなら、やはりまだまだ頑張らないと目的達成はおぼつかないようだ。

少し風向きがよくなっただけで、浮かれていてはいけないということだな……。


2012年8月13日月曜日

20120813_ありがたい、ようやく解散総選挙が見えてきた。

ようやく解散総選挙が見えてきた。

今国会中(会期9月8日まで)か、10月解散説が有望であるとの報道が大勢を占めている。

野田政権が発足したのが、昨年9月2日であることを考えると、それ以前の解散はないだろう。自信過剰気味の野田氏が自らの政権が1年も持たずに崩壊することを絶対に容認するはずがないからである(本来は3カ月ほどで崩壊していた方が日本のためにはなったと思う)。

さらに、いま解散すれば総選挙で民主党が惨敗することは必至である。民主党執行部とすれば、できるだけ解散時期を遅くして自党に有利な局面が出てくるのを待ちたいはずである。所属議員の反発もかなり激しいものになるはずだ。

となると、解散は10月と考えるのが妥当だろう。

10月まで待てば、史上最悪の政権がいなくなる。ありがたいことである。

とは言っても、野田政権がいなくなればすべてうまくいくというものでもないことは確かだ。甘い幻想を抱いてはいけない。その後もしばらくは日本の政治的混乱は続くだろうが、さすがに野田政権以下はないだろう。

本命は秋解散=「近いうち」合意で観測-与野党

2012年7月12日木曜日

徒歩のすゝめ

2週間ほど前、いつものように自転車で帰宅する途中のことである。

自転車の後輪が「キュインっ」という聞き慣れぬ音を発しパンクしてしまった。

道の側溝にできた隙間にタイヤがはまり込み、何らかの加減でそんなことになってしまったらしい。

そこでこの機会をとらえて、前々から頭の片隅で考えていたことを実行することにした。

つまり、自転車を廃棄して、今後近距離の移動手段はすべて徒歩とすることを決定したわけだ。

我が家は最寄り駅から1キロ半ほどである。職場まではおよそ2キロ。職場からいろいろなところで買い物をしながら帰宅しても歩く距離は2キロ半ほどに過ぎない。

よく考えればもともと自転車などという贅沢品を使っている方が間違っていたわけだ。そんなものがなければ、終日事務所に引きこもって作業しなければならない日でも4キロは歩くことができる。健康維持にはぴったりではないか。

そんなわけでおよそ2週間。徒歩生活を続けているのだが、やってみると10年ほど前に車を手放したときと同様、何も困ることがない。

2リッター入りのペットボトルを駅前のスーパーで買って帰るときはやっぱり重いかなぁ、と心配していたが、ちょうどいい訓練くらいの感じである。

しかも、たったの2週間歩いただけだというのに体調が思いのほか良好なのだ。

やはり人間は歩くようにできているということだろう。1日5キロや10キロ歩いた方が健康は維持できるのだと思う。

ところがこれから自動車業界は、超小型車を売り込むためにさまざまな戦略を展開しようとしている。

手軽な移動手段としてそんなものが普及したら、人間はいまよりももっと歩かなくなってしまう。一度便利さを味わうとなかなか手放せないものだ。

やがて歩く力が衰え健康を損なう人が続出することになる。

だから、歩ける人は間違ってもそんなものを買わず、もっと自分の足で歩くことをお勧めする。

2012年7月11日水曜日

大津市の中学生自殺を巡るネット制裁について

滋賀県大津市で昨年起きた中学生の自殺。

大津市中学生自殺、教師は対応放置、警察被害届受理せず

一部の同級生が自殺した生徒に行なっていた暴行をはじめとする数々の犯罪行為。それを知りながらやめさせようとしなかった教師と学校。生徒が自殺した後の大津市教育委員会のいい加減な対応。自殺した生徒の父親が申し立てた訴えを受理しなかった大津警察署。「遊びの範囲だった」と犯罪行為をごまかそうとする同級生の保護者たち……。次々に驚くべき事実が明らかにされている。

報道を見るかぎりでは、一部の同級生が行なっていた暴行などの犯罪行為が自殺の原因と思われるが、まだはっきりと結論は出ていない。

しかし、一人の中学生が自殺するという事態の重大さをまるで意に介さないかのような関係者の傍若無人ぶりにネット民がぶち切れてしまった。

ネット上には、自殺した生徒を暴行していた同級生の実名と写真、その両親や親族の実名と写真、担任教師の実名と写真、学校長の実名と写真などが多数アップされている。

おそらく彼らはいま、世間の冷たい視線を浴び恐れおののいているだろう。

ネット上に個人情報をばらまく行為の善悪についてここではあえて触れない。その代わりにわたしが得た教訓を書いておく。

これからの時代は、一般大衆を怒らせるような真似をするとネットを使って社会的に抹殺されかねないから気をつけろということだ。

万が一、自分や関係者が何かをしでかしてしまいネット制裁を受けそうになったら、それを防ぐ手立ては一つだけしかない。

逃げたり、ごまかしたりせずに、認めるべきは認め、謝るべきは謝り、反論すべきは反論する。それだけだ。

おそろしいことになったものだが、正義、不正義という概念が大きくゆがめられてしまっている現代においては、このネット制裁は一概に否定できない現象なのかもしれない。

※ネット制裁
こういう言葉が一般的なのかどうか知らないが、自分としては最もしっくりくるので使用した。

※いじめという言葉
いじめと犯罪行為を区別するべきと考えているため本稿では「いじめ」という言葉を使用しなかった。常に問題とするべきは行き過ぎた行為である。学校内で起こる生徒同士のもめごとは絶対になくならないしなくすべきではない。子供はそれを乗り越えることによって社会性を身につけていく。行き過ぎがないかどうか監視するのは、学校、教師、親、そして地域社会の役目だ。

2012年6月17日日曜日

大飯再稼働によって関西が計画停電に陥る危険性が増大した理由

野田首相が「国民の生活を守るために再起動すべきというのが私の判断」と言い、それに調子を合わせた西川福井県知事と時岡おおい町長が再稼働を容認し、大飯原発は再稼働した。

さて、果たしてこれで本当に今夏の電力需給は改善され、関西圏で計画停電が行われたり、需要が供給を上回ってしまい大停電に見舞われる危険は減少したのだろうか。

確かに大飯再稼働により電力需給がいくぶん改善されることは間違いない。

が、政府が早い段階から「再稼働ありき」という姿勢で物事を進めたため、大飯原発を再稼働したにもかかわらず『計画停電や大停電の危険性は逆に増大』というおかしな事態に陥っていると私は見ている。

福島第一原発事故が起こって以来私たちは、原発のことをいろいろ学び、それがおそろしく厄介なものであることを知った。福島レベルの事故でさえ非常に珍しいものではなく、巨大地震や津波、あるいはテロリストによる攻撃などで、簡単に起きる可能性があることも露呈した。

加えて、事故でなくても小さなトラブルや機器の異常が起きれば原発はすぐ止まってしまうデリケートなものだということも、一旦止まったら点検やら何やらで再稼働まで数週間単位の時間がかかることも知った。

今夏、大飯原発で何らかのトラブルが起こり、再稼働したばかりの3、4号機が停止してしまう可能性は0%ではない。安全のため一旦停止しなければいけない程度の地震がある可能性も0%ではない。

そうなった時はまさしく緊急事態である。

たとえば大飯原発を再稼働させず、節電や供給力の積増し、他電力会社からの融通などを徹底的にやってオールジャパン体制を取っていたとしたら、「みんなでがんばって今夏を乗り切ろう」というモチベーションがもともと高まっているので、追加で火力発電所のトラブルなど多少の不測な事態が起こっても回避できる。

しかし政府が「原発ゼロでもなんとかするぞ」という姿勢をかけらも見せず、再稼働回避のための努力を全くしなかったことで、かなり多くの国民はしらけている。

去年はがんばって節電に努めた人も「熱中症になったらかなわん」とそれほどがんばって節電もしないだろう。工場やオフィスや商店も去年ほどはがんばらないかもしれない。去年は暑がりの私もだいぶエアコンを我慢したが、今年は快適に過ごすつもりだ。

そんな時に大飯原発がトラブルで止まったら……。

野田首相の一番の罪は原発の安全性をないがしろにしたことだが、あえてそこまでして守ろうとした電力の安定供給もかえって脆弱(ぜいじゃく)なものにした可能性があることをご本人は自覚しているのだろうか。

2012年6月11日月曜日

大飯再稼働は決定! で、今夏の節電要請は何%になるのか。

最初に言っておくが、これはデータの裏付けも何もない単なる個人的な予想に過ぎないので軽く流して欲しい。

野田首相が責任を取れるわけないのに「自らの責任で判断」したおかげでどうやら今週中にも大飯原発の再稼働が決定しそうな状況である。

政府の需給検証委員会や関西電力は大飯を再稼働させれば電力は足りると言っている。

需給検証委:「大飯再稼働なら電力足りる」関電管内

当然、大飯原発が再稼働しないことを前提に決定し、関西電力管内15%以上と発表していた政府の節電要請は変更になるはずだ。

夏場の節電対策 正式に決定

さて、何%の節電要請になるだろうか。気になるので自分なりに予想してみた。

「足りると言ってるなら節電なんかしなくていいじゃん」と言いたくなるが、さすがにギリギリではちょっとおっかない。もともと政府は電力不足を若干大げさに言っていたとしても、余裕はできるだけ大きい方がありがたいと考えているに違いない。

本音を言うと、15%のままにしておきたいところだろうが、それでは脱原発派、大飯再稼働反対派から非難を浴びることになる。

そこで政府が狙うのは大飯再稼働の効果を喧伝(けんでん)することができ、電力需給にも余裕を持たせることができるギリギリのラインだ。

おそらく5〜8%というところに落ち着かせるだろう。

最初にも書いたが、これはあくまでも個人的な予想に過ぎないので軽く流してほしい。

2012年6月9日土曜日

いまのままでは冤罪事件はなくならない

東京電力OL殺人事件の再審が決定した。

無期懲役で収監されていた被疑者の釈放も認められた。現段階ではまだ、無罪が確定したわけではない。しかし、マイナリ氏は事件当時不法滞在で日本に留まっていたため、釈放されるとすぐに母国ネパールに強制送還されるという。

実質は無罪放免であり、警察、検察、裁判所が間違いを犯したと判断されたわけだ。そして事件は迷宮入りとなってしまう。

このような事件のニュースを見るたびにいつも思うことがある。

捜査や裁判に関係する人たちはいったい何を使命としているのだろうか?

真実を見つけ出し、公平な裁きを行うことではないのだろうか……。

残念ながら警察、検察、裁判所、弁護士といった法に携わる人々から、真実や公平な裁きというものに対する真摯な姿勢をまったく感じることができない。

たぶんそれは個人個人の関係者が悪いわけではなく、法を巡るシステム自体が齟齬(そご)をきたしているのだと思う。

いまのままでは日本では冤罪事件はなくならないし、公平な裁きも期待できない。

だから妙なことに巻き込まれないように充分気をつけよう。

2012年6月3日日曜日

原発再稼働第1ラウンド決着

再稼働推進政府連盟(政府、経済界、電力会社:私が勝手に命名した)vs 再稼働反対関西連合(大阪府・市、京都府、滋賀県:こちらも私が勝手に命名した)による「原発再稼働抗争」第1ラウンドは、政府側の勝利で決着がついた。

世の中では、再稼働反対関西連合のボス、橋下徹大阪市長が「ギリギリでひよった」とか「最初から出来レースだったんだ」とか言って非難したり、失望したりする向きが多いようだ。

しかし、私の見方は少々違う。
実際のところは、本人が記者会見などで認めてるように文字通りの完敗だったのだろうと受け取っている。

まぁ、あくまでも私個人の想像の域を出ないが、再稼働反対関西連合は関西電力の協力を得て徹底的な対策を講じれば、大飯原発を再稼働させなくても今夏を乗り切れるという感触を得ていたはずだ。

ただ、あくまでもそれは、政府、経済界、電力会社、一般大衆のすべてが協力するというオールジャパン体制が整わなければ実現できない。

ところが肝心の野田政権の判断は「大飯再稼働」だった。政府の後ろ盾が無ければ、オールジャパン体制は整わず需給はかぎりなく逼迫(ひっぱく)する。一方、政府を見方につけた関西電力は「大飯再稼働はできる」と勢いづいた。政府と関西電力、そして利害が一致する経済界が手を組んで、再稼働反対関西連合を追い詰めた。

方法は簡単だ。

「再稼働反対関西連合が再稼働を認めないため大飯を動かせません。このままでは計画停電を実施せざるを得ない状況です(言葉にしているわけではないが橋下市長や京都の山田知事、滋賀の嘉田知事のせいだと言っているようなもの)。

上記のような意味合いのことを巧妙な言い回しであちこちで吹聴すればいいだけだ。そうすればメディアが勝手に拡散してくれ、再稼働反対関西連合への風当たりは強まる。

あれほど鼻息の荒かった再稼働反対関西連合がここ数週間で急速にトーンダウンしたのは、おそらくそのような事情があったのだろう。

歯切れよくわかりやすい物言いで大衆の支持を集めている橋下市長も、政府と経済界、電力会社連合の圧倒的なパワーにはかなわなかったということだ。

だが、今回橋下市長が己の負けを認め、野田政権の成果を一部認めたことで私は、橋下市長を改めて評価するつもりになっている。

経験したことがある人ならわかるはずだが、己の負けを認めるというのはなかなかできることではない。しかも橋下市長は「再稼働に反対である」と突っ張り通した方が自分の人気を維持するためには有利であることをわかっていたはずだ。

その橋下市長がぶざまに敗北を認めた。おまけに野田政権の成果を一部認めることまでした。おそらく多くの人ががっかりしたことだろう。

しかし橋下市長は、ただ、自分の流儀を押し通しただけなのだ。

私たちは誰でも自分なりの哲学というものを持っていて、基本的にはそれに従って生きている。優柔不断と言われるタイプの人間は、その時々、状況によって内なる哲学を簡単に書き変えることができる。正反対の頑固者と言われるタイプの人間は、どんな状況に立たされても容易に内なる哲学を書き変えることができない。橋下市長は良くも悪くも後者タイプなのだ。

つまり、今回の再稼働反対関西連合の負けっぷりは、橋下市長としては言い逃れることが許されないほどの負けっぷりだったということだろう。だから自分にとってマイナスになることがわかっていたが、自分自身の心の平衡を保つためにあえて敗北宣言をしたのだ。

だが、橋下市長は敗北宣言をしながらも、第2ラウンドに向けての布石を打っていた。それは今回の再稼働が「暫定的」なものであり、政府の安全宣言も「暫定的」なものであるという言質を細野環境相からとったという事実のしつこいほどの確認だ。

橋下市長は潔く自分の敗北を認められる哲学を持ち、負けながらも次の戦いへの布石を打つしたたかさも併せ持っている。政治家に必要な資質を十分に兼ね備えているような気がしてきた。私が橋下市長を評価しなおした所以(ゆえん)だ。

今秋、残暑が終わった頃、原発再稼働問題第2ラウンドが勃発する。その時は今回のように再稼働推進政府連盟の圧勝というわけにはいかないだろう。確かに政府(政治家、官僚、大企業)の権力は圧倒的だが、世の中にはそれを上回る権力がある。

大衆のパワーだ。

必ず橋下市長は用意周到にそのパワーを利用するだろう。それに成功すれば野田政権ごときは粉々に吹っ飛ぶことになる。

原発問題を巡る本当の戦いは今秋である。

2012年5月31日木曜日

もし私が脳死になったら……。

3カ月ほど前にこんなエントリーを書いた。

臓器移植の意思表示をしよう

で、さっそく実行しようと思って書いた翌日に社団法人臓器移植ネットワークのホームページを開いてみた。

もちろん私は上記エントリーに書いたように、すべての臓器を提供するという意思表示をするつもりだった。本音を言うと、ちょっと怖いし、何も全部提供しなくたって……という気おくれがなくはなかった。

だが、自分で言い出したことだから逃げるわけにはいかない。そう思い勇気を出してホームページを開いたのだ。

ホームページには予想通り、ネット上から意思登録できる仕組みが用意されていた。

なんてことはない、そこでササッと入力して手続きを完了させれば臓器提供意思表示カードが送られてくる。だが、やはり内蔵を全部取られる可能性があるのだから少しは万一のことを確認しておきたい。そう思ってホームページをいろいろ見ているうちに、なんとなくげんなりしてきてしまった。

どうもこの臓器移植ネットワークのホームページからは人間味があまり感じられないのだ。自分が事故に遭い、意識不明になった時にどんな確認が行われて脳死判定となるのか、そこでは何らかの手違いが起こる可能性をどう排除しているのか、家族のケアはどう行われるのか……。

これから意思表示しようと考えている者にとって必要なのはそのような情報だが、残念ながらホームページの作られ方を見る限り、そのような情報提供には力を入れていないようだ。どちらかというと現状の臓器提供の少なさ、必要性に重点が置かれていると強く感じた。

そうなると人間は弱いものだから不安がもたげてくる。果たしていざという時に自分はきちんとした扱いをしてもらえるのだろうか。実際に国内で行われた脳死移植が13例(2012. 5. 31現在)しかないのは現行制度に何か問題があるからではないのか……。

そんなわけで私はとりあえず、最初に考えていたのと正反対の登録をした。

「臓器提供はしない」と。

機会があったらもう少し詳しく調べ、日本の臓器移植が適正に行われていると納得した上で「すべての臓器を提供する」という登録に変更しようと考えている。

何かを人に依頼する場合は、自分の都合ばかりを前面に出してはいけない。これは鉄則である。

2012年5月30日水曜日

頻発する痛ましい事故の根底にあるもの

痛ましい交通事故が一向に減らない。

京都・亀岡事故
千葉・館山事故

そこで文部科学省がいろいろと子供たちを事故から守るための方法を考えている。

文科相 通学路対策保護者と連携を

対策をとれば多少なりとも効果はでるから、それはそれでどんどん推進してほしいと思う。

しかし、根本的な問題解決はまったく別なところにあると感じている。

皆さんは、小学生たちが登校する時間に学校の近くでその様子を観察したことがあるだろうか……。

私の通勤経路の途中には小学校があり、すぐ前を幹線道路間をつなぐ抜け道が通っている(車同士がギリギリすれ違える程度の細い道)。学校の東側から登校してくる子供たちはその道を横断しなければならない。

当然のことながら横断歩道が用意されている。

私の考えでは、横断歩道の手前で子供たちが待っていたら車は停車して子供たちを渡らせるのが当たり前である。うまい具合にその横断歩道は以下の図のような場所にあるので、図の下から来る車はすべて一時停止状態になるのだからなおさらだ。



だが実際は違う。

子供たちの方が立ち止まって、T字路を車が通り過ぎていくのをじっと待つのだ(200メートルほど手前に国道からこの抜け道に入る信号付きの交差点があるので、たいてい車は5、6台連なってやってくる)。

子供たちを先に渡らせるためにしっかり停車する車は10〜20台に1台程度しかいない。

実は、同じような光景は街のあらゆるところで見ることができる。いつのまにか日本は歩行者より車の通行が優先されるようになってしまっているのだ(むろんこれは車の往来が激しい幹線道路のことではなく、歩行者が日常的に行き交う生活道路の話だ)。

まぁ、歩行者優先を忠実に守っている私が、横断歩道でしばしば車に轢(ひ)かれそうになっているありさまだから、いまや子供や高齢者が車を優先させるのは自己防衛のために仕方のないことなのかもしれない。

頻発する痛ましい事故の根底にあるものは、

横断歩道で子供や高齢者が待っていても停車しない。
(歩道や路側帯のない道で)道の端を通る歩行者や自転車を猛スピードで煽っていく。

そのようなドライバーのモラルの低さとその存在を看過している社会であると私は考えている。

2012年5月26日土曜日

護身用ナイフが身の破滅を招く

正常な認識では、普通に外出する時に私たち日本人は銃器や刃物類を一切持ち歩かない。
だが、ときどき以下のような事件が起こる。

トラブルがきっかけでナイフ所持 渋谷切りつけ事件

犯人は以前歩行中にトラブルにあい、護身用としてナイフを所持するようになったらしい。

市民が銃を所持できる米国などでは、多くの人が護身用として銃を持っていると聞く。社会に銃が溢れているために乱射事件などが後を絶たない。その度に規制強化の議論が起こるらしいが、所持派の勢力も多くいつも規制強化には至らない。

そこで一つ疑問である。

米国がそうであるように、日本でも口論や掴み合い(酔っぱらってる場合が多い)はよくあることなのだから、護身用に法律で規制されていないナイフ等を持ち歩くのは社会的に許容されるのだろうか。

法的に解釈すれば、所持が見つかっただけでは罪にはならないだろう(私は法律の専門家ではないので間違っているかもしれない)。

だが、日本で深夜でもない時間に普通の場所で過ごすのに、護身用のナイフを持ち歩きたいと自分が思った瞬間から、自分の精神状態を疑った方がいいと思う。

私は若い頃わりと短気だった。しかもしばしば泥酔していた(もちろん今はそんなことはない)。まぁ、簡単に言えばどちらかというとトラブルにあいやすい部類だったと言える。

その私でさえ、長い人生に置いて望まない暴力沙汰に巻き込まれたことはただの一度しかない。つまり日本においては、少しくらい好戦的であったとしても乱闘騒ぎに発展することなどほとんどないのだ。少々の口論、押し合いへし合いなど気にする方がおかしい。

だから私はケンカが強いわけではないが、護身用ナイフの必要性などまったく感じたことがなかった。

小さなトラブル(まぁ、恫喝されたり胸ぐらを掴まれる程度)に遭遇したからといって、護身具無しに外へ行くのが不安と感じたら、自分の心の有り様をチェックしよう。

頻繁にトラブルに巻き込まれる(年に1、2回とか)ようなら、自分の言動におかしなところがないかどうかチェックしよう。

くれぐれも特別な場合以外は護身具など身につけていてはいけない。そんなものを持っているから使いたくなるのだ。

2012年5月13日日曜日

他人を第一印象で判断することの愚かさ

その昔私は、かなり短気だった。

と言っても、暴力的だったわけではないが仕事上のことでよく激高したものだ。

ただし激高すると言っても、心の内に冷静なところは残っていて、ちゃんと勝ち負けの計算だけはしていた。

「オレのほうが有利だな」

そう判断した場合は、部下や下請けだけでなく先輩や上司でも遠慮なくけちょんけちょんにして悦に入っていた(さすがに顧客をけちょんけちょんにしたことはないが……)。

「ありゃ、オレもしかして無茶なこと言ってる?」

なんてときは頭の中で「やべえぞ、やべえぞ」と警報が鳴り響くため、抜き差しならない状態に至る前にかろうじて撤退することができていた。

まぁ、そんなわけだからしばらく前までは、けっこうピリピリした感じのあるオヤジだったわけだ。おかげで若い頃からあまり軽く見られることはなかった。一方、相手に無用な警戒心を持たれるという欠点はあったが、困るというほどのことでもなかった。

だが、数年前から少々事情が変わってきた。

なぜかあまり頭に血が上ることがなくなってきたのだ(むろん腹を立てることはあるが激高するようなことはもうほとんどない)。と、同時に身につけていたピリピリした感じもどうやら消えてしまったらしい。

そうするととたんに……あちこちで未経験の出来事にでくわすようになった。

道を歩いていてベビーカーにどつかれたり、スーパーのレジの行列でオバさんに割り込まれたり……。

どうも世の中には穏やかそうな親父には何をしてもいいという暗黙の了解があるらしい。前述したようにそれで頭に血が上ったりはしないがさすがに少しムッとする。それにこういうふざけた連中を野放しにしておくのは社会にとって好ましくない。ということで最近はその手の無礼者はその都度きっちり退治することにしている。

まぁ、ベビーカーやレジなどでの問題はその程度でいいだろうと思っている。問題は次のようなケースだ。

とある会合ではじめてあった人と名刺交換したとする。こちらは表面上はただの参加者のように振る舞っているが、実質は会合の中心メンバーである。名刺交換した相手は会合に初参加した方で、場合によってはこれから中心メンバーへと育っていく能力を持ち合わせている人かもしれない。

会合で私がわざと目立った行動をとらないようにしていたとしよう。すると初対面のその人があからさまに私を小馬鹿にした態度をとったりすることがあるのだ。あるいは後日連絡をとろうとしてもまるっきり相手にされなかったりということもある。

残念なことである。当然その人は目的があって会合に参加したのだろうが、中心メンバーを無視していては何も得ることはできない。参加者をよく知らない会合では、誰とでも丁寧に対応しておくべきなのだ。

人を自分の勝手な思い込みで判断すると、ベビーカーやレジの人のように思わぬ反撃にあったり、せっかくのビジネスチャンスを失うことになる。

人を第一印象で判断するという愚かな行為はやめよう。

2012年4月24日火曜日

大飯再稼働に向けた政府の対応がずさん過ぎる件

ここまででたらめだと返って清々(すがすが)しい気持ちに……なるわけないか。

いや、大飯原発再稼働の話である。

政府はあまりにも大飯原発周辺自治体の反発が強いのに驚いて「需給検証委員会」なるものをつくった。

また、京都府と滋賀県には経産副大臣を差し向け、再稼働に向けて説明を行った。

という話を聞くと、政府が至極まっとうなことをやり出したように思えるが、内容を知るといかにも付け焼き刃であることが見え見え過ぎて驚きを通り越してあきれかえってしまう。

どういうことかというと、以下の二つの記事に注目して欲しい。

節電でも西日本は3.6%不足(需給検証委員会)

“運転再開に緊急性”知事に説明(経済産業副大臣)

両方とも昨日(4月23日)のニュースである。一方では政府が設置した需給検証委員会の第1回目の会合が行われているというのに、もう一方では経産副大臣が京都府と滋賀県の知事に向かって正式に「電力供給の確保のために運転再開には緊急性がある」と断言している。需給検証委員会は夕方6時頃も続いていたので、同日ではあるが経産副大臣の知事訪問の方が時間的には早い。

それに需給検証委員会は初会合が開かれただけで、まだ何の結論も出していない。

要するに政府にとっては需給検証委員会なんてどうでもいいわけだ。政府の結論はすでに出てるんだから。

野田政権の支離滅裂度が急激にアップしている。

2012年4月22日日曜日

目的が明確になっていないから何も達成できない

「いまさら何言ってんの」

そう叱られてしまいそうだが、最近改めて痛感していることがある。

それは、

“目的を明確にしないと何も達成できない”

ということだ。

私はいま、3つほど市民活動やNPO活動に参加しているのだが、その活動を見ていると運営のうまさ、まずさが手に取るようにわかるのだ。

どの団体もそれなりに志の高い人たちが揃っている。ところが面白いことに、能力が高い人たちが多いと思われる団体二つがうまく成果を出せず、どちらかというと平凡な人の集まりのように見える団体が目を見張るような成果を上げているのだ。

どういうことなのだろうと思い観察していてすぐに思い至ったのが、

“目的を明確にしないと何も達成できない”

ということなのだ。

考えてみれば当たり前のことなのだが、その団体の中に入ってしまうとそんな簡単なことさえ見えなくなってしまう。

成功している団体は何を実行するかがはっきりしており、なおかつその目的をメンバー全員がきちんと共有している。

一方、うまくいかない団体二つはメンバーの能力が高いからなのか、壮大な目的を掲げ過ぎていて完全に進路がぼやけてしまっているのだ。しかも、メンバー各自が壮大な目的を達成するための異なる副目的を持っていて、てんでバラバラ状態になってしまっている。

それでうまくいくわけないよね。

まぁ、よく言われる教訓なのでいまさらという感じはするが、一応書いておく。

まず、なかなか思ったように成果が出ていないのなら、目的が明確になっているかどうかチェックしてみよう。

そして、もし複数のメンバーが関わっているなら、目的がきちんと共有されているかもチェックしてみよう。

落とし穴は意外とそんな簡単なところにあったりする。

2012年4月20日金曜日

がれきの広域処理はもはや必要ないようである

以前のエントリーで「がれきの広域処理がどうやら軌道に乗ったらしい」と書いたが、どうやらそれは私の間違いだったようだ。

いまだにたいした進展は見られない。

進展が見られないのはむろん政府の無策のせいであるが、ここまで無能だとは私も想定していなかった。完全に見込み違いだったようである。しかし、実は今回ばかりは野田政権の無能がかえって幸いしたかもしれない。

というのは、どうやらがれきの広域処理は必要ないようなのだ。

南相馬市では防潮林の土台として使用するためのがれきを欲しがっているし、宮城県の沿岸部では国が防災林を整備する際の土台としてがれきを使用するらしい(いまのところ環境省では、南相馬市で宮城県や岩手県のがれきを使用することを認めていないらしいが、いずれ認めざるを得なくなるだろう)。

その上、宮城や岩手の被災した市町村の中には雇用を生み出すために、処理用のプラントをつくってもらって、がれきを自分たちの地域で時間をかけて処理したいというところもあるらしい。

もともと現時点で国が広域処理したいと言っているがれきは全体の2割に過ぎない。無理に進めようとして多大なエネルギーをつぎ込んでいる広域処理などさっさとあきらめ、その他の方法を模索した方がはるかに現実的だ。その方が広域処理用に用意した予算も節約できる可能性が高い。

被災地にはかさ上げが必要なところもたくさんあるのだから、そのためにがれきが役立つかもしれない。

政府は一度言いだしたがれきの広域処理という案を、ほとんど受け入れてもらえないうちに引っ込めるのがいやなのかもしれないが、もうあきらめた方がいいだろう。

受け入れを表明した自治体も、適当に理由をつけて辞退した方がいい。東京都のようにあっさり国の基準を鵜呑みにしたまま受け入れてしまった自治体はあとで恥をかくことになる。

野田総理や藤村官房長官、枝野経産相、細野環境相、その他の民主党幹部に言っておきたいのだが、心底信じていないことを発言しているときはテレビ越しでもわかるものだ。それを日常的に繰り返していればやがて誰からも信用されなくなってしまう。いまはそのほんの一歩手前というところだろう。大衆をあまりなめてはいけない。

それにしても野田政権の無能さには本当に驚く。

2012年4月17日火曜日

中間貯蔵施設に関する政府の巧妙なごまかし

残念ながらわれわれは自分が一番正しいという、たいがい間違っている考えを容易に乗り越えることができない。

たとえば私などは、自分が相当に阿呆で間が抜けており、さらにかなり自己中心的であることをよく知っている。そのため日々それを自戒しながら生きていたりもする。

せっかくそうやって暮らしていながら、それでもなおたびたび自分が正しいと意固地になるという過ちを繰り返している。

困ったものだが、それも人間が所詮動物に過ぎず、本能に支配されている証拠なのだろう。多少は矯正できても、本能を完全に抑え込むことはできない。

中間貯蔵施設を巡る政府の事の進め方を見ていて、ふとそんなことが頭に浮かんだ。

どうしてこうも細野環境相やその周辺の政府関係者は自己中心的で傲慢なんだろう。


政府は大熊町に中間貯蔵施設をつくらせれば、隣接してつくる研究施設などで町民をたくさん雇ってくれるらしい。

だから
「迷惑だ、迷惑だとばかり言ってないで中間貯蔵施設の設置に協力しなさい。どうせ仕事がなくて困ってるんだろうからありがたいでしょ」
というわけだ。

私のように部外者で間が抜けた者ならよく考えもせず、うっかり騙されてしまいそうな甘い罠である。

だがいま一度よく考えてみよう。

中間貯蔵施設はかなり汚染濃度が高い地域につくられる。研究施設はむろんできるかぎり汚染濃度が低いところにつくられるだろうが、中間貯蔵施設から遠く離れていては意味がない。

つまりそこは、あまりいい職場環境ではないわけだ。

それに政府が町民を研究者として雇ってくれるわけではない。よくて事務員、悪ければ研究施設の掃除係や研究者の食事の世話係、力仕事専門員などとして町民を使いたいのだ。

もし、町民が参加してくれなければ広く募集しなければならない。環境が悪いということで当然賃金は高くなる。それでも集まるかどうか蓋を開けてみなければわからない。だから町民をうまく呼び込めれば政府にとってはすべてが好都合なわけだ。

〈中間貯蔵施設が町の復興の妨げになるという思いを持っている人が多いが、それは違う。今後は雇用、研究などプラスの要因もあることを丁寧に説明していきたい〉

細野環境相は、こんなごまかしばかり言っていないで本当のことをもっと丁寧に説明したらどうだろうか。

問題解決の近道はそれしかないのだから。


2012年4月12日木曜日

とてつもなく大きな代償

4月1日から食品に含まれる放射性セシウムの基準が厳しくなった。

食品のセシウム 新基準がスタート

当然予想されたことだが、とたんに基準を超えてしまう食品の報告が増え始めた。しかも地域的にはかなり広範囲に及んでいる。

福島市のホウレンソウが基準超
船橋でタケノコが基準超 出荷も
栃木 11市町のシイタケが基準超

ほぼすべての日本人が体験したことがない事態なわけだから、このような状態がいつまで続くのかいまのところ想像すらできない。3年なのか、10年なのか、30年なのか……。

その間われわれはずっと、食品の安全性を気にしながら暮らさなければならない。

東電、官僚、政治家、学者、その他原子力ムラ関係者すべてに、きっちり責任をとってもらわねばならないが、どうやっても放射性物質のない日本は返ってこない。


残念なことである。


だが「食品の安全性を気にしながら暮らす」というのは、原発の危険性を薄々承知しながら、あえて問題にしてこなかったわれわれが支払うべき代償と解釈すべきなのだろう。自分の身を守るために淡々と行っていくしかない。

そしてもうひとつ、必ず実行しなければいけないのは、農家や漁師、子どもや福島第一原発周辺住民など、必要以上に代償を支払わされている人びとへの補償をきちんと行うことと、安易な原発再稼働を止めて二度と同じ過ちを繰り返さないようにすることだろう。

災厄はいつ、誰に降りかかるかわからないのだから、被害を受けなかった者は所詮人ごとと見て見ぬふりをしてはいけない。

2012年3月31日土曜日

幼児虐待事件の裁判、三判決

一つ前のエントリーで孤立死、孤独死のことを書いたのだが、実は最近幼児虐待事件のことも少し気になっている。


ここのところ続けざまに3つの事件の判決が言い渡された。たまたま判決の日にちが近かったので普段見過ごされがちなこと(まったく気がついていないという人は少数かもしれないが、はっきり認識していたという人も少ないと思う)が明白にわかるので、そのことについて書いておく。


以下の3件がその3つの事件である。




記事を読んでいただけばわかるが、3つとも幼児虐待という殺人事件なのだが判決に大きな違いが見られる。

最初の事件では24歳の母親が育児放棄し、3歳と1歳の子どもを衰弱死させた。裁判官は懲役30年を言い渡した。

2番目の事件では夫28歳、妻29歳の夫婦が1歳の娘を暴行し死に至らしめた。裁判官は求刑が10年であったにもかかわらず、懲役15年を言い渡した。

3番目の事件では26歳の母親が生後2カ月の娘を殴って死なせた。裁判官は懲役3年、保護観察付き執行猶予5年(求刑懲役5年)の判決を言い渡した。

最初の事件のみ裁判員裁判だったということである。

むろん3つの事件の背景は異なるだろう。最初の事件では2人の子どもが犠牲になっている。確かに他の事件では犠牲になった子どもは1人だが、暴行によって死に至らしめている。

いかに事件が多様であるといっても、類似の事件で「懲役30年」「懲役15年」「執行猶予」と大きく判決が異なる合理的な説明があるとはどうしても思えない(断っておくがここで判決の軽重は論じない)。

そこで得られる結論は、現在の司法システムはけっこういい加減な部分があるということである。

だからこれから先、もし何らかの犯罪を犯したり巻き込まれてしまったら、法が公平に裁いてくれるなどと甘っちょろい考えは持ってはいけない。なにしろ検察官、弁護士、裁判官等の考えや力量、そしてその時々の世論の動向によって判決は大きく変わってしまうのだから。

当然のことながら法を犯さないように日頃から気をつけるのが最善だが、万が一不幸にもなんらかのアクシデントによって司法の裁きを受けるはめに陥ったら、それがどんなに軽微なものであってもあなどってはいけない。全力で対処することをお勧めする。

2012年3月24日土曜日

孤立死、孤独死について

高齢者や社会的弱者の孤立死、孤独死が後を絶たない。



それを受けて東京都が、速やかに部屋の中に入って安否を確認するよう対応を見直すことになった。


問題解決に向けての小さな前進だとは思う。何もやらないよりははるかにましである。加えて様々な取組が自治体レベルで検討されている。電気・ガス・水道料金などの滞納情報から危機を察知するという方法なども、実現できればある程度の成果を出せる可能性はある。


だが、いま考えられているいくつかの対策がすべて実行に移され、その結果、問題の多くがうまく解決するかといえば、残念ながらそうはならない。


理由はいくつかあるが、大きなものを二つほど挙げておく。


まず問題の性質上、効果的と思われる制度ができたとしても、その運用がかなり難しいということだ。たとえば滞納情報から危機を察知するという方法について考えてみよう。


たぶん制度は滞納が発生したらできるだけ早く安否確認することと決められる。確認は地区の民生委員か行政職員か警察など決まった人が行うことになるだろう。


制度の運用が始まり、滞納情報が続々と届く。


担当者は最初のうちは丁寧に1件1件対応する。だがほとんどの場合、単純な滞納に過ぎず、訪問相手に感謝されることなどほとんどなく反対に嫌がられてしまう。中には「いちいち確認に来るんじゃねぇ、ボケ」とか言ってすごむ輩もいるかもしれない。繰り返し繰り返し訪問しなければいけない家も出てくる。安否確認に行くたびに迷惑がられ、そのうちにいちいち滞納するたびに来ないで欲しいと頼まれたりもする。


やがて訪問先を選ぶようになり、誰かがどこかで何かを見落とす。そして再び孤立死が発生する。


どんな制度でもうまくいくか否かは、ある程度それを運用する人の能力に頼らざるを得ない。より実効性のある制度にしていくためには、試行錯誤を繰り返す以外に方法はない。


二つ目の理由は、これらの対策は根本的な問題の解決になっていないということだ。


孤立死、孤独死が増えたのは、社会が閉鎖的になったためにほかならない。その根本問題をしっかり受け止めて解決しない限り問題の根絶は不可能だ。


私たちは密閉度の高い快適な住居を手に入れ、プライバシーを尊重するという理屈で近所付き合いの煩わしさを大きく軽減することに成功した。だがそれは地域のつながりを弱め、孤立死や孤独死などを誘発する諸刃の剣だったということだ。

そろそろ間違えを認め、進む方向を修正するべきときなのではないだろうか。

2012年3月15日木曜日

stay hungry, stay foolish



stay hungry, stay foolish


スティーブ・ジョブズが残した有名な言葉だ。


多くの人がこの言葉を気に入っているようである。かく言う私も気に入っている者の一人だが、あることがきっかけでこの言葉を思い出し、ついでにこの言葉をみんなそれぞれどんな解釈をしているのだろうか、ということに思いが及んだ。


どうもいろいろな解釈がなされていそうである。第一、日本語への訳し方からしていろいろだ。


ネットで調べると「ハングリーであれ。馬鹿であれ」とか「ハングリーであり続けろ。愚かであり続けろ」「ハングリーであれ。分別くさくなるな」「ハングリーであれ。愚か者であれ」「飢えていろ、馬鹿でいろ、いつまでも」……。


いろいろあるが私にはどれもしっくりこない。


私が気に入っている翻訳は後で紹介するとして、解釈について少し考えてみたい。もちろんスティーブ・ジョブズの言葉をどう解釈するかは個人の勝手である。私はただ自分の解釈を言ってみたいだけのことだ……いちおう念のため。



2012年3月13日火曜日

がれきの広域処理問題は解決のめどがついたようだが残された問題の整理

岩手県と宮城県にいまなお山積みになっているがれきの広域処理問題。

政府がだいぶ学習したおかげでどうやら実施に向けて前進を始めたようである。もともとこの問題に関しては、できれば受け入れたいと考えていた人が多かったようなので「よかったよかった」で済ませたいところなのだが、まだここで手放しで喜んではいけない。

いくつかの問題点が残されているのでその点を確認しておく。

細野環境相は、方針として住民に放射線量をはかってもらうことが鍵だと言っている。


その点に関しては完全に同意する。
ただしどうも細野環境相が不満げなのでひとつ指摘しておきたい。

いままでがれきの広域処理が進まなかったのは、すべて国の説明不足と無策が原因である。がれきの受入れに反対していた人たちも被災地が苦しんでいることくらい、大臣どのにわざわざご説明いただかなくてもみんな十分わかっている。できれば協力したいが国が「安全、安心」と言うだけできちんとした説明をしてこなかったから反対せざるを得なかったわけだ。

いまや政治家と役人は最も信用できない人びとに分類されている。そんな人たちが「安全、安心」といくら言っても無駄だ。謙虚に「安全、安心の問題は国民の皆様にチェックしていただき、ご判断を仰ぎます」と最初から言っていれば何も問題はなかったのだ。

ここにきてようやくそのような状態になってきたので反対の声が収まってきた。ただそれだけのことだ。

さて、肝心のがれきの広域処理に関する問題点だが、がれきを受け入れるといっても政府が決めた8000ベクレル/kgまでの廃棄物は一般廃棄物レベルという話を信じて大丈夫かという問題がある。

もしかすると政府が基準を見直すのかもしれないが、いまのところまだ不透明である。8000ベクレル/kgがどの程度の汚染具合かというと、まず昨年稲の作付け制限に使われた水田の土壌汚染基準が思い浮かぶ。5000ベクレル/kgだった。

最近、こんな記事も見かけた。


8000ベクレルより若干低い7300ベクレル/kgのセシウム検出は米国では高濃度汚染だが、日本では放射性廃棄物にもならない一般廃棄物レベルの汚染……というのはなんとも不思議な話だ。

当然、がれきを受け入れる自治体は慎重を期して環境省に以下のようなことを要望している。できれば住民とよく話し合って地元基準を決めてもらいたいものだ。被災地のためとはいっても、汚染を日本全国に広めてしまっては本末顛倒である。


8000ベクレル/kg

どうしてこんなとんちんかんな基準値が決められているのか、それは以下の細野環境相の話を聞くとよくわかる。



細野環境相は「100ミリシーベルト以下では疫学的な健康の問題は生じない」と言い切ってしまっているが、これは明らかに間違いである。
正しくは100ミリシーベルト以下の場合、健康の問題は生じるかもしれないし生じないかもしれない。ようするにデータが乏しくはっきりわかっていないのだ。

その証拠に翌日のNHKニュース9で、東大の研究グループが別の発表で細野環境相と異なる解釈を披露している。


東大の研究グループはたとえ1ミリシーベルト以下の被曝でも、健康への影響はあると言っているわけだ。

このように意見がわかれているのに細野環境相は、自分にとって都合のいい解釈を恣意的に選択したわけだ。本来なら国民の健康を守るために、より厳しい解釈を選択するべきではないだろうか。

まぁ、そんな人たちが決めた数値が8000ベクレル/kgが一般廃棄物レベルという解釈なのだ。多くの人が「信用ならん」と考えるのは当然である。

がれきの受け入れを決める自治体はぜひ、放射線の基準値をしっかりと住民と話し合って決めてもらいたい。

そしてもう一つの問題点。いまのところ最初は安全性をアピールするために、がれきの放射線量を住民に測らせてくれたり、はっきり見せてくれると思う。しかしがれきの受け入れが本格化したときにどうなるかという問題だ。

問題は慣れてきた頃に起こりやすい。必要に応じて住民のチェックを受け入れさせるべきだろう。役人やその指定業者に任せていたら何をやらかすかしれたものではない。

そこまでやってはじめて、がれきの受け入れは安心して実行できるのだと思う。それでも事故を完全に防ぐことは不可能だから、人口密集地帯や水源の近くなどの処理施設には持ち込まないように注意すべきだろう。

いずれにしても、がれきの広域処理が前進し始めたことは評価したい。

2012年3月11日日曜日

2011.3.11から1年目

1年が瞬く間に過ぎた。

自然の恐ろしさをまざまざと見せつけた大災害によって亡くなったり行方不明になった方々は19009人(2012年3月10日現在)。おそらく避難所で不自由な暮らしをしたために亡くなった方を含めれば犠牲者は20000人を下らないだろう。

あの大津波の映像を見たとき、さすがにこれから日本はどうなってしまうのかと不安を感じた。と、同時にこれしきのことで日本がどうこうなるわけはないという根拠のない自負心が心をよぎるのも感じた。

災害から1年、なんとか無事に生きている。そのことには素直に感謝しなければならないと思う。しかし同時にたまらない焦燥感に襲われるようになった。

未曾有の大災害が私たちにいろいろなことを教えてくれたからだ。

私たちが一流企業と信じていた東京電力という会社が、とんでもなく嘘つきで無責任で横暴な会社であったこと(「東京電力」というところに別の「企業名」を入れても意味が通じる場合が多い)。

政治家は国家の非常時にあっても権力争いを優先するということ(「政治家」というところに「愚か者」という言葉をあてはめても意味がよく通る)。

役人は自分たちの責任回避のためには平気でウソをつくこと(「役人」というところに「政治家」という言葉を入れてもOK)。

むろん、このような書き方をするのは多少乱暴であることはわかっている。社会のために努力している企業も政治家も役人も皆無ではないだろう。だが多くの場合、この乱暴な書き方があてはまってしまうといまは確信している。

うすうす感じていた疑念を、大災害が見事に暴きだしてくれたのだ。

これは好機なんだと思う。

われわれがベストではないにしてもベターであると信じていた社会システムが偽りに満ちた欠陥品であることがわかったのだ。

せっかくだからつくり直せばいい。

官僚と政治家と大企業が、自分たちのために作り上げた社会システムは、あきらかにもう限界点にきている。ダメな部分は壊し、ひとつひとつ再構築していくことが必要だ。

〈あらゆる創造活動は、まずなによりも破壊活動である。—Every act of creation is first of all an act of destruction.—

確か、ピカソがそんなことを言ってたっけ。

1年前、大災害の犠牲になった方々の死を無駄にしないために、いまなお被災地で苦しむ方々を少しでも支援するために、行動していきたいと思う。

2012年3月8日木曜日

なぜそう判断したのか理解不能

嫌な事件が後をたたない。




仕事には後回しにできない種類のものがある。
不幸にもその手の仕事が回ってきてしまったら、たとえデートの約束をしていても、海外旅行に出発する日だったとしても、前日に徹夜していても後回しにしてはいけないのだ。

人の生死に関係ない仕事でもそんなことは当たり前のように起こる。

なぜ安易に「緊急性がない」と判断できるのか。
どうしてもそれが理解できない。

2012年3月7日水曜日

人間は人の運命を変えてしまうことにさえ鈍感になれる

また殺人と思われていた事件の再審が始まる。

大阪の放火殺人事件 再審開始決定

いままでの例から考えると今回の再審も無罪となる可能性が高いと思われる。
この手のニュースを見聞きするときいつも思うのだが、事件に関わった検事、判事はこの再審開始決定のニュースを知ってどう思うのだろうか。

おそらく当事者は複雑な思いでことの経緯を見守っているだろう。

ところが直接の関係者ではない者は違う。

決定について大阪地方検察庁の大島忠郁次席検事は、「意外な判断で驚いている。決定の内容を精査し、高等検察庁などとも協議のうえ、適切に対応したい」とコメントしているという。

再審開始が決定したということは、自分たちの組織が過ちを犯した可能性があるわけだ。
ならばもう少し配慮したコメントはできないのだろうか。

もしかしたら無実の人の運命を変えてしまったのかもしれないのだから。

2012年3月6日火曜日

このような姿勢は評価に値すると思う

菅前首相が時事通信社のインタビューに率直に答えている。このインタビューで彼が語ったことを私は高く評価したい。



このインタビューで菅前首相は、自らの原発事故対応が「大失敗」であったことを認めている。そして「大失敗」の原因は原発事故に対する備えがなかったためとしている。私もおおむねその通りだと思う。

菅前首相が比較的早い時期に、真情を吐露したことも評価したい。みんなの記憶が薄れた頃にこっそり打ち明けるのではあまり意味がないからだ。
自らの過ちを決して認めようとせず、改めようとしない多くの政治家は見習ってもらいたいものである。

そして菅前首相には事故再発防止のためにもう一段踏み込んだ総括を期待したい。


胸に突き刺さるニュース

もちろんまるっきり考えなかったわけではない。
岩手や宮城と異なり福島は放射線のために行方不明者の捜索ができない。そのような報道があったので助けを待ちながらお亡くなりになった方がおられるだろうことは容易に想像ができた。
だからそのような考えがちらっと頭をよぎることはあったが、こころが拒否反応を起こしていたのだろう。深く思いを寄せることはしてこなかった。

しかし、改めて現実を突きつけられると胸に何かが突き刺さったような気持ちになる。



身動きができず、食べるものも飲み物も手に入れられず、おそらく何が起こっているかもわからないまま、孤独の中で死んでゆく。

なんということだろうか。原発でつくられた電気を使ってきた者として、積極的に原発に反対してこなかった者として責任を感じずにはいられない。

放射性物質を制御することができないなら、一刻も早く原発はなくすべきだろう。

2012年3月5日月曜日

信頼を失うということがどういうことなのか彼らはわかっているのだろうか?

にわかに信じ難いことだが、大臣クラスの方々は「信頼を失う」ということがどういうことなのかあまりよくわかっていないらしい。

言葉では「国民の信頼を取り戻さなければいけない」というようなことを何人かの閣僚が発言しているから「信頼を失っている」という自覚自体は持っているようだ。

まぁ、下記リンクのようなことを繰り返していれば、だれも信用しなくなるのは当然である。



問題なのは彼らが「信頼を失う」ということがどういうことなのかよくわかっていないということだ。だから彼らは平気な顔でこんなことを考える。


どうやらがれきを受け入れた自治体にはお金をくれるらしい。

「お金あげるからグズグズ言ってないで手伝ってよ」ということか。そんなことでこの問題が解決すると思ったら大間違いである。
がれきの広域処理に反対している人たちは、政府が「信用できず安心して任せられない」から反対しているのだ。
政府がいくら「安全です」と言っても、「国が決めた基準値以下です」と言っても、政府を信頼していないのだから何の効果もない。それが「信頼を失う」ということなのだ。

では国民の信頼を取り戻し、がれきの広域処理を軌道に乗せるにはどうすればいいか。

この問題を解決するには、やり過ぎと思われるくらいに徹底した情報開示を行い、それを住民とともにチェックする体制を整えるのが一つの方法である。

受け入れるがれきから検出される放射性物質、消却灰から検出される放射性物質、その基準値を国が押しつけるのではなく各地域の住民とともに決める。希望する住民にはがれきや消却灰の放射性物質の計測を許可したり、埋め立て現場の見学を許可する。

もし、何らかの問題を住民から指摘されたら即座に中止できるようにしておく。

ほとんどの人は自分の目で見て、確かめれることができるなら納得し安心するはずだ。

意味もなく「反対」とだけ言い続けている者は無視すればいい。

がれきの広域処理に反対している人の中にも、東北の復興を願っている人は大勢いる。政府は一刻も早く自らの失態を認め、住民の立場に立った施策を打ち出すべきである。


2012年3月4日日曜日

いじめと虐待問題について

いじめや児童虐待が増えているらしい。



私はこの「いじめ」「児童虐待」という用語の使い方が適正ではなく、おかげで世の中に大きな誤解が生じたと感じている。

学校で撲滅すべき生徒間の問題は「いじめ」ではなく犯罪である。

暴力をふるってケガをさせればそれは傷害である。靴を隠したり学習用具を奪えばそれは窃盗である。「いじめ」というくくりに入れられているが、実際は犯罪行為であることはかなり多いような気がしている。子どもが犯罪行為を犯した場合は、学校、教員、父兄が関与して厳しく処罰するべきだろう。特に人を傷つける行為には容赦はいらない。

反対に多少の口論、ちょっとした小突き合い、仲間はずれなどに過敏に反応する必要はない。そのようなことは誰もが経験することだ。人間は集団で社会を構築する動物だから、小さな争いはいつでもどこでも必ず発生する。子どものときに経験するいさかいは訓練に過ぎない。昔から子どものケンカに親は口を出すなと言われてきた。できるだけ自分たちで問題を解決させた方が将来のためなのだ。問題が大きくなり過ぎた時だけ大人は関与すればいい。

ところがいまは、なんでもかんでも「いじめ」と受け止め大人が関与してやめさせようとする。そのような過干渉が子どもの社会への適応力を奪うのだ。

一方、家庭で撲滅すべき問題も「児童虐待」ではなく犯罪だ。
子どもは親の所有物ではない。子どもへの行き過ぎた暴力や養育の放棄は犯罪以外の何ものでもない。これも遠慮なく処罰すべきだ。また子どもが限度を超える暴力を受けている証拠を見つけた場合などは、当局に通報する義務と注意する権利をすべての人が持つと認識すべきだろう。児童相談所などが親権を気にするあまり、なかなか強制的に踏み込もうとしないのは間違いである。基本的には火のないところに煙は立たない。

だが、子どもには厳しいしつけも必要である。子どもの頃、夕食を食べさせてもらえなかったり、ひっぱたかれたり、家に入れてもらえなかったりという罰を与えられた経験は多くの人が記憶にあるだろう。子どもには尻を叩かれたり、家の外に立たされた程度の経験はさせておくべきである。体罰を全面否定する教育の専門家もいるようだが、節度ある体罰は子どものしつけには有効である。

愛情あるしつけと犯罪である暴力を、近隣の住民、児童相談所、警察、裁判所のすべてが見間違うことなどあり得ないのだから、親の子どもに対する犯罪的行為を目撃したら遠慮なく関係機関に通報しよう。

2012年3月2日金曜日

わかっちゃいるけどひっかかるものなんだなぁ

AIJ投資顧問の問題が大騒ぎに発展している。




この手の事件が起こるたびに、どうしてこんな荒唐無稽な儲け話に簡単にひっかかるんだろう……そう思わずにいられない。

だが、いろいろな情報が入ってくるにつれ、なるほどと思う部分が出てくる。

まずターゲットの選定である。



年金基金を扱う事務所の様子が目に浮かぶようである。想像に過ぎないがおそらくとてものんびりした職場なのであろう。

その上こんな援護射撃も受けている。


見事な戦略である。きっと、AIJの社長は話がうまく押しも強いのであろう。

私が担当者で基金の運用がなかなか思うようにいっていなかったとしたら、わらにもすがる思いで飛びついてしまうかもしれない。

騙された人を馬鹿にせず、他山の石としてきちんと学んでおきたい。

2012年3月1日木曜日

ファインプレーは目立たない

昨日のブログで菅前首相の原発事故対応について批判したが、実はまるっきりダメダメだったと思っているわけではない。


福島原発事故独立検証委員会の北澤宏一委員長が記者会見で述べたように、東電の撤退を許さなかった点は評価されるべきだと思っている。



東電は撤退すると言っても必要な人員は残すつもりだったと言い訳しているらしいが、それを信用するものはあまりいないだろう。

さて、それではあのとき菅前首相が東電本店に乗り込み、断固たる姿勢で撤退を阻止していなかったらどうなっていただろうか。あまり想像したくないし、専門知識も持ち合わせていないので詳しく言及しないが、相当悲惨なことになっていたことは確かだ。

しかも、そんな事態になったとしたら、東電や原子力安全・保安院や原子力安全委員会はきっと、

「あそこに作業員を残してももう打つ手はなかった。退避は人命尊重のためにやむを得なかった」

とかなんとか言って一致団結して居直るか、お互いに責任をなすりつけあったに違いない。

現場作業員が踏みとどまり、事故収束とまではいかなくても(野田首相と私の認識は違う)、かろうじて原子炉をコントロールするところまで持っていった現在の姿は存在しなかったわけだ。

だから私はこの「撤退阻止」だけは菅前首相の英断だったと思っている。もしそのために、現場作業員に何かがあったら厳しい批難・批判を一身に負うくらいの覚悟はしていただろう。

その後のドタバタや情報の隠蔽、スタンドプレーの数々、首相辞任後にいきなり呑気にお遍路に出かけてしまったことなど、いただけない部分はてんこ盛りだが「撤退阻止」だけはファインプレーと評価したい。

だけど自分で言っちゃダメだよね。

もともとファインプレーというのは目立たないものなのだ。優秀なプレーヤーはファインプレーを連発しているのだが、いとも簡単にやってしまうので見ている人はよくわからなかったりする。ときどきわかりやすいファインプレーをしたときだけ観客は気づく。そういうものなのだ。

2012年2月29日水曜日

コメ作付けは諸刃の剣

もちろん福島の6市町村の方々はコメ作付けが諸刃の剣であることを充分理解していることと思う。



収穫したコメは流通させず、調査や水田の維持のために行うということだったら何ら問題はない。

危惧するのは全袋検査して、しっかりと安全性を確かめてから流通させる方針をとった場合だ。上記にリンクを貼った記事にもある通り、膨大な数のコメを検査しなければならない。

万一検査機器の不具合かなにかで放射性物質が網の目を逃れ、流通しているコメの中から基準値以上の値が検出されてしまったとしよう。その場合、再び去年のように福島全体のコメが売れないという事態に陥ってしまう。

農家にとってはつらいことだとは思うが今年は作付けしても収穫したコメは流通させず、その分東京電力にしっかり賠償させたほうがいいのではないかと思う。

EUも農産物の2回目の収穫が終わるまで、状況を見極める必要があると判断している。

EU日本食品の輸入制限再延長

むろん、今回収穫してみたら放射性物質がほとんどどこからも検出されないというなら話は別だが……。

「福島原発事故独立検証委員会 調査・報告書」について    —まだ読んでいないが報道を見て気になった点—


福島原発事故独立検証委員会が調査・報告書をまとめた。現段階では市販されていないので内容を読んだわけではないが、報道を見て気になった点をまとめておく。


内容としては、政治家や原子力安全委員会、原子力安全・保安院の関係者 300人ほどから聞き取り調査を行っており、ある程度事故当時の状況がわかる内容になっているらしい。

ところが驚いたことに東京電力がこの福島原発事故独立検証委員会の聞き取り調査への協力を断ったという。

民間のわけのわからない調査機関の話ならばそういうことも考えられる。しかし民間事故調とはいえ菅首相はじめ事故対応に当たった主だった政治家、原子力安全委員会の班目委員長、原子力安全・保安院、文部科学省など今回の事故に関係する官僚たちも協力している調査に、一番の事故当事者である東京電力が協力しないというのはどういうことなのだろう。

東京電力には事故の原因を明らかにし、今後の原子力行政に役立てようなどという気持ちはかけらもないらしい。いまの彼らの姿から見えてくるのは、できるだけ責任を回避し、組織の延命を図り、甘い汁を吸い続けたいという醜悪な姿だけだ。

長年独占企業として組織全体で甘い汁を吸い続けてきた結果、隅々まで腐敗しきってしまったのだろう。この組織を立て直すには一旦国有化し、大胆に分離解体して再民営化するというような大手術が必要だ。

もうひとつこんな報道もあった。


福島原発事故独立検証委員会は菅前首相の事故対応を厳しく批判している。ところが菅前首相は自分に都合のいい部分だけを引き合いに出して談話を発表してしまった。

まぁ、気持ちはわかる。一国の首相を務めたほどの人だ。自分の失敗を認めたくはないだろう。だが政治家や官僚のこのような態度が政治不信を生むのだ。どこにも完全な人間なんていやしない。まして、あのような極限の状態であれば誰がやったって得られる結果は50歩100歩だ。失敗は失敗、間違いは間違いと素直に認めた方が自然だ。そしてそうした方が結果的に成果を引き立てる。

それを変にごまかそうとするからおかしくなるのだ。





2012年2月28日火曜日

われわれには原発を持つ資格がないという事実を認めることからはじめよう

少しずつ福島第一原発事故の検証が進み、いろいろなことがわかってきた。科学的、技術的なことはあまりよくわからないが、ひとつだけ指摘しておきたいことがある。

まず、いくつか参考になる資料を掲げておく。



上記の記事を読んで私が感じたのは、

「われわれにはまだ原発を持つ資格がなかったのだな」

ということだ。

アメリカ原子力規制委員会は事故の5日後にはすでにメルトダウンの可能性を把握し、日本にいる米国民に警告を発していた。それに対し日本では、一部の人間はその事実を知っていたにもかかわらず、はるかに狭い範囲の警告しか出されなかった。

しかも事故対策は、現場を知らず、SPEEDIの存在すら知らなかった首相以下の政治家によって取り仕切られていた。大オーケストラの指揮をスポーツ選手がやってるようなものだ。うまくいくわけがない。

一時は東京でも避難が必要と思われるほどの危機的状況に陥っていたのに、周辺住民にも国民にも何も知らされなかった。

これらは次の驚くべき事実を示している。

「事故が起きたときのことが何も想定されていなかった」のだ。

日本の原発は事故が起きないということを前提に稼働していたわけだ。

そう言えばむかし、原発関連の仕事をしている人に「事故が起きたらどうするんだ」と聞いたことがある。答えは「これだから素人は困る。原発で事故は起こらない」というものだった。「放射性廃棄物はどうするんだ」と聞くと「いまは安全な処理法があるから何も問題はない」と彼は答えた。文字通り取りつく島もなく、ただ馬鹿にされただけで議論にもならなかった。

私はごく消極的な原発反対論者に過ぎなかったのでたいした知識は持ち合わせておらず、頭から決めてかかる原発推進論者にはまるっきり歯が立たなかったのだ。

だからいま日本を原発天国にしてしまった責任の一端は自分にもあると反省している。

しかし今後は違う。福島第一原発事故から「議論を放棄してはいけない」ということを学んだ。「原発で事故は起こらない」と言われたらわれわれは「なぜ起こらないと言えるんだ」と問わなければいけない。「ストレステストなどを経て万全の備えを整えているからだ」と言われたら「テロが起きたらどうする。ミサイル攻撃を受けたらどうする」と問わなければいけない。

つまり原発を再稼働するなら事故は起こるものと想定しなければいけないわけだ。事故が起きたときの対処法を万全にしてなお、被害を国民が受け入れられるレベルにとどめることができないなら、原発を持つ資格はないということだ。

従って原発再稼働の条件は、稼働時の安全性の確保ではまったく足らないことになる。事故発生時のあらゆる対処法まできちんと整えてはじめてやっと再稼働の検討に入ることができる。そこまで厳しいものでなければいけないはずである。



彼は嘘つきは泥棒のはじまりと教わらなかったのだろうか?

野田首相が就任後、はじめて沖縄を訪問した。目的は普天間基地を名護市辺野古に移設することを仲井真知事に納得させるためだ。

まぁ、今回それを達成できなくてもその足がかりぐらいはつかもうという考えだったのだろう。

当然のことだが、不発に終わった。多くの人が想像した通りの結果である。



野田首相もなんとか仲井真知事を味方につけようと必至に知恵を絞ったに違いない。そこで考えた決め台詞が以下の言葉だったのだろう。


野田首相は誰でも見破れるような嘘を自信たっぷりにつくという特技を持っている。この普天間移設問題でも言ってしまった。

別に辺野古移転が「唯一有効な方法」ではあるまい。確かに私の乏しい知識でも、米国や日本政府にとっては辺野古が望ましい候補地の一つであることはわかる。だが、真剣に検討すれば次善の策はいくつかあるはずだ。もしかすると辺野古移転よりもいい案が見つかるのかもしれない。

問題は、首相がコロコロ変わるなどさまざまな理由によって、辺野古移転以外の案が真剣に検討されていないということだ。政府をあげて真剣にいくつもの案を考え、検討に検討に重ね、その経緯をすべてつまびらかにしてなお「辺野古が最善」ということであれば、沖縄県民も受入れを検討するのではないだろうか。

辺野古移転が決まった経緯の中で多少は他の方法を検討しただろうが、真剣に沖縄の負担軽減を考えて取り組んだ形跡はまったく見られない。それなのに「辺野古移転が唯一有効な方法である」と決めつけられてはたまらない。

野田首相は子どもの頃に「嘘つきは泥棒のはじまりだよ」と周囲の大人に諭されたことはないのだろうか。

猿芝居にしか見えない政治家の原発議論を見て思うこと


NHKの日曜討論で、原発に関する議論をやっていたらしいのでNHKオンデマンドで見てみた。


議論を聞いている限り、ほとんどの政党(各党の政策責任者が出席していた)がいま停止中の原発を再稼働することに関しては慎重な見解を示していた。たちあがれ日本が唯一「エネルギー確保のために原発は必要である」というスタンスをとっているようだった。そのたちあがれ日本にしても、なにが何でも原発再稼働ということではなかった。

他の政党(民主党、国民新党、自民党、公明党、みんなの党、共産党、社民党)は早期の原発再稼働などとんでもないという意見で一致していた。

なかでも与党である民主党、国民新党は、はっきりと安全・安心が確保されない限り再稼働はあり得ないと明言していた。

であればわれわれは安心してことの経緯を見守っていればいいはずだ。残念ながら原発の安全・安心を確保することは並大抵のことでは成し遂げられない。つまりどうやったって性急な原発の再稼働という話にはならないわけだ。

ところが日々の報道を見ている限り、野田政権は原発再稼働に向け猪突猛進しているようにしか見えない。民主党も自民党もいざとなったら「原発再稼働やむなし」と言いだしそうな気がする。

まぁ、それだけ政治家の言葉が軽く感じられるということだ。

原発再稼働やその他の問題を無理に進めようとすれば、野田内閣はいずれ民意という巨大な壁に激突し立ち往生することになるだろう。結局、何も決まらず進まない。

政治が混乱していると、官僚が官僚による官僚のための国づくりを画策する。

やはりここらで大規模な政界再編、政治システムの再構築に踏みきるべきだろう。

2012年2月27日月曜日

政府と双葉郡の協議が急きょ中止に —中間貯蔵施設について—

中間貯蔵施設をどこにつくるか、その協議がまったく進まなくなっている。

政府と双葉郡の協議が急きょ中止に

まぁ当然だろう。政府の言うことを信用するお人好しはいまやほとんどいない。中間貯蔵施設と言いながら、それが最終処分場にならないという保証はどこにもないのだ。

細野環境相は次のようなことも言っている。



が、法律なんて後の政治家が変えてしまえばそれまでだ。

おそらくあと1カ月もすれば辛抱しきれずに細野環境相も野田首相も本性を表すだろう。双葉郡の方々は、その段階で自分たちにもっとも都合のいい選択肢を選べばいい。くれぐれも安易に妥協しないことだ。

【関連項目】

2012年2月26日日曜日

漏れては困る個人情報

あくまでも私個人の話だが、インターネット経由で漏洩して欲しくない自分の個人情報にはどんなものがあるだろうかと考えてみた。


というのは、グーグルに関する記事が目に止まったからだ。





よくよく考えてみたがクレジットカードの情報くらいしか思いつかん。

たとえメールの内容が漏れたとしても、いい気持ちはしないが困りはしない。貧乏なのでたいしたものを買わないからショッピング情報がばれても問題ない。

ネットでの検索内容が漏れても、大半は真面目なものだから別に構わない。まぁ、たまに変なものを検索していてもたぶん社会の許容範囲だと思う。

もちろん個人情報を漏洩させてはならないが、そんなことはグーグルもわかってるはずだ。

大騒ぎする必要はない。

復興へ まちづくり人材バンクに登録を

こんなことをやっているからダメという見本である。

復興へ まちづくり人材バンクに登録を

記事を読むと

〈国土交通省は、全国の人材を活用して被災地を支援しようと、民間のコンサルタントや学識経験者、それに自治体職員のOBなど、まちづくりに詳しい専門家の情報を集めた「復興まちづくり人材バンク」を作ることを決め、専門知識を持つ人たちの募集を始めました。〉

ということらしい。

もし私が自分の町を復興させようと思ったら、上記のような人たちは絶対にお断りである。

信頼回復のために徹底的な情報開示を

海外から原子力関連の専門家を招いて会議が行われた。



その会議で海外の専門家から以下のような指摘が為されたらしい。

〈「今回の事故によって日本政府と事業者に対する社会の信頼が失われた。回復には徹底した情報公開が必要だ」〉

果たしてこの言葉は当事者たちに届くのだろうか。

2012年2月24日金曜日

プライバシーって何だろう —餓死や衰弱死 異変把握対策を—

日本で、しかも周囲に人が大勢住んでいる場所で人が衰弱死したり餓死したりするという嫌な事件が増えている。

餓死や衰弱死 異変把握対策を

このようなニュースを見聞きするたびに「プライバシー」という言葉が気になる。

子どもの頃のことを言ってもしかたがないかもしれないが、その当時(およそ40年ほど前)はプライバシーなどというものは世の中にほとんど存在していなかった。仮にプライバシーを保とうとしても、どだいそれは無理な話しだった。

たとえば私は子どもの頃、団地というものに住んでいた。いまのマンションと比べれば圧倒的にボロいつくりだが、ドアを閉め切ればそれなりにプライバシーを保つことができたはずだ。だが実際はどこの団地でもそんなことにはならなかった。

当時はまだエアコンなるものはほとんど一般家庭には普及していなかった。従って晩春から初秋にかけての季節は、在宅時はドアを開けっ放しにしておいた方が快適だったのだ。極端な話、寝るとき以外はドアを閉めない家も多かったはずだ。加えて家賃の安い団地には子どもも多かったから、自然と近所付き合いせざるを得ない環境だった。

そんな環境では誰だって人知れず餓死なんてできやしない。

ところがいつしか「プライバシー」などという妙な言葉が蔓延しはじめてしまう。そして日本人は内へ内へとこもり始めてしまった。挙げ句の果てにいまではマンションでは隣近所にどんな人が住んでいるのかわからないことが当たり前になってしまった。その一方で孤独や孤立を感じる人が増え、社会とのつながりを求めている。

明らかにプライバシー権の扱いを間違えている。プライバシーなどというものは、重要な部分さえ守られればそれで十分なのだ。何もかも隠したがるのは犯罪者か変質者くらいのものだろう。

そろそろプライバシーやら個人情報保護などというややこしいことは脇に追いやって、社会システムをリセットするときなのかもしれない。

もともと人間は集団で生きる動物なのだから……。

食品放射性物質 新基準値を了承

4月から食品の放射性物質に関する新基準値が適用されることがようやく正式に決まったらしい。

食品放射性物質 新基準値を了承


「一般食品」は現在の暫定基準値の5分の1に当たる1キログラム当たり100ベクレル、「乳児用食品」と「牛乳」は50ベクレル、そして、「飲料水」は10ベクレルというのがその大まかな内容だが、この基準で十分安全であるという確証はどこにもない。が、またこの基準では危険であるという事実もどこにもない。

これはあくまでも基準値であり、安全かどうかの判断は各個人がするべきものだろう。専門家と称する者も「安全である」とか「危険である」と安易に決めつけた発言は控えてもらいたいものだ。

ちなみに私自身が摂取する食品は、この新基準の範囲内であればぜんぜん問題ないと考えている。

しかし家族の中に幼児がいれば、可能な範囲内で基準値以下の食品を求めるかもしれない。

そんな微妙なレベルの新基準値だと感じている。

2012年2月23日木曜日

深刻な原発事故 防止対策議論

ようやくまともな議論が始まったらしい。



参加した専門家から、「想定を超えた自然災害をはじめ、テロや航空機事故も具体的に検討すべきだ」といった意見が出されたということである。

まぁ、正直言ってそれほど大きな期待は持っていないが、どのような結果が導きだされるのか、一応注目しておきたい。

2012年2月21日火曜日

がれき広域処理を進めるために必要なこと

東日本大震災と大津波によってもたらされた膨大な量のがれきの処理が難航している。岩手・宮城・福島の沿岸部だけで2200万トン余りに上ると言われるがれきを処理するためには、日本全国の自治体に協力してもらって広域処理を進めるしかない。

ところが受入れを表明する自治体が現れても、その地域の住民が反対して広域処理が思うように進まない。




当初この問題を甘く見ていたように見受けられた細野環境相も、最近いらだちを隠しきれなくなってきたようである。






どうやら細野大臣はこのような状態になってもまだ、なぜ地域住民ががれきの受け入れに強硬に反対するか気づいていないらしい。

だからこんな無駄なことを言うことになる。

〈市民が直接、放射線量を測れるようにした例を挙げ、「できれば皆さんにみずから測っていただいて、不安を取り除いていただきたい。被災地と本当に復興していこうという気持ちを持っていただけるのであれば、安全に処理できるので、ぜひ手を貸していただきたい」と述べ、広域処理への協力を訴えました。〉

もはや政府の言うことを真に受ける者はほとんどいない。そのような状況下では(信用されていない)環境大臣が安全、安心と言えば言うほど疑念を持つのは当然のことである。

もし本当に広域処理を進めたいなら、安全とか安心とかいう言葉を気軽に言わず、丁寧に根気づよく実際のデータを提供し続けることだ。地域住民に要求された情報はつべこべ言わずにすみやかに提供する。問われたことには丁寧に具体的な情報を提示しながら回答する。わからないことはわからないとはっきり言う。

そのようにして提供したデータやその他の情報が地域住民が納得できるようなものであれば、やがて広域処理も進むようになるはずだ。

2012年2月20日月曜日

山口県光市母子殺人事件判決

発生から13年間、裁判のたびに世間の注目を浴びてきた「山口県光市母子殺人事件」。その判決が2月20日最高裁で言い渡された。





最高裁判所第1小法廷の金築誠志裁判長は、「何ら落ち度のない被害者の命を奪った冷酷、残虐で非人間的な犯行で、遺族の処罰感情はしゅん烈を極めている」と指摘、被告の上告を退け死刑が確定した。

この判決に対する意見はむろん賛否両論あるだろうが、私はやむを得ない決定だったと思う。

人として越えてはいけない一線を越えてしまった者は、その罪を命で償うしかないだろう。

被害者遺族の本村洋氏が記者会見で「被告の死刑の確定を厳粛な気持ちで受け止める」と述べていた。同様にこのような犯罪を起こさせてしまった社会は、被告の死刑を厳粛に受け止めなければいけない……そう強く思う。

2012年2月16日木曜日

放射性物質:乳児食品基準、50ベクレル堅持 文科省審議会答申、厚労省4月実施

放射性物質の食品基準について文部科学省と厚生労働省の意見が食い違っている。



ー以下記事抜粋ー
厚生労働省の諮問で食品中の放射性物質の新基準値案を審議していた文部科学省の「放射線審議会」(会長・丹羽太貫(にわおおつら)京都大名誉教授)は16日、新基準値案を批判する異例の意見書をつけつつ、同案を認める答申をした。意見書では、乳児用食品の1キロあたり50ベクレルを100ベクレルに緩めても健康は守られると記したものの、厳しい基準値を堅持する厚労省に歩み寄った。
ー記事抜粋ここまでー

「50ベクレルを100ベクレルに緩めても健康は守られる」とは現段階では誰も言い切れないはずである。

こんなことを言っているから国のやっていることが信頼されなくなるのだ。

2012年2月14日火曜日

日銀さらなる金融緩和を決定


日銀はデフレからの脱却を図るため、今後目指していく具体的な物価上昇率を1%とすることを新たに掲げ、市場に大量の資金を供給する基金の規模をこれまでより10兆円増やす、一段の金融緩和に踏み切ることを決めた。


安住財務大臣は日銀のこの動きを大いに歓迎しているらしいが、むろんこんな小手先の金融政策でデフレが解消されるわけもない。

政府にはもっと真面目にやってもらいたいものである。

原発再稼働 賛成22%反対36%


NHKが行った世論調査の結果に少々驚いている。

震災の影響や定期検査などのために停止している原子力発電所の運転再開についての賛否。「賛成」が22%で、「反対」が36%、「どちらとも判断がつかない」が36%だったという。


まず22%も再稼働に賛成な人がいることに驚くが、まぁ考えてみれば当たり前かもしれない。今後原発事故が起こったとしてもさほど大きな不利益を被らず、原発があった方が都合がいいと考える人が22%くらいは日本にはいるのだ。

だから日本では脱原発が進まない。

おまけにこの期に及んで「どちらとも判断がつかない」という人が36%もいるらしい。正直言って「賛成22%」よりもこっちの方に驚いてしまった。

すべてのことに自分の意見を持つのは大変だが、重要な問題くらいはしっかりと考え、自分の意見を持ってもらいたいものである。

2012年2月13日月曜日

国会でいじめられている

野田首相が「国会でいじめられている」と高校の同窓会でぼやいたらしい。

 首相“国会でいじめられている”

ニュースのタイトルを見て野田嫌いの私は多少不快な気持ちにはなったが、むろん「いじめられている」というのはほんのジョークだろうから、そこに突っ込むつもりはさらさらなかった。

が、それを伝えるニュースを読んでみてちょっと見過ごせない発言があったのでそこには少々突っ込みをいれておきたい。

野田総理はこんなことを言ったらしい。


「ねじれた国会の中で苦労している。国会の中でも、クイズみたいな質問がいっぱい出て、いじめられている」

こんなことを言っている限り「野田政権には何も期待はできないな」と改めて思う。
よくメディアでねじれ国会が諸悪の根源のようなことを言う人を見かけるが、それは根本的に間違っている。

国会がねじれているからこそ議論百出となり、最終的にはいい結果が得られるはずなのだ。

原発再稼働、被災地復興、増税、TPP、普天間……。どのような問題でも、政府がきちんと考えぬき、結果にいたる過程を明示すれば世論の指示は得られる。

その世論を無視して反対を唱え続けられるのは、本当の愚か者と本当の賢者だけだ。

私は国会に本当の愚か者があれほどたくさんいるとは思わないし、本当の賢者があれほどたくさんいるとも思えない。

つまりこれほど国会が紛糾するのは、野田内閣を多くの人が信任していないことが真の原因なのだ。

2012年2月12日日曜日

福島第一原発事故“深刻事態シナリオ”公表せず


(2月12日 19時2分)
NHKニュースによると、原子力委員会の近藤駿介委員長が、去年3月25日に「福島第一原子力発電所の不測事態シナリオの素描」というタイトルの文書を政府に提出していたということである。


原子炉や使用済み核燃料プールに注水できなくなって、格納容器が壊れたり燃料が露出したりすれば、大量の放射性物質が放出されることも想定されるとしている。
その上で、こうした事態が起きた場合、住民を強制的に移転させる範囲が半径170キロ、任意の移転が必要になる範囲が半径250キロと、首都圏を含む範囲での住民避難などが必要になる可能性があり、こうした事態を防ぐため、原子炉を冷やす手段を多様化する必要があるなどと対策を示している。

当時、この事実をしっかりと把握していたのは菅首相と細野総理大臣補佐官(いずれも当時の肩書き)だったらしいが、「過度の心配を及ぼす可能性があると考え」公表を見送ったということである。

2012年2月10日金曜日

臓器移植の意思表示をしよう

たまたま早く帰宅することができたので、自宅で夕食をとりながらテレビを見ているとNHKのクローズアップ現代という番組で臓器移植のドキュメンタリーをやっていた。

「家族が脳死になったとき」

番組は脳死になった患者の家族が医師から臓器提供の話を聞かされるが、本人の意思表示がなかったため残された家族が臓器提供するかしないかで思い悩む、その姿を追ったものだ。

理詰めで考えれば、脳死になってしまい回復の見込みがないのなら、すでに意識もなく痛みも感じないわけだから、使えるものをすべて提供してもなんら差し支えない、ということになるだろう。


だが実際はそう簡単に割り切れるものではない。番組の中でも臓器提供を承諾する家族もいれば、断る家族もいる。そしてどちらの家族も自分たちが下した判断が正しかったか、間違っていたか、ずっと思い悩む。

この問題に正解はないのだと思う。

臓器提供をする場合の脳死判定はかなり厳密に行われると聞いている。そのような状態から蘇生した人がいない以上、脳死が本人にとってはどういう状態なのかは想像するしかない。あとは残された家族がどう判断するかだが、その判断には様々な要因が影響するだろうから部外者が口を挟む余地はない。

番組を見ながらそんなことを考えていてふと思った。いま私が脳死になってしまったら、どんなことになるだろうか。

家族は年老いた両親だけである。もう80過ぎの二人が医師に臓器提供しますか、と聞かれてもオロオロするだけだろう。まぁ、両親より先に私が死ぬことはないと思うが、世の中に絶対はあり得ない。そこで念のため意思表示をしておこうと思い立った。

正直言って少々怖いが臓器はすべて提供しようと考えている。

私が脳死になる可能性はそう高くはないだろうが、こうやって決めておけば年寄りに余計な負担をかけることもない。

自分は臓器提供をしたくないと考えている人も大勢いると思うが、そんな人も意思表示をちゃんとしておいた方がいい。

仮に私が臓器を提供したくなく、そのために意思表示していなかったとしよう。そんな私が事故で脳死になった際、もし担当の医師が脳死移植に積極的な医師だったとしたら……。その医師が年老いた両親を説得するのはわりと簡単だろう。そして私は自らの意志に反して臓器をすべてとられてしまうことになる。

臓器提供を「する」「しない」にかかわらず、意思は明確に示しておこう。

2012年2月8日水曜日

日本人の欠点

チンパンジーは、仲間が困っていると分かると状況を的確に判断して手助けすることができるという。詳しくはこちらの記事を参照

と言っても、自ら進んで助けるというわけではなく、相手に助けを求められると心良く手助けするということらしい。つまり助けを求められなければ相手が困っているということに思いが及ばないか、分かっていてもあえて無視するということだ。

もうひとつ、福島第一原発事故をめぐる日本のドタバタを観察して、こんなことを書いた米国メディアがあったらしい。

「メディアに限らず、日本人は相手が日本人だと批判を遠慮するところがあるように見える。米国人は相手が同じ米国人であろうとなかろうと、悪いと思えば徹底的に追及する」

上記はどちらも最近読んだ記事なのだが、どうにも考えさせられる内容である。

まず、チンパンジーの話。

チンパンジーは、相手に助けを求められると心良く手助けする。しかし、頼まれないと自ら進んで助けようとはしない。

「チンパンジー」のところを「日本人」と置き換えてみる。

日本人は、相手に助けを求められると心良く手助けする。しかし、頼まれないと自ら進んで助けようとはしない。

日本人の特徴をうまくとらえていると思うのは私だけだろうか。

つづいて米国メディアの話。

これはずいぶん以前から気になっていたのだが、日本人はどうも身内に甘く他人に厳しいという傾向があるように思えてならないのだ。

赤の他人がしでかした些細な過ちを口を極めて罵ったかと思うと、身内の不始末には驚くほど寛容な態度を示す。もちろん欧米人にしても多少はそのような傾向はあるに違いない。だが、日本人の場合はかなり極端なのだと思う。

昨年、東日本大震災に見舞われたとき、被災者が落ち着いて助け合う姿は海外からずいぶん賞讃された。おそらくそれは「助けを求められれば心良く助ける」「(被災者同士という)身内には優しい」という日本人のいいところが出た結果なのだ。

しかし、災害発生から1年が経とうとしているいま「自ら進んでは助けようとしない」「赤の他人には冷たい」という日本人の悪い面が出かかっている。

そんな気がしてならない。