2012年2月24日金曜日

プライバシーって何だろう —餓死や衰弱死 異変把握対策を—

日本で、しかも周囲に人が大勢住んでいる場所で人が衰弱死したり餓死したりするという嫌な事件が増えている。

餓死や衰弱死 異変把握対策を

このようなニュースを見聞きするたびに「プライバシー」という言葉が気になる。

子どもの頃のことを言ってもしかたがないかもしれないが、その当時(およそ40年ほど前)はプライバシーなどというものは世の中にほとんど存在していなかった。仮にプライバシーを保とうとしても、どだいそれは無理な話しだった。

たとえば私は子どもの頃、団地というものに住んでいた。いまのマンションと比べれば圧倒的にボロいつくりだが、ドアを閉め切ればそれなりにプライバシーを保つことができたはずだ。だが実際はどこの団地でもそんなことにはならなかった。

当時はまだエアコンなるものはほとんど一般家庭には普及していなかった。従って晩春から初秋にかけての季節は、在宅時はドアを開けっ放しにしておいた方が快適だったのだ。極端な話、寝るとき以外はドアを閉めない家も多かったはずだ。加えて家賃の安い団地には子どもも多かったから、自然と近所付き合いせざるを得ない環境だった。

そんな環境では誰だって人知れず餓死なんてできやしない。

ところがいつしか「プライバシー」などという妙な言葉が蔓延しはじめてしまう。そして日本人は内へ内へとこもり始めてしまった。挙げ句の果てにいまではマンションでは隣近所にどんな人が住んでいるのかわからないことが当たり前になってしまった。その一方で孤独や孤立を感じる人が増え、社会とのつながりを求めている。

明らかにプライバシー権の扱いを間違えている。プライバシーなどというものは、重要な部分さえ守られればそれで十分なのだ。何もかも隠したがるのは犯罪者か変質者くらいのものだろう。

そろそろプライバシーやら個人情報保護などというややこしいことは脇に追いやって、社会システムをリセットするときなのかもしれない。

もともと人間は集団で生きる動物なのだから……。

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