2012年2月28日火曜日

われわれには原発を持つ資格がないという事実を認めることからはじめよう

少しずつ福島第一原発事故の検証が進み、いろいろなことがわかってきた。科学的、技術的なことはあまりよくわからないが、ひとつだけ指摘しておきたいことがある。

まず、いくつか参考になる資料を掲げておく。



上記の記事を読んで私が感じたのは、

「われわれにはまだ原発を持つ資格がなかったのだな」

ということだ。

アメリカ原子力規制委員会は事故の5日後にはすでにメルトダウンの可能性を把握し、日本にいる米国民に警告を発していた。それに対し日本では、一部の人間はその事実を知っていたにもかかわらず、はるかに狭い範囲の警告しか出されなかった。

しかも事故対策は、現場を知らず、SPEEDIの存在すら知らなかった首相以下の政治家によって取り仕切られていた。大オーケストラの指揮をスポーツ選手がやってるようなものだ。うまくいくわけがない。

一時は東京でも避難が必要と思われるほどの危機的状況に陥っていたのに、周辺住民にも国民にも何も知らされなかった。

これらは次の驚くべき事実を示している。

「事故が起きたときのことが何も想定されていなかった」のだ。

日本の原発は事故が起きないということを前提に稼働していたわけだ。

そう言えばむかし、原発関連の仕事をしている人に「事故が起きたらどうするんだ」と聞いたことがある。答えは「これだから素人は困る。原発で事故は起こらない」というものだった。「放射性廃棄物はどうするんだ」と聞くと「いまは安全な処理法があるから何も問題はない」と彼は答えた。文字通り取りつく島もなく、ただ馬鹿にされただけで議論にもならなかった。

私はごく消極的な原発反対論者に過ぎなかったのでたいした知識は持ち合わせておらず、頭から決めてかかる原発推進論者にはまるっきり歯が立たなかったのだ。

だからいま日本を原発天国にしてしまった責任の一端は自分にもあると反省している。

しかし今後は違う。福島第一原発事故から「議論を放棄してはいけない」ということを学んだ。「原発で事故は起こらない」と言われたらわれわれは「なぜ起こらないと言えるんだ」と問わなければいけない。「ストレステストなどを経て万全の備えを整えているからだ」と言われたら「テロが起きたらどうする。ミサイル攻撃を受けたらどうする」と問わなければいけない。

つまり原発を再稼働するなら事故は起こるものと想定しなければいけないわけだ。事故が起きたときの対処法を万全にしてなお、被害を国民が受け入れられるレベルにとどめることができないなら、原発を持つ資格はないということだ。

従って原発再稼働の条件は、稼働時の安全性の確保ではまったく足らないことになる。事故発生時のあらゆる対処法まできちんと整えてはじめてやっと再稼働の検討に入ることができる。そこまで厳しいものでなければいけないはずである。



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