2012年11月15日木曜日

20121112_菅政権の概略

菅直人の内閣総理大臣在任期間は、2010年6月8日から2011年9月2日までである。

前任の鳩山由紀夫内閣と異なり、菅直人内閣は党の実力者小沢一郎との確執があり、最初から波乱含みの誕生だったと言える。が、ともかく小沢グループが推す樽床伸二との代表選に勝利し、菅直人は総理大臣に就任した。

しかし、就任直後の7月11日に投開票された第22回参議院議員通常選挙でいきなり大敗北(選挙前の54議席を44議席に減らし、参議院で与党は過半数割れとなる)を喫してしまう。おかげで菅内閣は、党の内外からその責任を問われ批判にさらされることとなる。

小沢グループなどは、まるで他党であるかのような風情で菅直人を批判していたが、よく考えるとおかしな話である。

くだんの参院選は政権誕生後、わずか1カ月余りで行なわれた選挙である。総理大臣であり民主党代表でもある菅直人は、その1カ月の間に大きな成果は上げていないが、むろん大きな失敗もおかしていないという状態だ。野党ならともかく同じ党の議員が、そのようなタイミングで行なわれた選挙の責任を、自党の代表である菅直人に押しつけようとするのはどう考えても無理がある。まぁ、形式上は党の代表が責任を問われることはしかたないことだが、それは他党が言うべきことで身内が言うことではない。

参院選敗北は、私の見立てではむしろ、失策を繰り返した前内閣の鳩山由紀夫と金権イメージを身にまとう鳩山(ここでも登場)、小沢らの責任の方が大きい。

続けて菅直人は、党の規定により9月にも民主党代表選を戦うことになる。この代表選には満を持して小沢一郎が出馬する。てっきり「小沢一郎は、背後で物事を操ろうとするタイプであり、総理大臣になって表舞台で活躍しようとはしないだろう」と私は考えていたのでこれは意外だった。

党内の最大派閥を率いる小沢グループと現職菅直人の争いは、接戦になると見られていたが、あにはからんや結果は菅直人の圧勝で終わる。

実は、この代表選で民主党の内部抗争は収まり、菅政権が実力を発揮するのではないかとほんの少しだけ期待した。

だが、秋から冬にかけての菅政権はほとんど何もできずに終わり、あの……3月11日を迎えてしまう。

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