2013年12月11日水曜日

最もわかりやすい「特定秘密保護法」(2)メディア・知識人たちの失敗

「特定秘密保護法案」が衆議院で可決される頃(11月26日)、この法案に反対する世論が一気に高まってきたかのような錯覚を覚えた時期があった。

朝日新聞を筆頭にマスメディアの大半が一斉に法案に対する危惧を伝え出し、日弁連やペンクラブ、学者、市民団体などが、それに呼応するように法案に対する懸念を表明したからである。しかも国会周辺では、連日のようにデモや集会が行なわれた。

与党が衆参で安定多数を保持している以上、法案の成立自体は防げなくても、「恣意的な運用の回避」「秘密にしておける期間の短縮」などについては、ある程度の修正を勝ちとることができるのでは、と期待をいだかせる勢いだったわけだ。

だが驚いたことに、法案はほとんど与党(および官僚)の思惑通り、いや思惑以上の非常に好ましい内容(もちろん与党や官僚にとってという意味である。私は特定秘密保護法に強く反対する立場である)で成立してしまった(と私は考えている)。あれほど、マスメディアが騒ぎ立て、世の中に影響力を持つであろう知識人たちが声を上げたのにもかかわらずである。

いったいどうしてこのようなことになったのだろうか。今回のことで私は、はっきりと従来のマスメディアと世論の関係が変化していることを感じた。何が原因で、どのように変化しているのか、この気になる問題を私なりに少し考えてみた。

最初に、最も早い時期から法案に反対していた田原総一朗氏が、法案成立後反省の弁を述べている。その事例について考えてみよう。以下にリンクを貼っておくので、興味のある方はご一読を、興味のない方は無視していただきたい。

悔やんでも悔やみきれない、特定秘密保護法案

田原氏の言いたいことをとても簡単にまとめると、法案のいろいろな欠点をあれこれ言い立てたが、肝心なことへの言及が弱かった。だからダメだったということを述べている。どうやら田原氏は、「特定秘密保護法案の成立したことで警察・公安による治安強化が始まり危険である」ということを問題視しているようだが、それを言い立てたところでやはり世論は動かなかっただろう、氏の反省はピントがずれていると私は感じた。

続いてはマスメディア代表、朝日新聞の記事についてである。

暴走、1強国会 首相不在、雑な審議 秘密保護法案
(秘密保護法案)「いったいどんな国にしたいのですか」 山田洋次監督

今回の特定秘密保護法案に関して、朝日新聞は徹底的に反対し続けた。ちょっと過剰とも思えるほどの勢いだったが、残念ながらそれはほとんど読者には伝わらなかったようである。それもそのはず、第二次世界大戦前の治安維持法やら報道の自由などを持ち出して、法案の危険性を必要以上に拡大解釈して伝える姿勢は、法案に反対という同じ立場にいる私でさえ疑念を感じるものだったからだ。

また、国会周辺では連日のようにデモや集会が行なわれた。

国会周辺 市民団体などが抗議活動

デモの現場に実際に行ったわけではないのでメディアを通して受けた印象に過ぎないが、多くのデモ参加者は法案の廃案を求めていたように感じた。「正しいのは自分たちであり、法案は全面撤回すべき」というわけだ。自分の意志を何らかの形で表明することは大切だが、私はデモや集会などで一方的に「反対、反対」と大声を上げる活動が、必ずしもいい活動であるとは思わない。ツイッターやフェイスブック、ブログなどでいろいろな人の考えを見ていると、思いのほかデモや集会に否定的な意見は多い。もちろんそれらの活動が有効な場合もあるとは思うが……。

最後に、香山リカ氏のツイッターでのぼやきを紹介しておく。

秘密保護法に反対してる人がみなキライだからきっと良い法律

事実かどうかわからないが、ネット上にはきっとこんな人もいるだろうなと思う。これからは、知識人も上から目線で一方的な意見を言うだけでは指示を得られない。どう自分の意見を伝えるか、常に工夫することが求められている。

結局、著名なジャーナリストの発言も、マスメディアの集中報道も、著名人・知識人の訴えも、デモや集会も、大衆の心を強く揺さぶることにはならなかったようである。では、どうして大衆に伝わらなかったのだろうか。

それは、大衆にわかってもらうための努力と工夫が足りなかったのだと思う。

今回のような、将来こうなる危険性があるよという話は、いいも悪いもどちらも予想に過ぎない。意見が対立している以上、自分が100%正しいという意見は、ほとんど通用しないと考えた方がいい。実際に前のエントリーで書いたように、特定秘密保護法には有益な部分もある。それにもかかわらず、自らに都合のいい部分ばかりをクローズアップして言い立てるという手法は、今やかえって反発を招くだけなのだ。ネットがここまで進化した社会ではある程度の情報は、スキルさえあればわりと簡単に、ほとんど費用もかけずに手にいれることができる。つまり、嘘やごまかし、手抜きはすぐにばれてしまう。

特定秘密保護法に反対する勢力は、以上のような状況を考えれば法案の廃案を主張すべきではなかった。有効に機能する部分は率直に認めて、危惧する部分を拡大解釈することなく、具体的にわかりやすく適確に指摘していくべきだったのだ。丁寧に、何度も、何度も。

民主主義社会では、最大の権力者は大衆である。その大衆がブログやSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)など、自分の意見を簡単に発信できる手段を手にいれたいま、メディアや知識人はもうワンランク上の表現力、伝達力を求められているとキモに銘じたほうがいいだろう。



2013年12月9日月曜日

最もわかりやすい「特定秘密保護法」(1)特定秘密保護法は悪法なのか

特定秘密の保護に関する法律(特定秘密保護法)」は悪法なのか?


朝日新聞や多くの知識人と言われる人たちがこぞって反対した「特定秘密保護法」だが(筆者も現行の内容には強く反対という立場である)、果してそれほど悪法なのかどうか、いま一度、冷静かつ客観的(← できるだけね)にしっかりと考えてみたい。

特定秘密保護法のメリットはなんだろう?


【メリット1:守るべき機密がしっかりと守られるようになる】
国には、国民にも一時的に隠しておかなければいけない機密が存在することに異を唱える人はあまりいないだろう。それを保護する法律ができたということは、いままで以上に大切な機密はしっかりと守られることになる。したがって、日本の防衛力(テロ対策も含む)はより強化されるだろう。

【メリット2:良好な関係にある友好国との情報共有がより行ないやすくなる】
日本がスパイ天国であったかどうかは別として、日本と共有したい情報を持つ友好国は、より安心して機密情報を日本と共有できるようになる。その結果、日本の防衛力(テロ対策も含む)はこのことによってもより強化されるだろう。

つまり特定秘密保護法ができたことによって、日本の安全性はより高まることになる。これはほぼすべての人にとって望ましいことだと思う。


これはメリット、デメリット?


【その1:米国(その他の友好国)との関係がより強固なものとなる】
安倍政権はいま、特定秘密保護法と前後して、武器輸出三原則や集団的自衛権の見直し、原発のベース電源化などに着手している。特定秘密保護法が成立したいま、これらを実施することにより日本は、ロボット兵器や化学兵器の開発、情報技術を利用したスパイ行為、核関連技術の開発、海外での戦闘行為などを米国やその他の友好国と共に、国民に詳細を知らせることなく実行できるようになる。むろん日本の先端技術を持つ企業を巻き込むこともできる。もしかするとこれは、経済的には日本にメリットをもたらすのかもしれない。だが、そのような行為は絶対に受け入れられないという人々も多いだろう(筆者の立場は後者である)。また、メリットのところで日本の安全性が高まると書いたが、今後の世界情勢によっては米国とその友好国の安全性がテロリストなどによって脅かされる可能性が高まることは否定できない。米国との関係が緊密になればなるほどテロリストの脅威は増すことになるのかもしれない。

【その2:米中の接近を阻むことができる】
中国はいま、米国との関係を良好なものとし、アジアにおける自らの覇権をより強固にしていきたいと考えている。「その1」で書いたように日米関係がより緊密なものになることによって、その中国のもくろみは崩れる。これは一見、日本にとってメリットであるように思えるが、中国にとってはますます日本が邪魔ものとしての存在感を増すことになる。対中国外交を考える時、これがメリットなのかどうかは疑問である。

特定秘密保護法のデメリットはなんだろう?


【デメリット1:恣意的な運用を防ぐ手立てがない】
最大のデメリットはなんといっても恣意的な運用を防ぐ手立てがないことである。そのうえ国民は、何が秘密になっているかを知ることさえできない。もちろん官僚たちがなんでもかんでも秘密にするわけではないだろう。しかし、都合の悪いこと、組織のミス、幹部のミスなどはまちがいなく秘密とされるだろう。これは性善説、性悪説の問題ではない。人間の心は弱いという観点に立ってものごとは考えなければいけない。このようなすこぶるあいまいな法律をつくれば、機密でもなんでもないたんなる不都合な情報が秘密指定されてしまうことは確実である。むろん、私が事務次官クラスの官僚なら都合の悪いことはすべて秘密にする。

【デメリット2:秘密にできる期間が長く、闇から闇に葬られる可能性がある】
特定秘密保護法では、5年、30年、60年という期限が設けられているが、内容によっては永久に秘密にしておけるという抜け道も用意されている。国の情報はどんなものでも最終的には国民のものである。しかも長期間秘密にしておきたい情報は、必然的に重要情報に決まっている。それを闇から闇へ葬ることができるというのは明らかに大きなデメリットである。

さて残念なことに、法律はすでに成立してしまった。だが、冷静に考えればこの法律にはメリットも十分にある。ということはデメリットの部分をなくせば悪法ではなくなるということだ。

簡単ではないが、あきらめずに働きかけていきたいと思う。



2013年11月28日木曜日

社会できちんとした人間教育を受けられないと気の毒なことになるという話

私は営業職というわけではないのだが、どういうわけか昔から営業も兼務していた。まぁ、零細企業ではよくある話である。当然、いろいろな顧客のところへ行くわけだが、その客先でいつも感じていたことがある。

それは、人間教育をしっかりやらない会社に入った人は気の毒だな、ということだ。あっ、間違えないで欲しいんだが、私が言っているのは“社員教育”ではなくて“人間教育”である。

普通、従業員を雇う会社なら、大きかろうが小さかろうが会社の仕事をしてもらうための手順や、その会社における最低限のルール、マナーのようなものは教える。そうしないと使いものにならないのでね。ようするにその会社の社員のための教育、つまり社員教育である。だから、この社員教育に関しては、ほとんどの会社がきちんと実行する。

だが、会社の仕事に直接関係ないことまできちんと教えるかどうかは、企業によって大きく異なる。

わかりやすい例をひとつ上げると、たとえばこんな具合だ。零細企業の営業はときどき配達員にも変身する。そうすると、取引先の普段行かない部署などに品物を持っていったりするわけだ。で、ときどきひどい扱いを受けることがある。

「すみません、納品にうかがいましたぁ」と声をかけても、広いオフィスにいる数十名の社員が誰も応対してくれないとかね。
「そこに置いといて」とか、あごで指示されたりね。
最後に「ありがとうございました」と言っても、だ〜れも返事してくれないとかね。

わりと丸の内あたりのでっかいビルにご本社がある、一部上場、超有名会社にこういうケースは見られたりする(そういう会社けっこう何社もあったなぁ)。

思うんだけど、これは社員うんぬんではなくて、人としてどうなの、というレベルの話だ。

誰かが来たら、できるだけお待たせしないのは普通の心遣いだと思う、来たのが誰であっても。まぁ、普通の家なら相手が押し売りかもしれないから、ドア越しの応対でもいいし、のぞき穴からのぞいて、あまりにも怪しい風体だったら無視しても仕方がないこともあるだろう。しかし、オフィスに来た配達員無視ってのは理解できないし、「ありがとうございました」の言葉に「ごくろうさま」のひと言も返せない社員がいたら、私がその部署の上司なら激怒レベルの大ごとだ。

まぁ、これはほんの一例であって、知らず知らずに犯している礼儀知らずや恥ずかしい行ないは他にもたくさん見聞きする。それに最近は、上っ面だけ取り繕っている会社も見かけることが多くなった気がしている(上っ面だけ取り繕ってもメッキはすぐハゲ落ちる)。

ついこの間、初めてお伺いする会社に行って、久し振りに理解不能な応待をされて驚いたのと同時に、そういう“人間教育”をきちんと受けることができないというのは、とても気の毒なことだなぁと思った次第である。

2013年9月14日土曜日

Google+ の埋め込み機能について

Google+ の投稿をブログやサイトに埋め込みができるようになったらしい。

で、試してみたい。



なるほど簡単である。
+1もBlogger上で押すことができる。 こうなると、Google+ の使い方が変わりそうである。

2013年8月24日土曜日

戦術上の誤りやためらい

人はなぜ失敗するか。
そのひとつのパターンに以下のようなものがある。

『キッシンジャー秘録(1)ワシントンの苦悩』p.22 より引用
〈もっとも偉大な大統領の一人になったかもしれない男が、その目標を達成できなかった。これを知ることは、その友人たちにとっては、いっそう辛いことだった。なぜなら、われわれは戦術上の誤りやためらいがなければ、結果が違うものになっていたことを、内心では知っていたからだった。〉
※もっとも偉大な大統領の一人になったかもしれない男……ネルソン・ロックフェラー(1908年7月8日 - 1979年1月26日)のこと。

どんなに高尚な目的を持っていても、戦術に誤りがあればうまくいかない。しかしそれよりも、もっとはるかに問題なのは、目標が高ければ高いほど、目的が高尚であればあるほど、人物が高潔であればあるほど、実行に「ためらい」が生じるということだ。

事を成そうとするものは、馬鹿になり切らなければけっして成功しない。良識から生ずる「ためらい」に成功を妨害させてはいけない。

2013年7月21日日曜日

今回の参議院選挙は、個人的には野党選択選挙だったのだが……

公示日から投票日の間に何らかの動きがあって、「自民党大勝という雰囲気から潮目が変わり、混戦模様にならないだろうか」と密かに期待していたのだが、残念ながら何事も起こらず投票日を迎えてしまった。

ということは、大方の予想通り自民党圧勝という結果になるだろう。

したがって夜の選挙特番を見る際の注目点は、以下のようなことになる。

・自公でどれだけ勝つか。
・野党の勢力図はどうなるか。
・消滅の危機に瀕している政党はどうなるか。
・民主党は消滅危惧政党の仲間入りをするのか。

私はもともと何か大きな問題が起こらないかぎり、今回の選挙で自民の勝利は揺るがないとあきらめていた。自民党を支援しているわけではないが、昨年末の衆議院選挙以降の半年、安倍政権は大きなミスをすることなく政権を担ってきたことは事実だからだ。

だが、自民党一党支配になってうまくいくとは到底思えない。どうしても政権を厳しく監視し、ブレーキ役になる野党勢力が必要になる。

果して、今回の選挙でそのような野党勢力ができるのかどうか。やはりその点に一番注目したい。

2013年1月10日木曜日

20130109_今年は馬鹿・愚鈍・無能・野暮で行く

いろいろ考えた結果、今年は「馬鹿・愚鈍・無能・野暮」で行くことにした。

ようするに、素のまま、ということだ。

何ごとにおいても飾らず、ごまかさず、まっすぐ突き進むと私の場合「ばかで、ぐどんで、むのうで、やぼ」な奴になる。

何でこんな阿呆な年間目標を立てたかというと……。私はかれこれ30年以上仕事を続けてきた。その結果どうも、有益なスキルだけでなく、副産物として妙なテクニックを身につけ過ぎたような気がするのだ。

知りもしないことを知っているようなふりをしたり、できもしないのにできるように見せかけたり、必要以上に安くしたり高くしたり……。

はっきり言って世の中上を見れば切りがないし、下を見ても切りがない。この無能な私でも騙せる相手はたくさんいる。しかし、騙せない相手はそれ以上にたくさんいる。

で、どちらかと言うと(しかも多くの場合)騙せない相手の方が自分にとっては大切な人たちなのだ。

どうせ騙せないのなら、妙なテクニックは無用だろう。

さて、どういうことになるか……、けっこう楽しみである。