2012年3月4日日曜日

いじめと虐待問題について

いじめや児童虐待が増えているらしい。



私はこの「いじめ」「児童虐待」という用語の使い方が適正ではなく、おかげで世の中に大きな誤解が生じたと感じている。

学校で撲滅すべき生徒間の問題は「いじめ」ではなく犯罪である。

暴力をふるってケガをさせればそれは傷害である。靴を隠したり学習用具を奪えばそれは窃盗である。「いじめ」というくくりに入れられているが、実際は犯罪行為であることはかなり多いような気がしている。子どもが犯罪行為を犯した場合は、学校、教員、父兄が関与して厳しく処罰するべきだろう。特に人を傷つける行為には容赦はいらない。

反対に多少の口論、ちょっとした小突き合い、仲間はずれなどに過敏に反応する必要はない。そのようなことは誰もが経験することだ。人間は集団で社会を構築する動物だから、小さな争いはいつでもどこでも必ず発生する。子どものときに経験するいさかいは訓練に過ぎない。昔から子どものケンカに親は口を出すなと言われてきた。できるだけ自分たちで問題を解決させた方が将来のためなのだ。問題が大きくなり過ぎた時だけ大人は関与すればいい。

ところがいまは、なんでもかんでも「いじめ」と受け止め大人が関与してやめさせようとする。そのような過干渉が子どもの社会への適応力を奪うのだ。

一方、家庭で撲滅すべき問題も「児童虐待」ではなく犯罪だ。
子どもは親の所有物ではない。子どもへの行き過ぎた暴力や養育の放棄は犯罪以外の何ものでもない。これも遠慮なく処罰すべきだ。また子どもが限度を超える暴力を受けている証拠を見つけた場合などは、当局に通報する義務と注意する権利をすべての人が持つと認識すべきだろう。児童相談所などが親権を気にするあまり、なかなか強制的に踏み込もうとしないのは間違いである。基本的には火のないところに煙は立たない。

だが、子どもには厳しいしつけも必要である。子どもの頃、夕食を食べさせてもらえなかったり、ひっぱたかれたり、家に入れてもらえなかったりという罰を与えられた経験は多くの人が記憶にあるだろう。子どもには尻を叩かれたり、家の外に立たされた程度の経験はさせておくべきである。体罰を全面否定する教育の専門家もいるようだが、節度ある体罰は子どものしつけには有効である。

愛情あるしつけと犯罪である暴力を、近隣の住民、児童相談所、警察、裁判所のすべてが見間違うことなどあり得ないのだから、親の子どもに対する犯罪的行為を目撃したら遠慮なく関係機関に通報しよう。

2 件のコメント:

  1. 始めまして。通りすがりですが一言。
    窃盗や障害を万引き・虐めといった表現でオブラートに包んでしまう事に違和感を覚えますし、被害者の心情を考えれば言うべき言葉ではありません。
    その点は私も同意見です。

    ただ一点。

    >近隣の住民、児童相談所、警察、裁判所のすべてが見間違うことなどあり得ないのだから

    この考え方が怖いのです。
    現に私は児童相談所に子どもを奪われそうになりました。
    虐待とは縁のない我が家でです。
    疑われたら一時保護が行われます。
    虐待の有無は無関係です。
    裁判所の許可も必要ありません。
    警察も児童相談所相手に捜査をすることはありません。
    以前でしたらあなたの考えに賛同しましたが、児童相談所の実態を知った今は賛同出来る道理がなくなりました。
    経験した人にしかわかる事ではありませんが、「確証の無い通報」は虐待を防ぐとともに、虐待の無い家庭の崩壊を招く結果になりかねません。
    遠慮して通報してほしいものです。

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    1. >子育て父さんさま

      貴重なご意見ありがとうございます。

      確かに私の〈近隣の住民、児童相談所、警察、裁判所のすべてが見間違うことなどあり得ないのだから〉という表現は正確性を欠いた表現だったかもしれません。失礼いたしました。

      世の中には100%こうだと断定できることはほとんどないので断定的な表現はするべきではありませんでした。上記ご指摘箇所を以下のように訂正させていただきます。

      〈近隣の住民、児童相談所、警察、裁判所のすべてが事実を同時に見間違うことなどほとんどあり得ないのだから〉

      また〈「確証の無い通報」は虐待を防ぐとともに、虐待の無い家庭の崩壊を招く結果になりかねません。〉というご意見については同意です。

      いい加減な情報や判断に基づく通報はするべきではないでしょう。疑わしいと思ったらまず、通報に足る事実があるのかどうか確認する努力をすべきと思います。いつも見かけていた子どもをあまり見かけなくなったとか、泣き声がしょっちゅう聞こえるとかいう事実を積み重ねたり、可能であれば接触を試みたりすることで判断ミスは減らすことができます。
      私にも以前近所で子どもの泣き声が頻繁にするので虐待かと思い、気になって調べたら泣き声がするのは知人の家だということがわかり私の思い過ごしだったということもありました。
      もちろん一個人には何の権限もありませんからやり過ぎは禁物、あくまでも無理なく他人に迷惑をかけない範囲でということです。その上でどうしても心配だったら状況を正確に児童相談所等に伝えるべきでしょう。

      〈疑われたら一時保護が行われます。
      虐待の有無は無関係です。
      裁判所の許可も必要ありません。〉
      というのは驚くべき話ですねぇ。「虐待の有無をきちんと調べもせずに、とりあえず何かあったらこまるから自己保身のために一時保護」という感じでしょうか。

      念のためお断りしておきますが、私は児童相談所、警察、裁判所などを盲信しているわけではありません。どんな職業、立場、年齢の人にも、信頼できる人がいる一方で理不尽な人も存在します。同じ児童相談所であってもA市の児童相談所は信頼できるがB市の児童相談所はまったく機能していないということもあり得ます。

      もし上記の〈疑われたら一時保護……〉のようなことが多くの児童相談所で当たり前のように行われているとしたらそれは大問題でしょう。

      これから子どもを巡る環境はますます悪化するような気がしています。ここらへんで児童相談所を含め、子どもを見守るシステムの再構築をはかるべきなのかもしれません。

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