2012年6月3日日曜日

原発再稼働第1ラウンド決着

再稼働推進政府連盟(政府、経済界、電力会社:私が勝手に命名した)vs 再稼働反対関西連合(大阪府・市、京都府、滋賀県:こちらも私が勝手に命名した)による「原発再稼働抗争」第1ラウンドは、政府側の勝利で決着がついた。

世の中では、再稼働反対関西連合のボス、橋下徹大阪市長が「ギリギリでひよった」とか「最初から出来レースだったんだ」とか言って非難したり、失望したりする向きが多いようだ。

しかし、私の見方は少々違う。
実際のところは、本人が記者会見などで認めてるように文字通りの完敗だったのだろうと受け取っている。

まぁ、あくまでも私個人の想像の域を出ないが、再稼働反対関西連合は関西電力の協力を得て徹底的な対策を講じれば、大飯原発を再稼働させなくても今夏を乗り切れるという感触を得ていたはずだ。

ただ、あくまでもそれは、政府、経済界、電力会社、一般大衆のすべてが協力するというオールジャパン体制が整わなければ実現できない。

ところが肝心の野田政権の判断は「大飯再稼働」だった。政府の後ろ盾が無ければ、オールジャパン体制は整わず需給はかぎりなく逼迫(ひっぱく)する。一方、政府を見方につけた関西電力は「大飯再稼働はできる」と勢いづいた。政府と関西電力、そして利害が一致する経済界が手を組んで、再稼働反対関西連合を追い詰めた。

方法は簡単だ。

「再稼働反対関西連合が再稼働を認めないため大飯を動かせません。このままでは計画停電を実施せざるを得ない状況です(言葉にしているわけではないが橋下市長や京都の山田知事、滋賀の嘉田知事のせいだと言っているようなもの)。

上記のような意味合いのことを巧妙な言い回しであちこちで吹聴すればいいだけだ。そうすればメディアが勝手に拡散してくれ、再稼働反対関西連合への風当たりは強まる。

あれほど鼻息の荒かった再稼働反対関西連合がここ数週間で急速にトーンダウンしたのは、おそらくそのような事情があったのだろう。

歯切れよくわかりやすい物言いで大衆の支持を集めている橋下市長も、政府と経済界、電力会社連合の圧倒的なパワーにはかなわなかったということだ。

だが、今回橋下市長が己の負けを認め、野田政権の成果を一部認めたことで私は、橋下市長を改めて評価するつもりになっている。

経験したことがある人ならわかるはずだが、己の負けを認めるというのはなかなかできることではない。しかも橋下市長は「再稼働に反対である」と突っ張り通した方が自分の人気を維持するためには有利であることをわかっていたはずだ。

その橋下市長がぶざまに敗北を認めた。おまけに野田政権の成果を一部認めることまでした。おそらく多くの人ががっかりしたことだろう。

しかし橋下市長は、ただ、自分の流儀を押し通しただけなのだ。

私たちは誰でも自分なりの哲学というものを持っていて、基本的にはそれに従って生きている。優柔不断と言われるタイプの人間は、その時々、状況によって内なる哲学を簡単に書き変えることができる。正反対の頑固者と言われるタイプの人間は、どんな状況に立たされても容易に内なる哲学を書き変えることができない。橋下市長は良くも悪くも後者タイプなのだ。

つまり、今回の再稼働反対関西連合の負けっぷりは、橋下市長としては言い逃れることが許されないほどの負けっぷりだったということだろう。だから自分にとってマイナスになることがわかっていたが、自分自身の心の平衡を保つためにあえて敗北宣言をしたのだ。

だが、橋下市長は敗北宣言をしながらも、第2ラウンドに向けての布石を打っていた。それは今回の再稼働が「暫定的」なものであり、政府の安全宣言も「暫定的」なものであるという言質を細野環境相からとったという事実のしつこいほどの確認だ。

橋下市長は潔く自分の敗北を認められる哲学を持ち、負けながらも次の戦いへの布石を打つしたたかさも併せ持っている。政治家に必要な資質を十分に兼ね備えているような気がしてきた。私が橋下市長を評価しなおした所以(ゆえん)だ。

今秋、残暑が終わった頃、原発再稼働問題第2ラウンドが勃発する。その時は今回のように再稼働推進政府連盟の圧勝というわけにはいかないだろう。確かに政府(政治家、官僚、大企業)の権力は圧倒的だが、世の中にはそれを上回る権力がある。

大衆のパワーだ。

必ず橋下市長は用意周到にそのパワーを利用するだろう。それに成功すれば野田政権ごときは粉々に吹っ飛ぶことになる。

原発問題を巡る本当の戦いは今秋である。

0 件のコメント:

コメントを投稿