2012年3月11日日曜日

2011.3.11から1年目

1年が瞬く間に過ぎた。

自然の恐ろしさをまざまざと見せつけた大災害によって亡くなったり行方不明になった方々は19009人(2012年3月10日現在)。おそらく避難所で不自由な暮らしをしたために亡くなった方を含めれば犠牲者は20000人を下らないだろう。

あの大津波の映像を見たとき、さすがにこれから日本はどうなってしまうのかと不安を感じた。と、同時にこれしきのことで日本がどうこうなるわけはないという根拠のない自負心が心をよぎるのも感じた。

災害から1年、なんとか無事に生きている。そのことには素直に感謝しなければならないと思う。しかし同時にたまらない焦燥感に襲われるようになった。

未曾有の大災害が私たちにいろいろなことを教えてくれたからだ。

私たちが一流企業と信じていた東京電力という会社が、とんでもなく嘘つきで無責任で横暴な会社であったこと(「東京電力」というところに別の「企業名」を入れても意味が通じる場合が多い)。

政治家は国家の非常時にあっても権力争いを優先するということ(「政治家」というところに「愚か者」という言葉をあてはめても意味がよく通る)。

役人は自分たちの責任回避のためには平気でウソをつくこと(「役人」というところに「政治家」という言葉を入れてもOK)。

むろん、このような書き方をするのは多少乱暴であることはわかっている。社会のために努力している企業も政治家も役人も皆無ではないだろう。だが多くの場合、この乱暴な書き方があてはまってしまうといまは確信している。

うすうす感じていた疑念を、大災害が見事に暴きだしてくれたのだ。

これは好機なんだと思う。

われわれがベストではないにしてもベターであると信じていた社会システムが偽りに満ちた欠陥品であることがわかったのだ。

せっかくだからつくり直せばいい。

官僚と政治家と大企業が、自分たちのために作り上げた社会システムは、あきらかにもう限界点にきている。ダメな部分は壊し、ひとつひとつ再構築していくことが必要だ。

〈あらゆる創造活動は、まずなによりも破壊活動である。—Every act of creation is first of all an act of destruction.—

確か、ピカソがそんなことを言ってたっけ。

1年前、大災害の犠牲になった方々の死を無駄にしないために、いまなお被災地で苦しむ方々を少しでも支援するために、行動していきたいと思う。

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