2012年2月29日水曜日

コメ作付けは諸刃の剣

もちろん福島の6市町村の方々はコメ作付けが諸刃の剣であることを充分理解していることと思う。



収穫したコメは流通させず、調査や水田の維持のために行うということだったら何ら問題はない。

危惧するのは全袋検査して、しっかりと安全性を確かめてから流通させる方針をとった場合だ。上記にリンクを貼った記事にもある通り、膨大な数のコメを検査しなければならない。

万一検査機器の不具合かなにかで放射性物質が網の目を逃れ、流通しているコメの中から基準値以上の値が検出されてしまったとしよう。その場合、再び去年のように福島全体のコメが売れないという事態に陥ってしまう。

農家にとってはつらいことだとは思うが今年は作付けしても収穫したコメは流通させず、その分東京電力にしっかり賠償させたほうがいいのではないかと思う。

EUも農産物の2回目の収穫が終わるまで、状況を見極める必要があると判断している。

EU日本食品の輸入制限再延長

むろん、今回収穫してみたら放射性物質がほとんどどこからも検出されないというなら話は別だが……。

「福島原発事故独立検証委員会 調査・報告書」について    —まだ読んでいないが報道を見て気になった点—


福島原発事故独立検証委員会が調査・報告書をまとめた。現段階では市販されていないので内容を読んだわけではないが、報道を見て気になった点をまとめておく。


内容としては、政治家や原子力安全委員会、原子力安全・保安院の関係者 300人ほどから聞き取り調査を行っており、ある程度事故当時の状況がわかる内容になっているらしい。

ところが驚いたことに東京電力がこの福島原発事故独立検証委員会の聞き取り調査への協力を断ったという。

民間のわけのわからない調査機関の話ならばそういうことも考えられる。しかし民間事故調とはいえ菅首相はじめ事故対応に当たった主だった政治家、原子力安全委員会の班目委員長、原子力安全・保安院、文部科学省など今回の事故に関係する官僚たちも協力している調査に、一番の事故当事者である東京電力が協力しないというのはどういうことなのだろう。

東京電力には事故の原因を明らかにし、今後の原子力行政に役立てようなどという気持ちはかけらもないらしい。いまの彼らの姿から見えてくるのは、できるだけ責任を回避し、組織の延命を図り、甘い汁を吸い続けたいという醜悪な姿だけだ。

長年独占企業として組織全体で甘い汁を吸い続けてきた結果、隅々まで腐敗しきってしまったのだろう。この組織を立て直すには一旦国有化し、大胆に分離解体して再民営化するというような大手術が必要だ。

もうひとつこんな報道もあった。


福島原発事故独立検証委員会は菅前首相の事故対応を厳しく批判している。ところが菅前首相は自分に都合のいい部分だけを引き合いに出して談話を発表してしまった。

まぁ、気持ちはわかる。一国の首相を務めたほどの人だ。自分の失敗を認めたくはないだろう。だが政治家や官僚のこのような態度が政治不信を生むのだ。どこにも完全な人間なんていやしない。まして、あのような極限の状態であれば誰がやったって得られる結果は50歩100歩だ。失敗は失敗、間違いは間違いと素直に認めた方が自然だ。そしてそうした方が結果的に成果を引き立てる。

それを変にごまかそうとするからおかしくなるのだ。





2012年2月28日火曜日

われわれには原発を持つ資格がないという事実を認めることからはじめよう

少しずつ福島第一原発事故の検証が進み、いろいろなことがわかってきた。科学的、技術的なことはあまりよくわからないが、ひとつだけ指摘しておきたいことがある。

まず、いくつか参考になる資料を掲げておく。



上記の記事を読んで私が感じたのは、

「われわれにはまだ原発を持つ資格がなかったのだな」

ということだ。

アメリカ原子力規制委員会は事故の5日後にはすでにメルトダウンの可能性を把握し、日本にいる米国民に警告を発していた。それに対し日本では、一部の人間はその事実を知っていたにもかかわらず、はるかに狭い範囲の警告しか出されなかった。

しかも事故対策は、現場を知らず、SPEEDIの存在すら知らなかった首相以下の政治家によって取り仕切られていた。大オーケストラの指揮をスポーツ選手がやってるようなものだ。うまくいくわけがない。

一時は東京でも避難が必要と思われるほどの危機的状況に陥っていたのに、周辺住民にも国民にも何も知らされなかった。

これらは次の驚くべき事実を示している。

「事故が起きたときのことが何も想定されていなかった」のだ。

日本の原発は事故が起きないということを前提に稼働していたわけだ。

そう言えばむかし、原発関連の仕事をしている人に「事故が起きたらどうするんだ」と聞いたことがある。答えは「これだから素人は困る。原発で事故は起こらない」というものだった。「放射性廃棄物はどうするんだ」と聞くと「いまは安全な処理法があるから何も問題はない」と彼は答えた。文字通り取りつく島もなく、ただ馬鹿にされただけで議論にもならなかった。

私はごく消極的な原発反対論者に過ぎなかったのでたいした知識は持ち合わせておらず、頭から決めてかかる原発推進論者にはまるっきり歯が立たなかったのだ。

だからいま日本を原発天国にしてしまった責任の一端は自分にもあると反省している。

しかし今後は違う。福島第一原発事故から「議論を放棄してはいけない」ということを学んだ。「原発で事故は起こらない」と言われたらわれわれは「なぜ起こらないと言えるんだ」と問わなければいけない。「ストレステストなどを経て万全の備えを整えているからだ」と言われたら「テロが起きたらどうする。ミサイル攻撃を受けたらどうする」と問わなければいけない。

つまり原発を再稼働するなら事故は起こるものと想定しなければいけないわけだ。事故が起きたときの対処法を万全にしてなお、被害を国民が受け入れられるレベルにとどめることができないなら、原発を持つ資格はないということだ。

従って原発再稼働の条件は、稼働時の安全性の確保ではまったく足らないことになる。事故発生時のあらゆる対処法まできちんと整えてはじめてやっと再稼働の検討に入ることができる。そこまで厳しいものでなければいけないはずである。



彼は嘘つきは泥棒のはじまりと教わらなかったのだろうか?

野田首相が就任後、はじめて沖縄を訪問した。目的は普天間基地を名護市辺野古に移設することを仲井真知事に納得させるためだ。

まぁ、今回それを達成できなくてもその足がかりぐらいはつかもうという考えだったのだろう。

当然のことだが、不発に終わった。多くの人が想像した通りの結果である。



野田首相もなんとか仲井真知事を味方につけようと必至に知恵を絞ったに違いない。そこで考えた決め台詞が以下の言葉だったのだろう。


野田首相は誰でも見破れるような嘘を自信たっぷりにつくという特技を持っている。この普天間移設問題でも言ってしまった。

別に辺野古移転が「唯一有効な方法」ではあるまい。確かに私の乏しい知識でも、米国や日本政府にとっては辺野古が望ましい候補地の一つであることはわかる。だが、真剣に検討すれば次善の策はいくつかあるはずだ。もしかすると辺野古移転よりもいい案が見つかるのかもしれない。

問題は、首相がコロコロ変わるなどさまざまな理由によって、辺野古移転以外の案が真剣に検討されていないということだ。政府をあげて真剣にいくつもの案を考え、検討に検討に重ね、その経緯をすべてつまびらかにしてなお「辺野古が最善」ということであれば、沖縄県民も受入れを検討するのではないだろうか。

辺野古移転が決まった経緯の中で多少は他の方法を検討しただろうが、真剣に沖縄の負担軽減を考えて取り組んだ形跡はまったく見られない。それなのに「辺野古移転が唯一有効な方法である」と決めつけられてはたまらない。

野田首相は子どもの頃に「嘘つきは泥棒のはじまりだよ」と周囲の大人に諭されたことはないのだろうか。

猿芝居にしか見えない政治家の原発議論を見て思うこと


NHKの日曜討論で、原発に関する議論をやっていたらしいのでNHKオンデマンドで見てみた。


議論を聞いている限り、ほとんどの政党(各党の政策責任者が出席していた)がいま停止中の原発を再稼働することに関しては慎重な見解を示していた。たちあがれ日本が唯一「エネルギー確保のために原発は必要である」というスタンスをとっているようだった。そのたちあがれ日本にしても、なにが何でも原発再稼働ということではなかった。

他の政党(民主党、国民新党、自民党、公明党、みんなの党、共産党、社民党)は早期の原発再稼働などとんでもないという意見で一致していた。

なかでも与党である民主党、国民新党は、はっきりと安全・安心が確保されない限り再稼働はあり得ないと明言していた。

であればわれわれは安心してことの経緯を見守っていればいいはずだ。残念ながら原発の安全・安心を確保することは並大抵のことでは成し遂げられない。つまりどうやったって性急な原発の再稼働という話にはならないわけだ。

ところが日々の報道を見ている限り、野田政権は原発再稼働に向け猪突猛進しているようにしか見えない。民主党も自民党もいざとなったら「原発再稼働やむなし」と言いだしそうな気がする。

まぁ、それだけ政治家の言葉が軽く感じられるということだ。

原発再稼働やその他の問題を無理に進めようとすれば、野田内閣はいずれ民意という巨大な壁に激突し立ち往生することになるだろう。結局、何も決まらず進まない。

政治が混乱していると、官僚が官僚による官僚のための国づくりを画策する。

やはりここらで大規模な政界再編、政治システムの再構築に踏みきるべきだろう。

2012年2月27日月曜日

政府と双葉郡の協議が急きょ中止に —中間貯蔵施設について—

中間貯蔵施設をどこにつくるか、その協議がまったく進まなくなっている。

政府と双葉郡の協議が急きょ中止に

まぁ当然だろう。政府の言うことを信用するお人好しはいまやほとんどいない。中間貯蔵施設と言いながら、それが最終処分場にならないという保証はどこにもないのだ。

細野環境相は次のようなことも言っている。



が、法律なんて後の政治家が変えてしまえばそれまでだ。

おそらくあと1カ月もすれば辛抱しきれずに細野環境相も野田首相も本性を表すだろう。双葉郡の方々は、その段階で自分たちにもっとも都合のいい選択肢を選べばいい。くれぐれも安易に妥協しないことだ。

【関連項目】

2012年2月26日日曜日

漏れては困る個人情報

あくまでも私個人の話だが、インターネット経由で漏洩して欲しくない自分の個人情報にはどんなものがあるだろうかと考えてみた。


というのは、グーグルに関する記事が目に止まったからだ。





よくよく考えてみたがクレジットカードの情報くらいしか思いつかん。

たとえメールの内容が漏れたとしても、いい気持ちはしないが困りはしない。貧乏なのでたいしたものを買わないからショッピング情報がばれても問題ない。

ネットでの検索内容が漏れても、大半は真面目なものだから別に構わない。まぁ、たまに変なものを検索していてもたぶん社会の許容範囲だと思う。

もちろん個人情報を漏洩させてはならないが、そんなことはグーグルもわかってるはずだ。

大騒ぎする必要はない。

復興へ まちづくり人材バンクに登録を

こんなことをやっているからダメという見本である。

復興へ まちづくり人材バンクに登録を

記事を読むと

〈国土交通省は、全国の人材を活用して被災地を支援しようと、民間のコンサルタントや学識経験者、それに自治体職員のOBなど、まちづくりに詳しい専門家の情報を集めた「復興まちづくり人材バンク」を作ることを決め、専門知識を持つ人たちの募集を始めました。〉

ということらしい。

もし私が自分の町を復興させようと思ったら、上記のような人たちは絶対にお断りである。

信頼回復のために徹底的な情報開示を

海外から原子力関連の専門家を招いて会議が行われた。



その会議で海外の専門家から以下のような指摘が為されたらしい。

〈「今回の事故によって日本政府と事業者に対する社会の信頼が失われた。回復には徹底した情報公開が必要だ」〉

果たしてこの言葉は当事者たちに届くのだろうか。

2012年2月24日金曜日

プライバシーって何だろう —餓死や衰弱死 異変把握対策を—

日本で、しかも周囲に人が大勢住んでいる場所で人が衰弱死したり餓死したりするという嫌な事件が増えている。

餓死や衰弱死 異変把握対策を

このようなニュースを見聞きするたびに「プライバシー」という言葉が気になる。

子どもの頃のことを言ってもしかたがないかもしれないが、その当時(およそ40年ほど前)はプライバシーなどというものは世の中にほとんど存在していなかった。仮にプライバシーを保とうとしても、どだいそれは無理な話しだった。

たとえば私は子どもの頃、団地というものに住んでいた。いまのマンションと比べれば圧倒的にボロいつくりだが、ドアを閉め切ればそれなりにプライバシーを保つことができたはずだ。だが実際はどこの団地でもそんなことにはならなかった。

当時はまだエアコンなるものはほとんど一般家庭には普及していなかった。従って晩春から初秋にかけての季節は、在宅時はドアを開けっ放しにしておいた方が快適だったのだ。極端な話、寝るとき以外はドアを閉めない家も多かったはずだ。加えて家賃の安い団地には子どもも多かったから、自然と近所付き合いせざるを得ない環境だった。

そんな環境では誰だって人知れず餓死なんてできやしない。

ところがいつしか「プライバシー」などという妙な言葉が蔓延しはじめてしまう。そして日本人は内へ内へとこもり始めてしまった。挙げ句の果てにいまではマンションでは隣近所にどんな人が住んでいるのかわからないことが当たり前になってしまった。その一方で孤独や孤立を感じる人が増え、社会とのつながりを求めている。

明らかにプライバシー権の扱いを間違えている。プライバシーなどというものは、重要な部分さえ守られればそれで十分なのだ。何もかも隠したがるのは犯罪者か変質者くらいのものだろう。

そろそろプライバシーやら個人情報保護などというややこしいことは脇に追いやって、社会システムをリセットするときなのかもしれない。

もともと人間は集団で生きる動物なのだから……。

食品放射性物質 新基準値を了承

4月から食品の放射性物質に関する新基準値が適用されることがようやく正式に決まったらしい。

食品放射性物質 新基準値を了承


「一般食品」は現在の暫定基準値の5分の1に当たる1キログラム当たり100ベクレル、「乳児用食品」と「牛乳」は50ベクレル、そして、「飲料水」は10ベクレルというのがその大まかな内容だが、この基準で十分安全であるという確証はどこにもない。が、またこの基準では危険であるという事実もどこにもない。

これはあくまでも基準値であり、安全かどうかの判断は各個人がするべきものだろう。専門家と称する者も「安全である」とか「危険である」と安易に決めつけた発言は控えてもらいたいものだ。

ちなみに私自身が摂取する食品は、この新基準の範囲内であればぜんぜん問題ないと考えている。

しかし家族の中に幼児がいれば、可能な範囲内で基準値以下の食品を求めるかもしれない。

そんな微妙なレベルの新基準値だと感じている。

2012年2月23日木曜日

深刻な原発事故 防止対策議論

ようやくまともな議論が始まったらしい。



参加した専門家から、「想定を超えた自然災害をはじめ、テロや航空機事故も具体的に検討すべきだ」といった意見が出されたということである。

まぁ、正直言ってそれほど大きな期待は持っていないが、どのような結果が導きだされるのか、一応注目しておきたい。

2012年2月21日火曜日

がれき広域処理を進めるために必要なこと

東日本大震災と大津波によってもたらされた膨大な量のがれきの処理が難航している。岩手・宮城・福島の沿岸部だけで2200万トン余りに上ると言われるがれきを処理するためには、日本全国の自治体に協力してもらって広域処理を進めるしかない。

ところが受入れを表明する自治体が現れても、その地域の住民が反対して広域処理が思うように進まない。




当初この問題を甘く見ていたように見受けられた細野環境相も、最近いらだちを隠しきれなくなってきたようである。






どうやら細野大臣はこのような状態になってもまだ、なぜ地域住民ががれきの受け入れに強硬に反対するか気づいていないらしい。

だからこんな無駄なことを言うことになる。

〈市民が直接、放射線量を測れるようにした例を挙げ、「できれば皆さんにみずから測っていただいて、不安を取り除いていただきたい。被災地と本当に復興していこうという気持ちを持っていただけるのであれば、安全に処理できるので、ぜひ手を貸していただきたい」と述べ、広域処理への協力を訴えました。〉

もはや政府の言うことを真に受ける者はほとんどいない。そのような状況下では(信用されていない)環境大臣が安全、安心と言えば言うほど疑念を持つのは当然のことである。

もし本当に広域処理を進めたいなら、安全とか安心とかいう言葉を気軽に言わず、丁寧に根気づよく実際のデータを提供し続けることだ。地域住民に要求された情報はつべこべ言わずにすみやかに提供する。問われたことには丁寧に具体的な情報を提示しながら回答する。わからないことはわからないとはっきり言う。

そのようにして提供したデータやその他の情報が地域住民が納得できるようなものであれば、やがて広域処理も進むようになるはずだ。

2012年2月20日月曜日

山口県光市母子殺人事件判決

発生から13年間、裁判のたびに世間の注目を浴びてきた「山口県光市母子殺人事件」。その判決が2月20日最高裁で言い渡された。





最高裁判所第1小法廷の金築誠志裁判長は、「何ら落ち度のない被害者の命を奪った冷酷、残虐で非人間的な犯行で、遺族の処罰感情はしゅん烈を極めている」と指摘、被告の上告を退け死刑が確定した。

この判決に対する意見はむろん賛否両論あるだろうが、私はやむを得ない決定だったと思う。

人として越えてはいけない一線を越えてしまった者は、その罪を命で償うしかないだろう。

被害者遺族の本村洋氏が記者会見で「被告の死刑の確定を厳粛な気持ちで受け止める」と述べていた。同様にこのような犯罪を起こさせてしまった社会は、被告の死刑を厳粛に受け止めなければいけない……そう強く思う。

2012年2月16日木曜日

放射性物質:乳児食品基準、50ベクレル堅持 文科省審議会答申、厚労省4月実施

放射性物質の食品基準について文部科学省と厚生労働省の意見が食い違っている。



ー以下記事抜粋ー
厚生労働省の諮問で食品中の放射性物質の新基準値案を審議していた文部科学省の「放射線審議会」(会長・丹羽太貫(にわおおつら)京都大名誉教授)は16日、新基準値案を批判する異例の意見書をつけつつ、同案を認める答申をした。意見書では、乳児用食品の1キロあたり50ベクレルを100ベクレルに緩めても健康は守られると記したものの、厳しい基準値を堅持する厚労省に歩み寄った。
ー記事抜粋ここまでー

「50ベクレルを100ベクレルに緩めても健康は守られる」とは現段階では誰も言い切れないはずである。

こんなことを言っているから国のやっていることが信頼されなくなるのだ。

2012年2月14日火曜日

日銀さらなる金融緩和を決定


日銀はデフレからの脱却を図るため、今後目指していく具体的な物価上昇率を1%とすることを新たに掲げ、市場に大量の資金を供給する基金の規模をこれまでより10兆円増やす、一段の金融緩和に踏み切ることを決めた。


安住財務大臣は日銀のこの動きを大いに歓迎しているらしいが、むろんこんな小手先の金融政策でデフレが解消されるわけもない。

政府にはもっと真面目にやってもらいたいものである。

原発再稼働 賛成22%反対36%


NHKが行った世論調査の結果に少々驚いている。

震災の影響や定期検査などのために停止している原子力発電所の運転再開についての賛否。「賛成」が22%で、「反対」が36%、「どちらとも判断がつかない」が36%だったという。


まず22%も再稼働に賛成な人がいることに驚くが、まぁ考えてみれば当たり前かもしれない。今後原発事故が起こったとしてもさほど大きな不利益を被らず、原発があった方が都合がいいと考える人が22%くらいは日本にはいるのだ。

だから日本では脱原発が進まない。

おまけにこの期に及んで「どちらとも判断がつかない」という人が36%もいるらしい。正直言って「賛成22%」よりもこっちの方に驚いてしまった。

すべてのことに自分の意見を持つのは大変だが、重要な問題くらいはしっかりと考え、自分の意見を持ってもらいたいものである。

2012年2月13日月曜日

国会でいじめられている

野田首相が「国会でいじめられている」と高校の同窓会でぼやいたらしい。

 首相“国会でいじめられている”

ニュースのタイトルを見て野田嫌いの私は多少不快な気持ちにはなったが、むろん「いじめられている」というのはほんのジョークだろうから、そこに突っ込むつもりはさらさらなかった。

が、それを伝えるニュースを読んでみてちょっと見過ごせない発言があったのでそこには少々突っ込みをいれておきたい。

野田総理はこんなことを言ったらしい。


「ねじれた国会の中で苦労している。国会の中でも、クイズみたいな質問がいっぱい出て、いじめられている」

こんなことを言っている限り「野田政権には何も期待はできないな」と改めて思う。
よくメディアでねじれ国会が諸悪の根源のようなことを言う人を見かけるが、それは根本的に間違っている。

国会がねじれているからこそ議論百出となり、最終的にはいい結果が得られるはずなのだ。

原発再稼働、被災地復興、増税、TPP、普天間……。どのような問題でも、政府がきちんと考えぬき、結果にいたる過程を明示すれば世論の指示は得られる。

その世論を無視して反対を唱え続けられるのは、本当の愚か者と本当の賢者だけだ。

私は国会に本当の愚か者があれほどたくさんいるとは思わないし、本当の賢者があれほどたくさんいるとも思えない。

つまりこれほど国会が紛糾するのは、野田内閣を多くの人が信任していないことが真の原因なのだ。

2012年2月12日日曜日

福島第一原発事故“深刻事態シナリオ”公表せず


(2月12日 19時2分)
NHKニュースによると、原子力委員会の近藤駿介委員長が、去年3月25日に「福島第一原子力発電所の不測事態シナリオの素描」というタイトルの文書を政府に提出していたということである。


原子炉や使用済み核燃料プールに注水できなくなって、格納容器が壊れたり燃料が露出したりすれば、大量の放射性物質が放出されることも想定されるとしている。
その上で、こうした事態が起きた場合、住民を強制的に移転させる範囲が半径170キロ、任意の移転が必要になる範囲が半径250キロと、首都圏を含む範囲での住民避難などが必要になる可能性があり、こうした事態を防ぐため、原子炉を冷やす手段を多様化する必要があるなどと対策を示している。

当時、この事実をしっかりと把握していたのは菅首相と細野総理大臣補佐官(いずれも当時の肩書き)だったらしいが、「過度の心配を及ぼす可能性があると考え」公表を見送ったということである。

2012年2月10日金曜日

臓器移植の意思表示をしよう

たまたま早く帰宅することができたので、自宅で夕食をとりながらテレビを見ているとNHKのクローズアップ現代という番組で臓器移植のドキュメンタリーをやっていた。

「家族が脳死になったとき」

番組は脳死になった患者の家族が医師から臓器提供の話を聞かされるが、本人の意思表示がなかったため残された家族が臓器提供するかしないかで思い悩む、その姿を追ったものだ。

理詰めで考えれば、脳死になってしまい回復の見込みがないのなら、すでに意識もなく痛みも感じないわけだから、使えるものをすべて提供してもなんら差し支えない、ということになるだろう。


だが実際はそう簡単に割り切れるものではない。番組の中でも臓器提供を承諾する家族もいれば、断る家族もいる。そしてどちらの家族も自分たちが下した判断が正しかったか、間違っていたか、ずっと思い悩む。

この問題に正解はないのだと思う。

臓器提供をする場合の脳死判定はかなり厳密に行われると聞いている。そのような状態から蘇生した人がいない以上、脳死が本人にとってはどういう状態なのかは想像するしかない。あとは残された家族がどう判断するかだが、その判断には様々な要因が影響するだろうから部外者が口を挟む余地はない。

番組を見ながらそんなことを考えていてふと思った。いま私が脳死になってしまったら、どんなことになるだろうか。

家族は年老いた両親だけである。もう80過ぎの二人が医師に臓器提供しますか、と聞かれてもオロオロするだけだろう。まぁ、両親より先に私が死ぬことはないと思うが、世の中に絶対はあり得ない。そこで念のため意思表示をしておこうと思い立った。

正直言って少々怖いが臓器はすべて提供しようと考えている。

私が脳死になる可能性はそう高くはないだろうが、こうやって決めておけば年寄りに余計な負担をかけることもない。

自分は臓器提供をしたくないと考えている人も大勢いると思うが、そんな人も意思表示をちゃんとしておいた方がいい。

仮に私が臓器を提供したくなく、そのために意思表示していなかったとしよう。そんな私が事故で脳死になった際、もし担当の医師が脳死移植に積極的な医師だったとしたら……。その医師が年老いた両親を説得するのはわりと簡単だろう。そして私は自らの意志に反して臓器をすべてとられてしまうことになる。

臓器提供を「する」「しない」にかかわらず、意思は明確に示しておこう。

2012年2月8日水曜日

日本人の欠点

チンパンジーは、仲間が困っていると分かると状況を的確に判断して手助けすることができるという。詳しくはこちらの記事を参照

と言っても、自ら進んで助けるというわけではなく、相手に助けを求められると心良く手助けするということらしい。つまり助けを求められなければ相手が困っているということに思いが及ばないか、分かっていてもあえて無視するということだ。

もうひとつ、福島第一原発事故をめぐる日本のドタバタを観察して、こんなことを書いた米国メディアがあったらしい。

「メディアに限らず、日本人は相手が日本人だと批判を遠慮するところがあるように見える。米国人は相手が同じ米国人であろうとなかろうと、悪いと思えば徹底的に追及する」

上記はどちらも最近読んだ記事なのだが、どうにも考えさせられる内容である。

まず、チンパンジーの話。

チンパンジーは、相手に助けを求められると心良く手助けする。しかし、頼まれないと自ら進んで助けようとはしない。

「チンパンジー」のところを「日本人」と置き換えてみる。

日本人は、相手に助けを求められると心良く手助けする。しかし、頼まれないと自ら進んで助けようとはしない。

日本人の特徴をうまくとらえていると思うのは私だけだろうか。

つづいて米国メディアの話。

これはずいぶん以前から気になっていたのだが、日本人はどうも身内に甘く他人に厳しいという傾向があるように思えてならないのだ。

赤の他人がしでかした些細な過ちを口を極めて罵ったかと思うと、身内の不始末には驚くほど寛容な態度を示す。もちろん欧米人にしても多少はそのような傾向はあるに違いない。だが、日本人の場合はかなり極端なのだと思う。

昨年、東日本大震災に見舞われたとき、被災者が落ち着いて助け合う姿は海外からずいぶん賞讃された。おそらくそれは「助けを求められれば心良く助ける」「(被災者同士という)身内には優しい」という日本人のいいところが出た結果なのだ。

しかし、災害発生から1年が経とうとしているいま「自ら進んでは助けようとしない」「赤の他人には冷たい」という日本人の悪い面が出かかっている。

そんな気がしてならない。


2012年2月7日火曜日

統治システム崩壊の予感

しばらく前まではほんの少しずつではあるが、日本の政治は良い方向に向かっている……そう思っていた。

が、それは大きな間違いだったようだ。

2009年9月、あまりの不甲斐なさに国民の怒りが爆発し自公連立政権が崩壊。

変わって政権を担った民主党が日本の統治システムの欠陥を見事に露呈して見せてくれた。こういうのをケガの功名というのだろうか。

民主党政権初代から3代目まで、どれも似たり寄ったりの最悪の政権だが、現首相の野田佳彦が「暴走癖」があるという点で群を抜いている。この人には一刻も早くやめていただかなければまずいかもしれない。

野田佳彦の支離滅裂
 その1
 その2

上記リンクはYou Tubeにアップされている野田佳彦の演説。

発言と行動が一致しない連中に、何ができるというのだろうか。そんな政治家が誰一人生き残れないようにわれわれ国民もしっかりと記憶しておかなければならないと思う。

相変わらずの班目委員長

原子力安全委員会の班目委員長がこんなことを言っている。


「何かあるたびに、国民は想定外のことが原子炉で起きているように感じて、不安に陥っている」元記事はこちら

福島第一原発の2号機に設置してある温度計の一つが高い温度を示していて、その件でコメントを求められたときの発言らしい。

どうもこの方の発言を聞いているといつも、自分は「部外者」みたいなもの言いをすることが気になっていた。

私の目には、東京電力も原子力安全・保安院も原子力安全委員会も経済産業省の幹部も内閣も、みんな同じ穴の狢(むじな)に見えている。

その人たち全員の言葉がまったく信用できないから、人びとが不安に陥るということがどうやら彼にはわからないらしい。