2011年12月25日日曜日

マクドナルドの戦略

久し振りにマクドナルドのハンバーガーを食べた。

たぶん10年振りくらいだろう。


私は基本的にはいつも貧乏暮らしをしているので食事は「安く」「旨く」「多い」ものを食べるようにしている。無論「安く」「旨く」「早い」ことで知られている牛丼屋には以前ずいぶんお世話になったし、天ぷらが旨く、御飯物が充実している激安の立ち食いそば屋にもかなり通った。

そんな私が、手軽なファストフードの代表格と言ってもいいマクドナルドのハンバーガーを「およそ10年振りに食したというのはどういうことだ」と疑問に感じる方もおられるだろう。

確かに私は「安く」「旨く」「多い」ものが一番の好物だが、この条件のうち2つは貧乏であるために付け加えられているに過ぎない。つまり「安い」ことと「多い」ことは絶対的な条件ではない。

私が食事に求めている絶対的な条件は「旨い」ということだけだ。

およそ10年前……。

もともと私はハンバーガーという食物を滅多に食べないのだが、昼食を食べに行く際友人に「いま安いからマクドナルドにしようぜ」と誘われた。普段なら三度の食事はしっかり食べる(ただしおやつは食べない)ことにしているので断っただろうが、たまたまその時は前の晩に飲み過ぎて二日酔いだったのだろう、昼食をハンバーガーで安く済ませるという友人の案にうっかり乗ってしまった。

で、激安メニューのハンバーガーとチーズバーガーを食べた。

「……………………………………………………………………。」

あまりのまずさに絶句した。
正直言って「こりゃ食事とは言えんな。ほとんど餌レベルだな」と感じた。
一緒に食べた友人にそう言うと「そ〜かぁ、俺は結構好きだけどな。安いから一日おきくらいなら昼飯はこれで十分だなぁ」と驚かれた。逆に平然とした顔でそんなことを言う友人に私も驚いた。

前述したが、私はハンバーガーと並び評される激安メニューである「吉野家の牛丼」やその昔某所にあった「立ち食いそば」は好物である。和食だけでなくパン類でも安くて旨いものはたくさん知っている。

だが、あのコストパフォーマンスの塊のようなつくりのハンバーガーは、どうしても肌に合わないと感じた。

そんなことがあってマクドナルドのハンバーガーは食べなくなった。

ここで終わってしまうと「なんだ、それでいいじゃないか。別にマクドナルドはお前ひとりに嫌われても全く困らないんだからもう一生食うな」ということでめでたし、めでたしなのだが、それでは落ちがつかない。

実は先日、行きつけの飲み屋で話しをしていてハンバーガーの話になった。するとどうもマクドナルドのハンバーガーが嫌いなのは、ごく少数派に過ぎないようなのだ。

確かにマクドナルドの業績が好調であるというニュースもときどき見かけるし、近所に一件しかない駅前の店舗は昼や夕方には行列ができていたりする。

で、ふと思ってしまったわけだ。

「もしかすると最近のマクドナルドは旨いのかもしれない」と。

ほぼ10年振りにマクドナルドに行ってハンバーガーを買ってみた。

あの時と同じハンバーガーとチーズバーガー。2つで220円、相変わらず安い。しかし味は。

「…………………………………………………………………………。」

まずい……10年前となんら変わっていない。

ここでひとつ誤解がないようにお断りしておきたい。この文章で私が問題にしているのは最低価格商品の「ハンバーガー」と「チーズバーガー」のみである。実はその他の商品は食べたことがないからケチのつけようがない。私は別にマクドナルドに恨みがあるわけでもなんでもない。わずかなつながりも何もない。

ただ、上記のような経緯からこのように思うのだ。
私が食べてまずい、まずい、と騒いでいるのは、いわゆる釣り商品に過ぎず、多くのマクドナルドファンはそんなものには目もくれず、もう少し高級なものを食べているのだろう。そしてそれらは結構旨いのだと思う。

私のように、釣り商品以外のおいしそうでちょっと値の張るメニューには目を向けず、ひたすら安い商品に食らいつく貧乏人はマクドナルドにとっては儲けにならないありがたくない顧客なのだ。

いまのところ日本マクドナルドのその戦略はうまくいっている。

だが私は、その戦略は間違っていると思う。

2011年12月2日金曜日

賢くない人が作り出したもの

どんなに素晴らしい人物であっても、普通は亡くなってからひと月もすればすっかり忘れ去られてしまう。

しかしスティーブ・ジョブズ氏の場合は、亡くなってから2カ月が経とうとしているのに、いまだに生前のエピソードがしばしば登場する。そしてその度にアップル製品を愛用してきたものに深い喪失感と悲しみを与えている。

本当にもう少し、彼が生み出すものを見ていたかったとつくづく思う。

今日もこんな記事を見つけてしまった。

わずか46秒で世界が変わる!? ジョブズ氏の考える「人生の変え方」

上記の記事の中でスティーブ・ジョブズ氏はこんなことを言っている。

〈あなたの周りの「人生」と呼ぶすべてのものは、あなたより賢くない人が作り出したものであり、あなたはそれを変えることができ、影響を与えることができる。そしてあなたは、他の人も使える自分なりのものを作れるんだ。一旦それを学んだなら、もはや今までの自分とは違った人生を歩めるようになるだろう。〉

もしかするとこれは、少しわかりにくい文章かもしれない。

だが、この間私が書いた文章を読むとジョブズ氏の言っていることの意味が少しわかりやすくなると思う。

人類はまだ猿レベル(その1)
人類はまだ猿レベル(その2)

いずれにせよ、私たちはもっと自分の考えに自信を持つ必要がある。

2011年11月30日水曜日

犯す前に言いますか(続き)

どうやら沖縄防衛局長の問題発言はオフレコ発言だったらしい。

ということはメディア側がルール違反をしたわけだが、発言内容があまりにもお下劣だったのでかえって勇気ある行為と見られている。

発言した本人や防衛省関係者は「オフレコ発言をニュースにしやがって……」と怒っているだろうが、今回はルール違反をしても世論は味方してくれると判断した琉球新報の勝ちだ。

それにもかかわらず田中聡沖縄防衛局長は、東京に呼び出され「俺は納得できねぇ」という面持ちをテレビカメラに晒してしまった。

恥の上塗りというのはこういうことを言うのだろう。

他山の石としたい。

2011年11月29日火曜日

犯す前に言いますか

政治家や官僚の問題発言が止まらない。

昨夜も沖縄でやってしまった人がいる。詳細はこちらの記事をみていただくとして……。

かなりひどい発言である。誰でも「こりゃ問題になるな」と感じるレベル、常識ある人なら人前でこんなことは言わない。発言した沖縄防衛局長が非常識極まりない人物であるというふうにも思えない(もちろん非常識な人物であるという可能性は完全には否定できないが)。そんな人がメディアが大勢いる場所で不用意な言葉をポロッともらしてしまうのはどうしてなのだろう。

完璧な人間など世の中に存在しないのだから、この問題発言という奴がごくまれに起こることなら、そう不思議なことではない。だが、大臣クラスの人がこうもしばしば失言するのはどういうことなのだろうかと、少し考えてみた。

もちろんたんなる想像なので事実とはかけ離れているかもしれないが、まぁ自分自身の問題発言防止のためには多少役立つだろうとは思う。

【理由その1】
常日頃思っている本音が思わず出てしまうため。

問題発言をして叩かれるのは、当然のごとく地位も名誉もある方たちだ。大臣やエリート官僚ともなれば、いわば国を動かすような仕事に携わっている。すると私たちのような下々の者など虫けら同然に思えてくる。……つまり彼らの問題発言の多くは本音だったりするわけだ。

【理由その2】
虚栄心が頭をもたげるため。

人間には虚栄心というものが備わっている。つまりどうしてもいい格好をしたくなってしまうわけだ。この誘惑からはほとんど誰も逃れることはできない。大勢の記者に囲まれたお偉いさんが、絶妙のタイミングで気の利いたジョークを飛ばす自分を頭の中で思い描くのはまぁ自然と言えば自然なわけだ。

しかし残念なことに大臣やエリート官僚になるような人たちにその手のことは向いていない。子どもの頃から秀才君は弁論大会などで目立つことはできても、教室内でクラスメート全員の笑いを取るなどという離れ業などできやしない。

それはむしろ出来の悪いわれわれが得意とする分野なのだ。とかく人間は自分が持ち合わせないものに憧れる。

……つまりわれわれ劣等生同様、エリート君たちも己を知らないということだ。

【理由その3】
油断したため。

今回の発言は、居酒屋で記者と担当者が懇談会を開いている際に飛び出したらしい。居酒屋で行ったというのだから、当然飲みながらの懇談会だったのだろう。多くの人が経験済みだと思うが、人間は酔うと気が大きくなる。私なども失言の大半は酔ったときのものだ。

飲みながら行うならなぜオフレコにしなかったのだろう。自分は酒に強いから大丈夫とでも思ったのだろうか。当然、オフレコだと思い込み、始まる前にきちんと確認しなかったのかもしれない。

いずれにしてもそれは油断だ。

【理由その4】
オフレコ破り(こんな言葉があるのかどうか知らないが……)

オフレコの懇談会だったのに、発言があまりにもひどかったので誰かがオフレコ破りをしたというケースだ。発言したことが事実だとしてもメディアがこれをやることは通常許されない。
しかしオフレコというのは法律でもなんでもないから、発言の内容次第ではメディアが裏切ることもあると取材される側は覚悟すべきだろう。

【理由その5】
メディア側の拡大解釈

発言の内容をメディア側がニュースになるように拡大解釈することもある。過去には「そんなことまで問題にするなよ」というような報道もかなりあった。まぁ、問題発言した側が世論を味方にできると確信するなら、徹底的に対抗するのもひとつの対処法だろう。

しかし、こうやってよく考えてみると、大臣やエリート官僚の問題発言は、これからも容易になくならないことは確実なようである。(少しだけ続き有り

2011年11月18日金曜日

福島の米を買おう!


残念ながら福島県で基準値以上の放射性セシウムで汚染された玄米が見つかった。

多くの人が指摘していたように国による検査が「ざる」であることを証明した形だ。

NHKニュースによると、この期に及んでまだ国(農相)は、
「今回の水田と同じように周囲を山に囲まれた水田を重点的に検査するなど、今後、検査態勢の強化を検討していく考えを示した」
そうである。

まったく頭脳明晰な人たちの考えることは凡人にはわからない。

私程度の凡人であればすぐさま、すべての米を検査しなければ福島の米は救えないと観念するだろう。それは過去の経験から自分がどんなに知恵を絞っても、何らかの見落としがあって失敗するという経験を再三再四味わっているからだ。

しばしば失敗する者ならきっとこんな風に考える。

ビジネス上の問題で「数千円〜数万円程度利益が減る」程度なら、失敗するリスクがあっても強行するが、福島県の大半の米農家の生活がかかっているとしたらリスクは徹底的に排除しなければならない。多大な費用がかかるとしても、すべての米を検査して、ダメなものは廃棄し大丈夫なものを売り切ったほうが、莫大な量の売れ残りを出すよりはましなはずだ。

だが凡人のアイデアは、ここで大問題に直面する。

おそらく日本国民の大半が、いまや政治家と行政に不信感を抱いていることは間違いない。おかげで「福島の米全部が汚染米」というイメージまでもが拡散してしまっている。もういまさら何をやっても何を言っても、ほとんどの人は福島の米を買ってくれないのではないだろうか……という懸念である。

残念だが、いままでの経緯を考えると「福島の米は買わない」という人を責めることはできないと思う。それに、これから流通する福島米の示す放射線が100ベクレル/kg以下程度だとしても、小学生以下の子どもがいる家庭では買うべきではないとも思う。

ではどうするか?

ここはわれわれ中年以降の年寄りの出番だろう。もちろん300ベクレル/kgあたりの高汚染米はさすがに食べたくはないが、100ベクレル/kg以下程度の汚染であれば寿命にそう影響するとは思えない。

だからしっかりと汚染数値を公表している福島米を、中年以降の者は積極的に買おうではないか。

と、米好きな私は思うのだがどうだろう。

2011年11月11日金曜日

どうした野田ッチ!

TPP、TPPと何やらやかましい。

野田首相は昨日表明するはずだったTPPへの交渉参加表明を、どういうわけか急遽取りやめてしまった。

「もう一晩ゆっくり考えたい」らしい。

なんだかやり方がどじょうっぽくなくなってきたようである(ヴィジュアル的にはどじょうでもいいが、その行状から判断すると古ダヌキの方がお似合いではないだろうか)。

少々考え過ぎかもしれないが今回の記者会見延期は、木っ端役人の小細工っぽい匂いがするのだ。

たとえばこんな具合だ。

野田首相は12日からハワイで行われるAPECのために、明日朝には日本を発たなければならない。だとしたらどう考えても10日に交渉参加表明するよりも、11日夜に表明してさっさとAPECに行っちゃった方が楽である。どうせ時間があったって現段階では詳細な説明なんてできやしないんだから……。

それに今夜はサッカーの日本代表戦やらフィギュアスケートのNHK杯やらバレーボール女子のワールドカップやら大きなスポーツイベントが目白押しだから、その時間に合わせて記者会見をチャッチャと済ませてしまえば国民の注目度は低いというわけだ。




そうするとTPPに関する記者会見は、今夜6時から8時の間くらいに行われるということか。

いやはやなんとも……、想像した通りにならなければいいのだが。

2011年11月1日火曜日

九電暴走!

九電が復水器の異常で10月4日に自動停止した玄海原発4号機を、11月上旬にも再稼働する方針を決めたという。

玄海4号機再稼働 地元の同意得ぬまま 広がる波紋
九電 玄海4号機再稼働へ 国、妥当と判断 地元自治体反発も

上記リンクの新聞記事によると〈経済産業省原子力安全・保安院が九電による原因調査と再発防止策を妥当と判断したのを受け、佐賀県と玄海町に「再稼働は事業者(九電)の判断で行う」との意向を伝えた〉らしい。

「やらせメール」の発覚以来、叩かれっ放しの九電は、自らが生き残るためにやけっぱちの暴走モードに入ってしまったようだ。




国(経済産業省原子力安全・保安院)は、福島第一原発事故のこと、それに伴い大きく変化した地元市民やその他大勢の国民感情など全く意に介さず、慣例に従って判断を下しただけと言い逃れようとしている。

県と町は国が判断したのだからしかたがないと言って逃げようとしている。

どうやら事態はすべての人にとって悪い方向に向かっているようだ。

2011年10月30日日曜日

人間の錯覚について

昨日、人間の錯覚についての番組をなんとなく見ていたのだが、改めて人間の不完全さを思い知らされた。

もちろん錯覚を誘発するためのトリックが仕込まれた映像なのだが、私はそこにいるはずのないゴリラがはっきり映っているのを見事に見逃してしまった。
トリックは簡単なもので、ただ単に前にいる人間の方に注目するようにしむけられていただけである。

要するに私たちは注意深く見ていない限り、テレビ画面という狭い範囲にあるものでさえ平気で見逃してしまうということだ。

番組は人間の視覚に関するものが主であったが、見終わった後に少し別のことに思いが至った。

それは人間の思考も錯覚に陥るということである。

我々は自分が信じたいことだけ、聞こえたり見えたりする。意図的にではなく本能的に自分の意にそぐわない意見は拒否してしまうのだ。

しばしば議論が平行線をたどり解決しないのはそんなところに原因があることも多いような気がする。

自分が問題を正しくとらえているか、錯覚や偏見や先入観にとらわれていないかチェックすることは重要だ。

怠れば問題を見誤ることになる。

東京都現代美術館前の歩道

2011年10月29日土曜日

食品安全委員会がおかしなことを言いだしている

内閣府の食品安全委員会が「食品に含まれる放射性物質による内部被ばくを累積で100ミリシーベルト程度に収めるべきだとする見解をまとめた」らしい。


食品安全委の姿勢に疑問の声
内部被ばく健康影響で新見解


どうやら、これまでは消費者に対する説明会などで、100ミリシーベルトには内部被ばくのほか、体の表面に放射線を受ける外部被ばくも含むという説明をしてきたのに、内部被ばくだけで100ミリシーベルトまでは大丈夫ということに考え方を緩めたらしい。


食品安全委の発表


まぁ近頃は、国の言うことを「丸ごと信用する」などという人はどこにもいないだろうからあまり心配していないが、念のために言っておくと新たな見解の方ではなく以前の説明を信用しておいた方が身のためである。


気になるのはなぜいま、こんなことを食品安全委員会が発表したかということだが、もちろん国民の健康や安全のことを考えてのことではないだろう。

おそらく将来問題となり得る障害を極力排除しておきたいという政治家・官僚の自己防衛本能が「放射線被ばくに関する基準はできるだけ緩めておいた方がいいぞ」とかなんとか耳元で囁いたのであろう。



昨晩は新橋でM氏と一杯。久しぶりに都会で飲んだが、繁華街の相変わらずの賑やかさに驚いてしまった。

2011年10月28日金曜日

ようやくまともな数値になってきたようである

国が食品による被ばく量限度を引き下げる方針を固めた。

食品による被ばく量限度引き下げへ

さまざまな食品についての放射線調査が進み、概ね引き下げても大丈夫という感触を得ての措置だろう。

やれやれという感じではあるが、引き下げ自体は歓迎である。

今回の福島第一原発事故によって我々は本当に多くのことを学んだが、政治家や官僚のやり口をかいま見ることができたことも大きな収穫のひとつである。

自宅近所の外環道路建設予定地。当分完成しないのになぜこんな状態に?

2011年10月27日木曜日

世界人口70億人突破

10月31日に世界人口が70億人を突破するらしい。

世界人口70億人へ、資源争奪など不穏な時代の幕開けか

上記リンクの記事を読むと、少々恐ろしくなってくるがそう慌てることはない。もともと私たち人類はずっと資源争奪を続けてきたのだし、それはこれからも変わらない……というくらいの覚悟を持って生きていけば何ら問題はない。

確かに食料やエネルギーが不足する時期や地域は出てくるだろう。それがアジアやアフリカなどの極端に貧しい地域ばかりでなく、日本でも起こり得ることは先般の東日本大震災が私たちに教えてくれた。

残念ながら自然災害の前では私たちはほとんど無力だ。災害が狭い地域で完結すれば、多くの国から支援を得られよう。しかし、広範囲が被災したり、世界各地で多発したりすれば支援の手は必ずしも被災地までは届かない。

日本が地震や台風で壊滅状態になっても、数カ月間自力で食いつながなければならないという状態に陥ることは、もはやフィクションでしかあり得ない話なんかではないわけだ。

私自身もそうだが、少々平和ボケしてしまった日本人は、そろそろ生きることの厳しさを思い出すべき頃合いだ。

日本人が目を覚まし本気になれば、これから人口過多に苦しむ世界に資することができるはずだ。

寒さを感じる気温

わりと暑がりな質なのだが、今日はじめて寒さを感じた。ようやく秋になったという気分である。

天気予報によると外の気温は13℃、我が事務所の室内温度計は16℃を指している。

どうやらそのくらいの気温になると、私は寒さを感じるらしい。

我が事務所は、夏暑く冬寒い仕様でできている。以前は夏がつらかったが、最近は冬がつらいと感じるようになってきた。真冬には朝事務所に到着して温度計を見ると、室温5℃なんてことがあるのだからたまらない。

今年も厚着してがんばるとするか。


2011年10月26日水曜日

このブログについて

この「ふくぶろぐ」は、あくまで個人日記として書いていくことにする。よってつまらぬ内容が圧倒的に多いと思われるので最初に断っておく。

しかし、意見やら何やらは拒まないので何かあれば遠慮なくどうぞ。

そんな感じでのんびりやっていくことにしよう。