2012年2月10日金曜日

臓器移植の意思表示をしよう

たまたま早く帰宅することができたので、自宅で夕食をとりながらテレビを見ているとNHKのクローズアップ現代という番組で臓器移植のドキュメンタリーをやっていた。

「家族が脳死になったとき」

番組は脳死になった患者の家族が医師から臓器提供の話を聞かされるが、本人の意思表示がなかったため残された家族が臓器提供するかしないかで思い悩む、その姿を追ったものだ。

理詰めで考えれば、脳死になってしまい回復の見込みがないのなら、すでに意識もなく痛みも感じないわけだから、使えるものをすべて提供してもなんら差し支えない、ということになるだろう。


だが実際はそう簡単に割り切れるものではない。番組の中でも臓器提供を承諾する家族もいれば、断る家族もいる。そしてどちらの家族も自分たちが下した判断が正しかったか、間違っていたか、ずっと思い悩む。

この問題に正解はないのだと思う。

臓器提供をする場合の脳死判定はかなり厳密に行われると聞いている。そのような状態から蘇生した人がいない以上、脳死が本人にとってはどういう状態なのかは想像するしかない。あとは残された家族がどう判断するかだが、その判断には様々な要因が影響するだろうから部外者が口を挟む余地はない。

番組を見ながらそんなことを考えていてふと思った。いま私が脳死になってしまったら、どんなことになるだろうか。

家族は年老いた両親だけである。もう80過ぎの二人が医師に臓器提供しますか、と聞かれてもオロオロするだけだろう。まぁ、両親より先に私が死ぬことはないと思うが、世の中に絶対はあり得ない。そこで念のため意思表示をしておこうと思い立った。

正直言って少々怖いが臓器はすべて提供しようと考えている。

私が脳死になる可能性はそう高くはないだろうが、こうやって決めておけば年寄りに余計な負担をかけることもない。

自分は臓器提供をしたくないと考えている人も大勢いると思うが、そんな人も意思表示をちゃんとしておいた方がいい。

仮に私が臓器を提供したくなく、そのために意思表示していなかったとしよう。そんな私が事故で脳死になった際、もし担当の医師が脳死移植に積極的な医師だったとしたら……。その医師が年老いた両親を説得するのはわりと簡単だろう。そして私は自らの意志に反して臓器をすべてとられてしまうことになる。

臓器提供を「する」「しない」にかかわらず、意思は明確に示しておこう。

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