2012年3月24日土曜日

孤立死、孤独死について

高齢者や社会的弱者の孤立死、孤独死が後を絶たない。



それを受けて東京都が、速やかに部屋の中に入って安否を確認するよう対応を見直すことになった。


問題解決に向けての小さな前進だとは思う。何もやらないよりははるかにましである。加えて様々な取組が自治体レベルで検討されている。電気・ガス・水道料金などの滞納情報から危機を察知するという方法なども、実現できればある程度の成果を出せる可能性はある。


だが、いま考えられているいくつかの対策がすべて実行に移され、その結果、問題の多くがうまく解決するかといえば、残念ながらそうはならない。


理由はいくつかあるが、大きなものを二つほど挙げておく。


まず問題の性質上、効果的と思われる制度ができたとしても、その運用がかなり難しいということだ。たとえば滞納情報から危機を察知するという方法について考えてみよう。


たぶん制度は滞納が発生したらできるだけ早く安否確認することと決められる。確認は地区の民生委員か行政職員か警察など決まった人が行うことになるだろう。


制度の運用が始まり、滞納情報が続々と届く。


担当者は最初のうちは丁寧に1件1件対応する。だがほとんどの場合、単純な滞納に過ぎず、訪問相手に感謝されることなどほとんどなく反対に嫌がられてしまう。中には「いちいち確認に来るんじゃねぇ、ボケ」とか言ってすごむ輩もいるかもしれない。繰り返し繰り返し訪問しなければいけない家も出てくる。安否確認に行くたびに迷惑がられ、そのうちにいちいち滞納するたびに来ないで欲しいと頼まれたりもする。


やがて訪問先を選ぶようになり、誰かがどこかで何かを見落とす。そして再び孤立死が発生する。


どんな制度でもうまくいくか否かは、ある程度それを運用する人の能力に頼らざるを得ない。より実効性のある制度にしていくためには、試行錯誤を繰り返す以外に方法はない。


二つ目の理由は、これらの対策は根本的な問題の解決になっていないということだ。


孤立死、孤独死が増えたのは、社会が閉鎖的になったためにほかならない。その根本問題をしっかり受け止めて解決しない限り問題の根絶は不可能だ。


私たちは密閉度の高い快適な住居を手に入れ、プライバシーを尊重するという理屈で近所付き合いの煩わしさを大きく軽減することに成功した。だがそれは地域のつながりを弱め、孤立死や孤独死などを誘発する諸刃の剣だったということだ。

そろそろ間違えを認め、進む方向を修正するべきときなのではないだろうか。

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