2012年7月12日木曜日

徒歩のすゝめ

2週間ほど前、いつものように自転車で帰宅する途中のことである。

自転車の後輪が「キュインっ」という聞き慣れぬ音を発しパンクしてしまった。

道の側溝にできた隙間にタイヤがはまり込み、何らかの加減でそんなことになってしまったらしい。

そこでこの機会をとらえて、前々から頭の片隅で考えていたことを実行することにした。

つまり、自転車を廃棄して、今後近距離の移動手段はすべて徒歩とすることを決定したわけだ。

我が家は最寄り駅から1キロ半ほどである。職場まではおよそ2キロ。職場からいろいろなところで買い物をしながら帰宅しても歩く距離は2キロ半ほどに過ぎない。

よく考えればもともと自転車などという贅沢品を使っている方が間違っていたわけだ。そんなものがなければ、終日事務所に引きこもって作業しなければならない日でも4キロは歩くことができる。健康維持にはぴったりではないか。

そんなわけでおよそ2週間。徒歩生活を続けているのだが、やってみると10年ほど前に車を手放したときと同様、何も困ることがない。

2リッター入りのペットボトルを駅前のスーパーで買って帰るときはやっぱり重いかなぁ、と心配していたが、ちょうどいい訓練くらいの感じである。

しかも、たったの2週間歩いただけだというのに体調が思いのほか良好なのだ。

やはり人間は歩くようにできているということだろう。1日5キロや10キロ歩いた方が健康は維持できるのだと思う。

ところがこれから自動車業界は、超小型車を売り込むためにさまざまな戦略を展開しようとしている。

手軽な移動手段としてそんなものが普及したら、人間はいまよりももっと歩かなくなってしまう。一度便利さを味わうとなかなか手放せないものだ。

やがて歩く力が衰え健康を損なう人が続出することになる。

だから、歩ける人は間違ってもそんなものを買わず、もっと自分の足で歩くことをお勧めする。

2012年7月11日水曜日

大津市の中学生自殺を巡るネット制裁について

滋賀県大津市で昨年起きた中学生の自殺。

大津市中学生自殺、教師は対応放置、警察被害届受理せず

一部の同級生が自殺した生徒に行なっていた暴行をはじめとする数々の犯罪行為。それを知りながらやめさせようとしなかった教師と学校。生徒が自殺した後の大津市教育委員会のいい加減な対応。自殺した生徒の父親が申し立てた訴えを受理しなかった大津警察署。「遊びの範囲だった」と犯罪行為をごまかそうとする同級生の保護者たち……。次々に驚くべき事実が明らかにされている。

報道を見るかぎりでは、一部の同級生が行なっていた暴行などの犯罪行為が自殺の原因と思われるが、まだはっきりと結論は出ていない。

しかし、一人の中学生が自殺するという事態の重大さをまるで意に介さないかのような関係者の傍若無人ぶりにネット民がぶち切れてしまった。

ネット上には、自殺した生徒を暴行していた同級生の実名と写真、その両親や親族の実名と写真、担任教師の実名と写真、学校長の実名と写真などが多数アップされている。

おそらく彼らはいま、世間の冷たい視線を浴び恐れおののいているだろう。

ネット上に個人情報をばらまく行為の善悪についてここではあえて触れない。その代わりにわたしが得た教訓を書いておく。

これからの時代は、一般大衆を怒らせるような真似をするとネットを使って社会的に抹殺されかねないから気をつけろということだ。

万が一、自分や関係者が何かをしでかしてしまいネット制裁を受けそうになったら、それを防ぐ手立ては一つだけしかない。

逃げたり、ごまかしたりせずに、認めるべきは認め、謝るべきは謝り、反論すべきは反論する。それだけだ。

おそろしいことになったものだが、正義、不正義という概念が大きくゆがめられてしまっている現代においては、このネット制裁は一概に否定できない現象なのかもしれない。

※ネット制裁
こういう言葉が一般的なのかどうか知らないが、自分としては最もしっくりくるので使用した。

※いじめという言葉
いじめと犯罪行為を区別するべきと考えているため本稿では「いじめ」という言葉を使用しなかった。常に問題とするべきは行き過ぎた行為である。学校内で起こる生徒同士のもめごとは絶対になくならないしなくすべきではない。子供はそれを乗り越えることによって社会性を身につけていく。行き過ぎがないかどうか監視するのは、学校、教師、親、そして地域社会の役目だ。

2012年6月17日日曜日

大飯再稼働によって関西が計画停電に陥る危険性が増大した理由

野田首相が「国民の生活を守るために再起動すべきというのが私の判断」と言い、それに調子を合わせた西川福井県知事と時岡おおい町長が再稼働を容認し、大飯原発は再稼働した。

さて、果たしてこれで本当に今夏の電力需給は改善され、関西圏で計画停電が行われたり、需要が供給を上回ってしまい大停電に見舞われる危険は減少したのだろうか。

確かに大飯再稼働により電力需給がいくぶん改善されることは間違いない。

が、政府が早い段階から「再稼働ありき」という姿勢で物事を進めたため、大飯原発を再稼働したにもかかわらず『計画停電や大停電の危険性は逆に増大』というおかしな事態に陥っていると私は見ている。

福島第一原発事故が起こって以来私たちは、原発のことをいろいろ学び、それがおそろしく厄介なものであることを知った。福島レベルの事故でさえ非常に珍しいものではなく、巨大地震や津波、あるいはテロリストによる攻撃などで、簡単に起きる可能性があることも露呈した。

加えて、事故でなくても小さなトラブルや機器の異常が起きれば原発はすぐ止まってしまうデリケートなものだということも、一旦止まったら点検やら何やらで再稼働まで数週間単位の時間がかかることも知った。

今夏、大飯原発で何らかのトラブルが起こり、再稼働したばかりの3、4号機が停止してしまう可能性は0%ではない。安全のため一旦停止しなければいけない程度の地震がある可能性も0%ではない。

そうなった時はまさしく緊急事態である。

たとえば大飯原発を再稼働させず、節電や供給力の積増し、他電力会社からの融通などを徹底的にやってオールジャパン体制を取っていたとしたら、「みんなでがんばって今夏を乗り切ろう」というモチベーションがもともと高まっているので、追加で火力発電所のトラブルなど多少の不測な事態が起こっても回避できる。

しかし政府が「原発ゼロでもなんとかするぞ」という姿勢をかけらも見せず、再稼働回避のための努力を全くしなかったことで、かなり多くの国民はしらけている。

去年はがんばって節電に努めた人も「熱中症になったらかなわん」とそれほどがんばって節電もしないだろう。工場やオフィスや商店も去年ほどはがんばらないかもしれない。去年は暑がりの私もだいぶエアコンを我慢したが、今年は快適に過ごすつもりだ。

そんな時に大飯原発がトラブルで止まったら……。

野田首相の一番の罪は原発の安全性をないがしろにしたことだが、あえてそこまでして守ろうとした電力の安定供給もかえって脆弱(ぜいじゃく)なものにした可能性があることをご本人は自覚しているのだろうか。

2012年6月11日月曜日

大飯再稼働は決定! で、今夏の節電要請は何%になるのか。

最初に言っておくが、これはデータの裏付けも何もない単なる個人的な予想に過ぎないので軽く流して欲しい。

野田首相が責任を取れるわけないのに「自らの責任で判断」したおかげでどうやら今週中にも大飯原発の再稼働が決定しそうな状況である。

政府の需給検証委員会や関西電力は大飯を再稼働させれば電力は足りると言っている。

需給検証委:「大飯再稼働なら電力足りる」関電管内

当然、大飯原発が再稼働しないことを前提に決定し、関西電力管内15%以上と発表していた政府の節電要請は変更になるはずだ。

夏場の節電対策 正式に決定

さて、何%の節電要請になるだろうか。気になるので自分なりに予想してみた。

「足りると言ってるなら節電なんかしなくていいじゃん」と言いたくなるが、さすがにギリギリではちょっとおっかない。もともと政府は電力不足を若干大げさに言っていたとしても、余裕はできるだけ大きい方がありがたいと考えているに違いない。

本音を言うと、15%のままにしておきたいところだろうが、それでは脱原発派、大飯再稼働反対派から非難を浴びることになる。

そこで政府が狙うのは大飯再稼働の効果を喧伝(けんでん)することができ、電力需給にも余裕を持たせることができるギリギリのラインだ。

おそらく5〜8%というところに落ち着かせるだろう。

最初にも書いたが、これはあくまでも個人的な予想に過ぎないので軽く流してほしい。

2012年6月9日土曜日

いまのままでは冤罪事件はなくならない

東京電力OL殺人事件の再審が決定した。

無期懲役で収監されていた被疑者の釈放も認められた。現段階ではまだ、無罪が確定したわけではない。しかし、マイナリ氏は事件当時不法滞在で日本に留まっていたため、釈放されるとすぐに母国ネパールに強制送還されるという。

実質は無罪放免であり、警察、検察、裁判所が間違いを犯したと判断されたわけだ。そして事件は迷宮入りとなってしまう。

このような事件のニュースを見るたびにいつも思うことがある。

捜査や裁判に関係する人たちはいったい何を使命としているのだろうか?

真実を見つけ出し、公平な裁きを行うことではないのだろうか……。

残念ながら警察、検察、裁判所、弁護士といった法に携わる人々から、真実や公平な裁きというものに対する真摯な姿勢をまったく感じることができない。

たぶんそれは個人個人の関係者が悪いわけではなく、法を巡るシステム自体が齟齬(そご)をきたしているのだと思う。

いまのままでは日本では冤罪事件はなくならないし、公平な裁きも期待できない。

だから妙なことに巻き込まれないように充分気をつけよう。

2012年6月3日日曜日

原発再稼働第1ラウンド決着

再稼働推進政府連盟(政府、経済界、電力会社:私が勝手に命名した)vs 再稼働反対関西連合(大阪府・市、京都府、滋賀県:こちらも私が勝手に命名した)による「原発再稼働抗争」第1ラウンドは、政府側の勝利で決着がついた。

世の中では、再稼働反対関西連合のボス、橋下徹大阪市長が「ギリギリでひよった」とか「最初から出来レースだったんだ」とか言って非難したり、失望したりする向きが多いようだ。

しかし、私の見方は少々違う。
実際のところは、本人が記者会見などで認めてるように文字通りの完敗だったのだろうと受け取っている。

まぁ、あくまでも私個人の想像の域を出ないが、再稼働反対関西連合は関西電力の協力を得て徹底的な対策を講じれば、大飯原発を再稼働させなくても今夏を乗り切れるという感触を得ていたはずだ。

ただ、あくまでもそれは、政府、経済界、電力会社、一般大衆のすべてが協力するというオールジャパン体制が整わなければ実現できない。

ところが肝心の野田政権の判断は「大飯再稼働」だった。政府の後ろ盾が無ければ、オールジャパン体制は整わず需給はかぎりなく逼迫(ひっぱく)する。一方、政府を見方につけた関西電力は「大飯再稼働はできる」と勢いづいた。政府と関西電力、そして利害が一致する経済界が手を組んで、再稼働反対関西連合を追い詰めた。

方法は簡単だ。

「再稼働反対関西連合が再稼働を認めないため大飯を動かせません。このままでは計画停電を実施せざるを得ない状況です(言葉にしているわけではないが橋下市長や京都の山田知事、滋賀の嘉田知事のせいだと言っているようなもの)。

上記のような意味合いのことを巧妙な言い回しであちこちで吹聴すればいいだけだ。そうすればメディアが勝手に拡散してくれ、再稼働反対関西連合への風当たりは強まる。

あれほど鼻息の荒かった再稼働反対関西連合がここ数週間で急速にトーンダウンしたのは、おそらくそのような事情があったのだろう。

歯切れよくわかりやすい物言いで大衆の支持を集めている橋下市長も、政府と経済界、電力会社連合の圧倒的なパワーにはかなわなかったということだ。

だが、今回橋下市長が己の負けを認め、野田政権の成果を一部認めたことで私は、橋下市長を改めて評価するつもりになっている。

経験したことがある人ならわかるはずだが、己の負けを認めるというのはなかなかできることではない。しかも橋下市長は「再稼働に反対である」と突っ張り通した方が自分の人気を維持するためには有利であることをわかっていたはずだ。

その橋下市長がぶざまに敗北を認めた。おまけに野田政権の成果を一部認めることまでした。おそらく多くの人ががっかりしたことだろう。

しかし橋下市長は、ただ、自分の流儀を押し通しただけなのだ。

私たちは誰でも自分なりの哲学というものを持っていて、基本的にはそれに従って生きている。優柔不断と言われるタイプの人間は、その時々、状況によって内なる哲学を簡単に書き変えることができる。正反対の頑固者と言われるタイプの人間は、どんな状況に立たされても容易に内なる哲学を書き変えることができない。橋下市長は良くも悪くも後者タイプなのだ。

つまり、今回の再稼働反対関西連合の負けっぷりは、橋下市長としては言い逃れることが許されないほどの負けっぷりだったということだろう。だから自分にとってマイナスになることがわかっていたが、自分自身の心の平衡を保つためにあえて敗北宣言をしたのだ。

だが、橋下市長は敗北宣言をしながらも、第2ラウンドに向けての布石を打っていた。それは今回の再稼働が「暫定的」なものであり、政府の安全宣言も「暫定的」なものであるという言質を細野環境相からとったという事実のしつこいほどの確認だ。

橋下市長は潔く自分の敗北を認められる哲学を持ち、負けながらも次の戦いへの布石を打つしたたかさも併せ持っている。政治家に必要な資質を十分に兼ね備えているような気がしてきた。私が橋下市長を評価しなおした所以(ゆえん)だ。

今秋、残暑が終わった頃、原発再稼働問題第2ラウンドが勃発する。その時は今回のように再稼働推進政府連盟の圧勝というわけにはいかないだろう。確かに政府(政治家、官僚、大企業)の権力は圧倒的だが、世の中にはそれを上回る権力がある。

大衆のパワーだ。

必ず橋下市長は用意周到にそのパワーを利用するだろう。それに成功すれば野田政権ごときは粉々に吹っ飛ぶことになる。

原発問題を巡る本当の戦いは今秋である。

2012年5月31日木曜日

もし私が脳死になったら……。

3カ月ほど前にこんなエントリーを書いた。

臓器移植の意思表示をしよう

で、さっそく実行しようと思って書いた翌日に社団法人臓器移植ネットワークのホームページを開いてみた。

もちろん私は上記エントリーに書いたように、すべての臓器を提供するという意思表示をするつもりだった。本音を言うと、ちょっと怖いし、何も全部提供しなくたって……という気おくれがなくはなかった。

だが、自分で言い出したことだから逃げるわけにはいかない。そう思い勇気を出してホームページを開いたのだ。

ホームページには予想通り、ネット上から意思登録できる仕組みが用意されていた。

なんてことはない、そこでササッと入力して手続きを完了させれば臓器提供意思表示カードが送られてくる。だが、やはり内蔵を全部取られる可能性があるのだから少しは万一のことを確認しておきたい。そう思ってホームページをいろいろ見ているうちに、なんとなくげんなりしてきてしまった。

どうもこの臓器移植ネットワークのホームページからは人間味があまり感じられないのだ。自分が事故に遭い、意識不明になった時にどんな確認が行われて脳死判定となるのか、そこでは何らかの手違いが起こる可能性をどう排除しているのか、家族のケアはどう行われるのか……。

これから意思表示しようと考えている者にとって必要なのはそのような情報だが、残念ながらホームページの作られ方を見る限り、そのような情報提供には力を入れていないようだ。どちらかというと現状の臓器提供の少なさ、必要性に重点が置かれていると強く感じた。

そうなると人間は弱いものだから不安がもたげてくる。果たしていざという時に自分はきちんとした扱いをしてもらえるのだろうか。実際に国内で行われた脳死移植が13例(2012. 5. 31現在)しかないのは現行制度に何か問題があるからではないのか……。

そんなわけで私はとりあえず、最初に考えていたのと正反対の登録をした。

「臓器提供はしない」と。

機会があったらもう少し詳しく調べ、日本の臓器移植が適正に行われていると納得した上で「すべての臓器を提供する」という登録に変更しようと考えている。

何かを人に依頼する場合は、自分の都合ばかりを前面に出してはいけない。これは鉄則である。