2012年11月18日日曜日

20121118_菅政権の実績(3)

前回では菅政権の実績を2点ほど上げたが、今回は失政について触れておく。

前にも書いたが、菅直人は民主党内のゴタゴタを収めることができず、2011年3月11日まで目立った成果を何も上げられていなかったことも、大きな失政の一つだろう。

続く3月11日以降の菅政権の災害、事故対応はどうだっただろうか? 正直言ってお粗末なものだったと思う。だが、東日本大震災とそれに続く大津波、そして原発事故という一連の事態は、まさに非常事態であり誰にも予測できなかったことだ。

あまりにも備えが足りなかったために、なす術がなかったというのが本当のところだろう。たぶん首相が菅直人ではなく、ほかの誰かであったとしても数多くの失策を犯したであろうことは間違いない。

だからここでも細かいことには言及しない。ただ、重要と思われる以下の1点のみ上げておく。

まず、情報の秘匿について。もともと日本の官僚がこれほどまでにのさばっていられるのは、不都合な情報を簡単に隠すことができるからにほかならない。菅直人はその悪しき習慣を打ち破る千載一遇のチャンスを逸してしまった。

なぜ、非常時に放射性物質の拡散情報は明らかにされなかったのか。

おそらく、霞ヶ関のお役人たちに菅直人や閣僚はこんなことを言われたのだろう。

(この部分は想像に過ぎないが)「事実を発表すると、住民がパニックを起こして一斉に避難を始めるのでかえって危険です。死者やけが人が多数出る可能性もあります。そんなことになったら不用意に危険を煽ったとして、菅政権が厳しく責任を追求されることは間違いありません。今のところ放射性物質の拡散は、すぐに影響があらわれるレベルではないのでこれは伏せておきましょう」

という具合だ。

確かに非常事態宣言を出し、自衛隊などを出動させたとしても100万人単位の住民を安全に非難させるのは至難の技だ。多数の死者やけが人はでないかもしれないが、何人かの死亡者は出るだろう。だが、そのリスクを負うのが指導者の役目だ。

情報を秘匿は諸悪の根源だ。

菅直人政権は結局、東日本大震災と福島第一原発事故対応以外のことはほぼ何もできず、2011年8月30日に総辞職する。

2012年11月17日土曜日

20121117_菅政権の実績(2)

2011年3月11日以降の菅政権の実績は、すべて福島第一原発事故関連のものである。

むろんここでも特筆すべき点のみを取り上げる。

評価すべき点は、以下の2点である。

まず、東京電力の全面撤退を阻止したことが上げられる。まぁこれは、菅政権の実績というよりも、菅直人元首相個人のファインプレーだろう。
この件に関しては、東京電力は一部撤退と言っただけで全面撤退とは言っていないとする説もある。東京電力の言い分が正しいのか、菅直人の言い分が正しいのかは、以下のリンク先の新聞記事を読んでご判断願いたい。

最悪時は残留10人と「認識」 国会事故調で東電前社長

二つ目は、「電気事業者による再生可能エネルギー電気の調達に関する特別措置法」を成立させたことだろう。

もし、菅直人がこの法律を成立させていなければ、原発に変るエネルギー確保への取り組みは、今よりもはるかに立ち後れていたはずだ。この法律があったおかげで政治がもたもたしているにもかかわらず、再生可能エネルギー導入の動きはなんとか継続している。

2012年11月16日金曜日

20121115_菅政権の実績(1)

菅政権は「最小不幸社会の実現」を目指して誕生した。

しかし残念なことに(民主党代表選を経て誕生したにもかかわらず、それも短期間に2度も勝利したのに)民主党党内のゴタゴタを治めることができず、その対応に追われているうちに2011年3月11日を迎えてしまう。

東日本大震災前の実績を強いて上げれば、2011年9月7日に発生した「尖閣諸島中国漁船衝突事件」がある。

日本の巡視船に、中国籍の不審船が体当たりをしてきた事件である。日本側は中国人船長を逮捕したが、9月24日に突如釈放してしまう。表向きは那覇地方検察庁が独自に判断して釈放したことになっているが、そんなバカな話があるわけがない。当然、政権上層部の判断があったと見るべきである。

この措置は、国の内外に民主党政権が外交的には弱腰であるということを印象づけてしまう。

2012年11月15日木曜日

20121112_菅政権の概略

菅直人の内閣総理大臣在任期間は、2010年6月8日から2011年9月2日までである。

前任の鳩山由紀夫内閣と異なり、菅直人内閣は党の実力者小沢一郎との確執があり、最初から波乱含みの誕生だったと言える。が、ともかく小沢グループが推す樽床伸二との代表選に勝利し、菅直人は総理大臣に就任した。

しかし、就任直後の7月11日に投開票された第22回参議院議員通常選挙でいきなり大敗北(選挙前の54議席を44議席に減らし、参議院で与党は過半数割れとなる)を喫してしまう。おかげで菅内閣は、党の内外からその責任を問われ批判にさらされることとなる。

小沢グループなどは、まるで他党であるかのような風情で菅直人を批判していたが、よく考えるとおかしな話である。

くだんの参院選は政権誕生後、わずか1カ月余りで行なわれた選挙である。総理大臣であり民主党代表でもある菅直人は、その1カ月の間に大きな成果は上げていないが、むろん大きな失敗もおかしていないという状態だ。野党ならともかく同じ党の議員が、そのようなタイミングで行なわれた選挙の責任を、自党の代表である菅直人に押しつけようとするのはどう考えても無理がある。まぁ、形式上は党の代表が責任を問われることはしかたないことだが、それは他党が言うべきことで身内が言うことではない。

参院選敗北は、私の見立てではむしろ、失策を繰り返した前内閣の鳩山由紀夫と金権イメージを身にまとう鳩山(ここでも登場)、小沢らの責任の方が大きい。

続けて菅直人は、党の規定により9月にも民主党代表選を戦うことになる。この代表選には満を持して小沢一郎が出馬する。てっきり「小沢一郎は、背後で物事を操ろうとするタイプであり、総理大臣になって表舞台で活躍しようとはしないだろう」と私は考えていたのでこれは意外だった。

党内の最大派閥を率いる小沢グループと現職菅直人の争いは、接戦になると見られていたが、あにはからんや結果は菅直人の圧勝で終わる。

実は、この代表選で民主党の内部抗争は収まり、菅政権が実力を発揮するのではないかとほんの少しだけ期待した。

だが、秋から冬にかけての菅政権はほとんど何もできずに終わり、あの……3月11日を迎えてしまう。

2012年11月6日火曜日

20121106_鳩山内閣の実績(3)

鳩山由起夫内閣の実績として行政改革の一環である事業仕分け、普天間基地移設問題について見てきた。

だが、10カ月ほど続いた鳩山内閣の仕事として取り上げるべきものは、それ以外にはあまりない。もちろん彼とて遊んでいたわけではないから、細かな政府提出法案は国会でいくつも可決成立している。

しかし、それに言及してもあまり意味はないと思う。たいして大きなニュースにもならず国会で粛々と可決成立するような法案は、誰が総理大臣でも結果は同じところに落ち着く、そういうものだからだ。そのような基準で見ていくと「鳩山だから……」というような実績は、ほかにはほとんど見当たらないのだ。

結局、鳩山内閣は、組閣当初は政権交代の高揚感もあり大きな期待を集めたが、その実行力のなさ、見込み違いによる前言撤回、そんなことばかりが目立ち、急速に国民の支持を失っていく。

最終的には普天間基地移設問題が収拾不可能な状態に陥り、2010年6月8日、首相と民主党代表を辞任するに至る。

私はどちらかというと民主党嫌いであり、鳩山由紀夫も嫌いである。そのため知らず知らずのうちに公正を欠く見方をしているのではないかと思い、再度、ウィキペディアなどで鳩山内閣の実績をおさらいしてみたが、残念なことにやはりつけ加えるべきことは見つからなかった。

初の民主党内閣である鳩山内閣は、何ら実力を発揮することなく不発で終わったということである。

2012年11月2日金曜日

21021102_鳩山政権の実績(2)

民主党政権、特に鳩山由紀夫政権の実績を語る上で、普天間基地移設問題に触れないわけにはいかない。

私の考えでは2009年8月の総選挙で民主党が大勝したのは、別に民主党が評価されたわけではなく、自民党に嫌気がさして、試しに民主党に1回やらせてみようと考えた有権者が多かっただけである。

むろん私も自民党の一党支配ではダメだと考えていたが、いまひとつ民主党に肩入れする気にならなかったのは、実にいい加減なことばかりを言う鳩山、菅、小沢などの民主党の幹部たちを信じられなかったためだ。

その最たるものが普天間基地移設問題だった。

民主党は普天間基地の海外移設を目指すとし、最低でも(沖縄)県外と言って選挙戦を戦った。

もちろんそれが実現できれば素晴らしいことである。

だが、海外や県外への移設が、かなり困難なことであることは容易に想像できる。まず、海外移転は日本の国益から言ってもできないだろうし、沖縄県外に移設するとしたら、相当丁寧な根回しと準備が必要になるだろう。政治家と官僚によるゴリ押しがまかり通る問題ではない。かりに実現できたとしても一朝一夕に実行できることでもない。

それにもかかわらず鳩山氏は、自信たっぷりに「最低でも県外」と言い続けていた。そして2010年3月にはあの有名な「腹案がある」発言まで飛び出した。

結局、鳩山氏率いる民主党は実現可能な移設案など何も持ち合わせておらず、自民党時代と同じ辺野古案に戻ってしまう。一旦希望を持たせておいて、あっという間にそれをぶち壊されたのだ。沖縄県民が怒り、いま、かたくなに県外移設にこだわるのも当然という気がする。

自民党時代になんとか辺野古で決着しかかっていた移設問題を、どうにもならないほど混乱させてしまったのは鳩山政権と認定していいだろう。

2012年11月1日木曜日

20121101_鳩山政権の実績(1)

正直言って、鳩山由起夫内閣の出だしは非常によかった。鳩山首相の口からは行政改革、減税、子育て支援、普天間基地の移設(海外あるいは沖縄県外)など、威勢のいい言葉が次々と出ていた。

民主党の悲願であった自民党からの政権奪取がかなったのだから、気合いが入るのも当然だろう。民主党政権に対し懐疑的だった私も、「よし、やってやるぞ」という鳩山首相のやる気満々の顔を見て、「おやっ、少しは活躍してくれるのかな」と一瞬思ってしまったくらいである。

実際、平成22年度予算を削減するために行なわれた事業仕分けは、政治パフォーマンスとしてはなかなか面白かった。蓮舫議員や枝野議員が、次々と官僚たちをやり込める姿は庶民の目には気持ちよく映った。しかしその一方で、行政刷新会議(議員)側のやや乱暴な論理展開に違和感を感じないでもなかった。

だが、何よりも問題なのは、あれほど派手なパフォーマンスを展開した割には、実際の予算削減はそれほど大きなものではなかったということだ。

削減額9692億円。当然鳩山氏や民主党寄りの人は、この数字を大成果と評するだろうが、平成22年度の国家予算は92兆2992億円、平成21年度予算を3兆7512億円も上回っている。

むろん、「2兆円の景気対策を行なったのだからしかたがない」というような言い訳はあるだろうが、景気は一向に上向いていないのだから、その景気対策も無駄遣いだったわけだ。

そして後からわかるのだが、事業仕分けで中止になった事業がひそかに復活したりしている。つまり、鳩山由起夫内閣の行政改革は完全なる失敗に終わったということだ。