私は営業職というわけではないのだが、どういうわけか昔から営業も兼務していた。まぁ、零細企業ではよくある話である。当然、いろいろな顧客のところへ行くわけだが、その客先でいつも感じていたことがある。
それは、人間教育をしっかりやらない会社に入った人は気の毒だな、ということだ。あっ、間違えないで欲しいんだが、私が言っているのは“社員教育”ではなくて“人間教育”である。
普通、従業員を雇う会社なら、大きかろうが小さかろうが会社の仕事をしてもらうための手順や、その会社における最低限のルール、マナーのようなものは教える。そうしないと使いものにならないのでね。ようするにその会社の社員のための教育、つまり社員教育である。だから、この社員教育に関しては、ほとんどの会社がきちんと実行する。
だが、会社の仕事に直接関係ないことまできちんと教えるかどうかは、企業によって大きく異なる。
わかりやすい例をひとつ上げると、たとえばこんな具合だ。零細企業の営業はときどき配達員にも変身する。そうすると、取引先の普段行かない部署などに品物を持っていったりするわけだ。で、ときどきひどい扱いを受けることがある。
「すみません、納品にうかがいましたぁ」と声をかけても、広いオフィスにいる数十名の社員が誰も応対してくれないとかね。
「そこに置いといて」とか、あごで指示されたりね。
最後に「ありがとうございました」と言っても、だ〜れも返事してくれないとかね。
わりと丸の内あたりのでっかいビルにご本社がある、一部上場、超有名会社にこういうケースは見られたりする(そういう会社けっこう何社もあったなぁ)。
思うんだけど、これは社員うんぬんではなくて、人としてどうなの、というレベルの話だ。
誰かが来たら、できるだけお待たせしないのは普通の心遣いだと思う、来たのが誰であっても。まぁ、普通の家なら相手が押し売りかもしれないから、ドア越しの応対でもいいし、のぞき穴からのぞいて、あまりにも怪しい風体だったら無視しても仕方がないこともあるだろう。しかし、オフィスに来た配達員無視ってのは理解できないし、「ありがとうございました」の言葉に「ごくろうさま」のひと言も返せない社員がいたら、私がその部署の上司なら激怒レベルの大ごとだ。
まぁ、これはほんの一例であって、知らず知らずに犯している礼儀知らずや恥ずかしい行ないは他にもたくさん見聞きする。それに最近は、上っ面だけ取り繕っている会社も見かけることが多くなった気がしている(上っ面だけ取り繕ってもメッキはすぐハゲ落ちる)。
ついこの間、初めてお伺いする会社に行って、久し振りに理解不能な応待をされて驚いたのと同時に、そういう“人間教育”をきちんと受けることができないというのは、とても気の毒なことだなぁと思った次第である。
2013年11月28日木曜日
2013年9月14日土曜日
Google+ の埋め込み機能について
Google+ の投稿をブログやサイトに埋め込みができるようになったらしい。
で、試してみたい。
なるほど簡単である。
+1もBlogger上で押すことができる。 こうなると、Google+ の使い方が変わりそうである。
で、試してみたい。
なるほど簡単である。
+1もBlogger上で押すことができる。 こうなると、Google+ の使い方が変わりそうである。
2013年8月24日土曜日
戦術上の誤りやためらい
人はなぜ失敗するか。
そのひとつのパターンに以下のようなものがある。
『キッシンジャー秘録(1)ワシントンの苦悩』p.22 より引用
〈もっとも偉大な大統領の一人になったかもしれない男が、その目標を達成できなかった。これを知ることは、その友人たちにとっては、いっそう辛いことだった。なぜなら、われわれは戦術上の誤りやためらいがなければ、結果が違うものになっていたことを、内心では知っていたからだった。〉
※もっとも偉大な大統領の一人になったかもしれない男……ネルソン・ロックフェラー(1908年7月8日 - 1979年1月26日)のこと。
どんなに高尚な目的を持っていても、戦術に誤りがあればうまくいかない。しかしそれよりも、もっとはるかに問題なのは、目標が高ければ高いほど、目的が高尚であればあるほど、人物が高潔であればあるほど、実行に「ためらい」が生じるということだ。
事を成そうとするものは、馬鹿になり切らなければけっして成功しない。良識から生ずる「ためらい」に成功を妨害させてはいけない。
そのひとつのパターンに以下のようなものがある。
『キッシンジャー秘録(1)ワシントンの苦悩』p.22 より引用
〈もっとも偉大な大統領の一人になったかもしれない男が、その目標を達成できなかった。これを知ることは、その友人たちにとっては、いっそう辛いことだった。なぜなら、われわれは戦術上の誤りやためらいがなければ、結果が違うものになっていたことを、内心では知っていたからだった。〉
※もっとも偉大な大統領の一人になったかもしれない男……ネルソン・ロックフェラー(1908年7月8日 - 1979年1月26日)のこと。
どんなに高尚な目的を持っていても、戦術に誤りがあればうまくいかない。しかしそれよりも、もっとはるかに問題なのは、目標が高ければ高いほど、目的が高尚であればあるほど、人物が高潔であればあるほど、実行に「ためらい」が生じるということだ。
事を成そうとするものは、馬鹿になり切らなければけっして成功しない。良識から生ずる「ためらい」に成功を妨害させてはいけない。
2013年7月21日日曜日
今回の参議院選挙は、個人的には野党選択選挙だったのだが……
公示日から投票日の間に何らかの動きがあって、「自民党大勝という雰囲気から潮目が変わり、混戦模様にならないだろうか」と密かに期待していたのだが、残念ながら何事も起こらず投票日を迎えてしまった。
ということは、大方の予想通り自民党圧勝という結果になるだろう。
したがって夜の選挙特番を見る際の注目点は、以下のようなことになる。
・自公でどれだけ勝つか。
・野党の勢力図はどうなるか。
・消滅の危機に瀕している政党はどうなるか。
・民主党は消滅危惧政党の仲間入りをするのか。
私はもともと何か大きな問題が起こらないかぎり、今回の選挙で自民の勝利は揺るがないとあきらめていた。自民党を支援しているわけではないが、昨年末の衆議院選挙以降の半年、安倍政権は大きなミスをすることなく政権を担ってきたことは事実だからだ。
だが、自民党一党支配になってうまくいくとは到底思えない。どうしても政権を厳しく監視し、ブレーキ役になる野党勢力が必要になる。
果して、今回の選挙でそのような野党勢力ができるのかどうか。やはりその点に一番注目したい。
2013年1月10日木曜日
20130109_今年は馬鹿・愚鈍・無能・野暮で行く
いろいろ考えた結果、今年は「馬鹿・愚鈍・無能・野暮」で行くことにした。
ようするに、素のまま、ということだ。
何ごとにおいても飾らず、ごまかさず、まっすぐ突き進むと私の場合「ばかで、ぐどんで、むのうで、やぼ」な奴になる。
何でこんな阿呆な年間目標を立てたかというと……。私はかれこれ30年以上仕事を続けてきた。その結果どうも、有益なスキルだけでなく、副産物として妙なテクニックを身につけ過ぎたような気がするのだ。
知りもしないことを知っているようなふりをしたり、できもしないのにできるように見せかけたり、必要以上に安くしたり高くしたり……。
はっきり言って世の中上を見れば切りがないし、下を見ても切りがない。この無能な私でも騙せる相手はたくさんいる。しかし、騙せない相手はそれ以上にたくさんいる。
で、どちらかと言うと(しかも多くの場合)騙せない相手の方が自分にとっては大切な人たちなのだ。
どうせ騙せないのなら、妙なテクニックは無用だろう。
さて、どういうことになるか……、けっこう楽しみである。
ようするに、素のまま、ということだ。
何ごとにおいても飾らず、ごまかさず、まっすぐ突き進むと私の場合「ばかで、ぐどんで、むのうで、やぼ」な奴になる。
何でこんな阿呆な年間目標を立てたかというと……。私はかれこれ30年以上仕事を続けてきた。その結果どうも、有益なスキルだけでなく、副産物として妙なテクニックを身につけ過ぎたような気がするのだ。
知りもしないことを知っているようなふりをしたり、できもしないのにできるように見せかけたり、必要以上に安くしたり高くしたり……。
はっきり言って世の中上を見れば切りがないし、下を見ても切りがない。この無能な私でも騙せる相手はたくさんいる。しかし、騙せない相手はそれ以上にたくさんいる。
で、どちらかと言うと(しかも多くの場合)騙せない相手の方が自分にとっては大切な人たちなのだ。
どうせ騙せないのなら、妙なテクニックは無用だろう。
さて、どういうことになるか……、けっこう楽しみである。
2012年12月27日木曜日
20121227_原発に関する自民党の動き
選挙前から自民党は、原発をある程度は維持し利用していくという考えを表明していたから、茂木経産相の以下のリンクにおける発言は、当然予想できたことである。
茂木経産相:「原発新増設せず」白紙 安全確認し再稼働
だが、私のように可能な限り早く原発ゼロを実現させたい「脱原発派」としては、このまま黙って自民党の政策を追認していくわけにはいかない。……とは言え、ただ「反対、はんた〜い」と言い続けても、世論は思う方向に動いてはくれない。
問題なのは、「原発推進派」と「脱原発派」のどちらが正しいか、ではない。個々人が何を重視するかによって、導き出す答えが異なるのは当たり前である。問題を単純化して言うなら、安全を重視すれば「脱原発」が正しいし、短期的な経済の安定や原発周辺の社会システム維持を重視すれば「原発推進」が正しい答えになる。
また近い将来、安全面、放射性廃棄物処理においても、多くの人が納得できるレベルの原発技術が開発できれば「原発推進」が正しい選択になる。反対により早く自然エネルギーによる発電システムが、発電量やコストで原発を凌駕(りょうが)すれば、「脱原発」が正しい選択になる。両方がほぼ同時期に実現すれば、共存ということになるだろう。
残念ながら現段階では、どちらが正しい選択かはわからない。
しかし、われわれは進むべき道を選ばなければならない。「そんなことは政治家や官僚に任せておけばいいじゃないか」という国民の無責任な行動が、あの福島第一原発事故を引き起こした要因の一つであることを忘れてはいけない。さまざまな情報を自分なりに収集し、考え、自分が正しいと思う答えをしっかりと持たなければいけない。
そしてそれを、できるだけ多くの人に伝えて味方につけなければいけない。それが民主主義のルールだ。
まずは来夏の参議院選挙に向けて、なぜ「脱原発」なのか、自分なりに発信を続けていこうと考えている。
茂木経産相:「原発新増設せず」白紙 安全確認し再稼働
だが、私のように可能な限り早く原発ゼロを実現させたい「脱原発派」としては、このまま黙って自民党の政策を追認していくわけにはいかない。……とは言え、ただ「反対、はんた〜い」と言い続けても、世論は思う方向に動いてはくれない。
問題なのは、「原発推進派」と「脱原発派」のどちらが正しいか、ではない。個々人が何を重視するかによって、導き出す答えが異なるのは当たり前である。問題を単純化して言うなら、安全を重視すれば「脱原発」が正しいし、短期的な経済の安定や原発周辺の社会システム維持を重視すれば「原発推進」が正しい答えになる。
また近い将来、安全面、放射性廃棄物処理においても、多くの人が納得できるレベルの原発技術が開発できれば「原発推進」が正しい選択になる。反対により早く自然エネルギーによる発電システムが、発電量やコストで原発を凌駕(りょうが)すれば、「脱原発」が正しい選択になる。両方がほぼ同時期に実現すれば、共存ということになるだろう。
残念ながら現段階では、どちらが正しい選択かはわからない。
しかし、われわれは進むべき道を選ばなければならない。「そんなことは政治家や官僚に任せておけばいいじゃないか」という国民の無責任な行動が、あの福島第一原発事故を引き起こした要因の一つであることを忘れてはいけない。さまざまな情報を自分なりに収集し、考え、自分が正しいと思う答えをしっかりと持たなければいけない。
そしてそれを、できるだけ多くの人に伝えて味方につけなければいけない。それが民主主義のルールだ。
まずは来夏の参議院選挙に向けて、なぜ「脱原発」なのか、自分なりに発信を続けていこうと考えている。
20121224_白川郷のマイカー乗入れ規制
世界遺産で有名な白川郷がマイカーの乗入れ規制をはじめるらしい。
白川郷:観光客のマイカー乗り入れ規制へ 自治会が決定
車嫌いである私としては、全面的に支持したい。
むろん、車嫌いと言っても現代社会に生きている以上、まったく車を使わないというわけにもいかず、緊急時やどうしても必要なときには私も利用させてもらっている。だいたいバスなどの公共交通機関を含めて月に2回以下、年に20回ほどだろう。まぁ、あちこち出歩く者としては、少ない方だとは思う。
もちろん宅配便や郵便は利用するし、いろいろなところで買い物もするから、物流の面で少なからず車の恩恵にあずかっていることも承知している。
以前、高齢の父が夜中に具合が悪くなったときには、どうしようもなくて救急車のお世話になり、このときばかりは車という便利なものが存在していることに感謝した。
もう少し言えば、自分自身かなりの期間、仕事で車を利用していたし、マイカーを所有していたことさえある。
だが、どうしても車を好きになることはできなかった。
できるだけ車に乗らないようにしようと、意識してやりだしてからもう7年ほど経つが、ほとんど不都合はないので、当分の間、この車嫌いは続けていこうと思っている。
白川郷:観光客のマイカー乗り入れ規制へ 自治会が決定
車嫌いである私としては、全面的に支持したい。
むろん、車嫌いと言っても現代社会に生きている以上、まったく車を使わないというわけにもいかず、緊急時やどうしても必要なときには私も利用させてもらっている。だいたいバスなどの公共交通機関を含めて月に2回以下、年に20回ほどだろう。まぁ、あちこち出歩く者としては、少ない方だとは思う。
もちろん宅配便や郵便は利用するし、いろいろなところで買い物もするから、物流の面で少なからず車の恩恵にあずかっていることも承知している。
以前、高齢の父が夜中に具合が悪くなったときには、どうしようもなくて救急車のお世話になり、このときばかりは車という便利なものが存在していることに感謝した。
もう少し言えば、自分自身かなりの期間、仕事で車を利用していたし、マイカーを所有していたことさえある。
だが、どうしても車を好きになることはできなかった。
できるだけ車に乗らないようにしようと、意識してやりだしてからもう7年ほど経つが、ほとんど不都合はないので、当分の間、この車嫌いは続けていこうと思っている。
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