2012年3月7日水曜日

人間は人の運命を変えてしまうことにさえ鈍感になれる

また殺人と思われていた事件の再審が始まる。

大阪の放火殺人事件 再審開始決定

いままでの例から考えると今回の再審も無罪となる可能性が高いと思われる。
この手のニュースを見聞きするときいつも思うのだが、事件に関わった検事、判事はこの再審開始決定のニュースを知ってどう思うのだろうか。

おそらく当事者は複雑な思いでことの経緯を見守っているだろう。

ところが直接の関係者ではない者は違う。

決定について大阪地方検察庁の大島忠郁次席検事は、「意外な判断で驚いている。決定の内容を精査し、高等検察庁などとも協議のうえ、適切に対応したい」とコメントしているという。

再審開始が決定したということは、自分たちの組織が過ちを犯した可能性があるわけだ。
ならばもう少し配慮したコメントはできないのだろうか。

もしかしたら無実の人の運命を変えてしまったのかもしれないのだから。

2012年3月6日火曜日

このような姿勢は評価に値すると思う

菅前首相が時事通信社のインタビューに率直に答えている。このインタビューで彼が語ったことを私は高く評価したい。



このインタビューで菅前首相は、自らの原発事故対応が「大失敗」であったことを認めている。そして「大失敗」の原因は原発事故に対する備えがなかったためとしている。私もおおむねその通りだと思う。

菅前首相が比較的早い時期に、真情を吐露したことも評価したい。みんなの記憶が薄れた頃にこっそり打ち明けるのではあまり意味がないからだ。
自らの過ちを決して認めようとせず、改めようとしない多くの政治家は見習ってもらいたいものである。

そして菅前首相には事故再発防止のためにもう一段踏み込んだ総括を期待したい。


胸に突き刺さるニュース

もちろんまるっきり考えなかったわけではない。
岩手や宮城と異なり福島は放射線のために行方不明者の捜索ができない。そのような報道があったので助けを待ちながらお亡くなりになった方がおられるだろうことは容易に想像ができた。
だからそのような考えがちらっと頭をよぎることはあったが、こころが拒否反応を起こしていたのだろう。深く思いを寄せることはしてこなかった。

しかし、改めて現実を突きつけられると胸に何かが突き刺さったような気持ちになる。



身動きができず、食べるものも飲み物も手に入れられず、おそらく何が起こっているかもわからないまま、孤独の中で死んでゆく。

なんということだろうか。原発でつくられた電気を使ってきた者として、積極的に原発に反対してこなかった者として責任を感じずにはいられない。

放射性物質を制御することができないなら、一刻も早く原発はなくすべきだろう。

2012年3月5日月曜日

信頼を失うということがどういうことなのか彼らはわかっているのだろうか?

にわかに信じ難いことだが、大臣クラスの方々は「信頼を失う」ということがどういうことなのかあまりよくわかっていないらしい。

言葉では「国民の信頼を取り戻さなければいけない」というようなことを何人かの閣僚が発言しているから「信頼を失っている」という自覚自体は持っているようだ。

まぁ、下記リンクのようなことを繰り返していれば、だれも信用しなくなるのは当然である。



問題なのは彼らが「信頼を失う」ということがどういうことなのかよくわかっていないということだ。だから彼らは平気な顔でこんなことを考える。


どうやらがれきを受け入れた自治体にはお金をくれるらしい。

「お金あげるからグズグズ言ってないで手伝ってよ」ということか。そんなことでこの問題が解決すると思ったら大間違いである。
がれきの広域処理に反対している人たちは、政府が「信用できず安心して任せられない」から反対しているのだ。
政府がいくら「安全です」と言っても、「国が決めた基準値以下です」と言っても、政府を信頼していないのだから何の効果もない。それが「信頼を失う」ということなのだ。

では国民の信頼を取り戻し、がれきの広域処理を軌道に乗せるにはどうすればいいか。

この問題を解決するには、やり過ぎと思われるくらいに徹底した情報開示を行い、それを住民とともにチェックする体制を整えるのが一つの方法である。

受け入れるがれきから検出される放射性物質、消却灰から検出される放射性物質、その基準値を国が押しつけるのではなく各地域の住民とともに決める。希望する住民にはがれきや消却灰の放射性物質の計測を許可したり、埋め立て現場の見学を許可する。

もし、何らかの問題を住民から指摘されたら即座に中止できるようにしておく。

ほとんどの人は自分の目で見て、確かめれることができるなら納得し安心するはずだ。

意味もなく「反対」とだけ言い続けている者は無視すればいい。

がれきの広域処理に反対している人の中にも、東北の復興を願っている人は大勢いる。政府は一刻も早く自らの失態を認め、住民の立場に立った施策を打ち出すべきである。


2012年3月4日日曜日

いじめと虐待問題について

いじめや児童虐待が増えているらしい。



私はこの「いじめ」「児童虐待」という用語の使い方が適正ではなく、おかげで世の中に大きな誤解が生じたと感じている。

学校で撲滅すべき生徒間の問題は「いじめ」ではなく犯罪である。

暴力をふるってケガをさせればそれは傷害である。靴を隠したり学習用具を奪えばそれは窃盗である。「いじめ」というくくりに入れられているが、実際は犯罪行為であることはかなり多いような気がしている。子どもが犯罪行為を犯した場合は、学校、教員、父兄が関与して厳しく処罰するべきだろう。特に人を傷つける行為には容赦はいらない。

反対に多少の口論、ちょっとした小突き合い、仲間はずれなどに過敏に反応する必要はない。そのようなことは誰もが経験することだ。人間は集団で社会を構築する動物だから、小さな争いはいつでもどこでも必ず発生する。子どものときに経験するいさかいは訓練に過ぎない。昔から子どものケンカに親は口を出すなと言われてきた。できるだけ自分たちで問題を解決させた方が将来のためなのだ。問題が大きくなり過ぎた時だけ大人は関与すればいい。

ところがいまは、なんでもかんでも「いじめ」と受け止め大人が関与してやめさせようとする。そのような過干渉が子どもの社会への適応力を奪うのだ。

一方、家庭で撲滅すべき問題も「児童虐待」ではなく犯罪だ。
子どもは親の所有物ではない。子どもへの行き過ぎた暴力や養育の放棄は犯罪以外の何ものでもない。これも遠慮なく処罰すべきだ。また子どもが限度を超える暴力を受けている証拠を見つけた場合などは、当局に通報する義務と注意する権利をすべての人が持つと認識すべきだろう。児童相談所などが親権を気にするあまり、なかなか強制的に踏み込もうとしないのは間違いである。基本的には火のないところに煙は立たない。

だが、子どもには厳しいしつけも必要である。子どもの頃、夕食を食べさせてもらえなかったり、ひっぱたかれたり、家に入れてもらえなかったりという罰を与えられた経験は多くの人が記憶にあるだろう。子どもには尻を叩かれたり、家の外に立たされた程度の経験はさせておくべきである。体罰を全面否定する教育の専門家もいるようだが、節度ある体罰は子どものしつけには有効である。

愛情あるしつけと犯罪である暴力を、近隣の住民、児童相談所、警察、裁判所のすべてが見間違うことなどあり得ないのだから、親の子どもに対する犯罪的行為を目撃したら遠慮なく関係機関に通報しよう。

2012年3月2日金曜日

わかっちゃいるけどひっかかるものなんだなぁ

AIJ投資顧問の問題が大騒ぎに発展している。




この手の事件が起こるたびに、どうしてこんな荒唐無稽な儲け話に簡単にひっかかるんだろう……そう思わずにいられない。

だが、いろいろな情報が入ってくるにつれ、なるほどと思う部分が出てくる。

まずターゲットの選定である。



年金基金を扱う事務所の様子が目に浮かぶようである。想像に過ぎないがおそらくとてものんびりした職場なのであろう。

その上こんな援護射撃も受けている。


見事な戦略である。きっと、AIJの社長は話がうまく押しも強いのであろう。

私が担当者で基金の運用がなかなか思うようにいっていなかったとしたら、わらにもすがる思いで飛びついてしまうかもしれない。

騙された人を馬鹿にせず、他山の石としてきちんと学んでおきたい。

2012年3月1日木曜日

ファインプレーは目立たない

昨日のブログで菅前首相の原発事故対応について批判したが、実はまるっきりダメダメだったと思っているわけではない。


福島原発事故独立検証委員会の北澤宏一委員長が記者会見で述べたように、東電の撤退を許さなかった点は評価されるべきだと思っている。



東電は撤退すると言っても必要な人員は残すつもりだったと言い訳しているらしいが、それを信用するものはあまりいないだろう。

さて、それではあのとき菅前首相が東電本店に乗り込み、断固たる姿勢で撤退を阻止していなかったらどうなっていただろうか。あまり想像したくないし、専門知識も持ち合わせていないので詳しく言及しないが、相当悲惨なことになっていたことは確かだ。

しかも、そんな事態になったとしたら、東電や原子力安全・保安院や原子力安全委員会はきっと、

「あそこに作業員を残してももう打つ手はなかった。退避は人命尊重のためにやむを得なかった」

とかなんとか言って一致団結して居直るか、お互いに責任をなすりつけあったに違いない。

現場作業員が踏みとどまり、事故収束とまではいかなくても(野田首相と私の認識は違う)、かろうじて原子炉をコントロールするところまで持っていった現在の姿は存在しなかったわけだ。

だから私はこの「撤退阻止」だけは菅前首相の英断だったと思っている。もしそのために、現場作業員に何かがあったら厳しい批難・批判を一身に負うくらいの覚悟はしていただろう。

その後のドタバタや情報の隠蔽、スタンドプレーの数々、首相辞任後にいきなり呑気にお遍路に出かけてしまったことなど、いただけない部分はてんこ盛りだが「撤退阻止」だけはファインプレーと評価したい。

だけど自分で言っちゃダメだよね。

もともとファインプレーというのは目立たないものなのだ。優秀なプレーヤーはファインプレーを連発しているのだが、いとも簡単にやってしまうので見ている人はよくわからなかったりする。ときどきわかりやすいファインプレーをしたときだけ観客は気づく。そういうものなのだ。