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2012年12月15日土曜日

20121215_第46回総選挙前日所感

選挙のたびに思うのだが、その時どきの争点に関し、自分の考えとぴったり同じという政党や候補者はなかなか現れない。

もし、「どの争点も妥協できない、自分の意見をなんとか押し通したい」と考えているなら「お前が立候補しろよ」ということになるだろう。そこまでやる覚悟がないのなら、ある程度の線で妥協するしかない。

さすがに政治家になるつもりはさらさらないので、今回も、争点に優先順位をつけて各政党を採点したり、実際に当選した場合の実行力はどうか、などという点を判断材料にして、最も私の考えに近い政党、候補者を選ぶことにした。

優先順位の高い争点は、「経済政策」「原発・エネルギー問題」「行政改革」の3つである。

判断材料とする情報は、政党自らが出している公約・マニフェスト、マスメディア、インターネットなどから主に得たものだ。

民主党のマニフェストにも一応目は通したが、マニフェストとは正反対のことを行なったり、発言した言葉とは異なる行動を平気でとったり、野田党首が虚言癖があるように思えるなど信用できない部分をたっぷり見てきたので鵜呑みにすることは避けた。

他党の公約等についても、選挙対策として言ってるだけと思えるものは無視したり、自分なりの解釈に置き換えた。

そんな具合でじっくり検討した結果、公約としては「みんなの党」のものが最も共感できると感じた。

しかし、残念なことにみんなの党は、今回の選挙でも政治を動かせる勢力にはなれそうもない。党首の渡辺喜美が世論を動かすほどのカリスマ性を持ち合わせていないのだ。考え方がしっかりしているからある程度議席は増やすだろうが、今回もそこまでだ。よってみんなの党には来年の参議院選挙か、その次の総選挙の時に期待したいと思う。

共産党や社民党、新党日本、新党改革などはほんの数議席を維持できるかどうかというレベルなので、これも除外した。共産党や社民党などは、ここのところずっと国民に相手にされていない状態が続いている。選挙時にどんなに威勢のいいことを言っても、結局は何も実現できないのだからまるで存在価値がない。そろそろそのことに気づいてもらいたいものである。

マスメディア各社が行なっている事前調査では今回、自民党が圧勝しそうな勢いだという。

しかし、原発推進、公共投資ジャブジャブ、無制限金融緩和という自民党には到底政権はまかせられない。たぶん自民党と連立を組むであろう公明党は、安倍自民がまかり間違って暴走をはじめた際のブレーキ役が期待されるが、自民圧勝の際はあまり機能しないだろう。

日本未来の党はどう見てもその内実は、小沢新党である。脱原発に向けては頑張るだろうが、財源その他、政策の実行性には大きな疑問符をつけざるを得ない。

そんな風に考えていくと、結局残るのは日本維新の会である。暴走老人の石原慎太郎が代表である点は心配だが、公約(維新八策と骨太2013-2016)はみんなの党の次に説得力のある内容だった。

いまのところ当選者数も自民、民主の次を期待できそうである。

選挙後に自民党と協力して憲法改正や軍備増強に突っ走る一味になる危険性ははらんでいるが、原発や経済政策その他でいいブレーキ役を果す可能性もある。まぁそれは党内で石原と橋下のどちらがイニシアチブを握るかで決まることだろう。

ということで今回は、若い橋下に賭けてみようと思う。

ダメなら来年の参院選で民意をくだせばいい。

まぁ、実際は今回の選挙の結果、どのような勢力図になるか、そしてその結果を受けて政治がどのように動いていくかはまだわからない。有権者ができることは自分の思いを込めた1票を投じることだ。

投開票日前日の所感である。

2012年12月14日金曜日

20121214_極私的第46回総選挙資料

第46回総選挙の投票日が明後日にせまっている。

今回の選挙の争点など、記録に残しておきたかったので公約をまとめた私的な資料を作ってみた。タイトルにあるように極私的な資料なので、たまたま見てしまっても内容を信用しないようにしていただきたい。まぁ、個人ブログの内容を信じる人もいないだろうが、一応断っておく。

私自身の政治的な立ち位置は、いわゆる無党派層である。と言っても、友だちに頼まれたからとか、有名人だからとか、優しそうな顔をしているからという理由で一票を投じる人を選んだりはしない。その時どきの争点、公約を吟味して、よかれと思う候補者を選んでいる。だから過去自民党にも(ちょっと古いが)社会党にも一票を入れたことがある。

ちなみに郵政選挙のときは、郵便局のあきれた実態に憤っていたので自民党に入れた。政権交代選挙のときは、民主党は信用ならないと思っていたのでみんなの党に入れた。今回は……、まだ悩んでいる。

そういうわけで、以下のリンク先にあるような公約比較資料を作ってみた。何度も言うが、極私的な資料なので各政党自身が公開している公約とは微妙に異なる内容となっている。

特に民主党に関しては、政権運営の中で発言と行動が乖離(かいり)することが目立っていたこと、前回の公約をきちんと守る努力を怠った(特に消費税問題において守ろうと努力したが守れなかったというのではなく、守ろうという努力もしなかったというのが問題)ことなどから厳しい味方をしている。

争点としては、勝手に以下の10項目を上げた。
 1.経済政策
 2.原発・エネルギー問題
 3.社会保障問題
 4.TPP
 5.外交・安保・基地問題
 6.東日本大震災復興関連
 7.行政改革
 8.政治改革
 9.消費税増税
10.情報公開

1〜9までは、各政党のマニフェストなどでもほぼ取り上げられているので違和感はないと思うが、最後の「10.情報公開」というのに首をかしげる方もいるかもしれない。

だが、福島第一原発事故の発生から現在までの経緯を見ていて、つくづく感じたことがある。この国の統治システムがうまく機能しないのは意味のない秘匿主義がはびこっているからなのだ。原発事故による放射性物質の放出にしても、政府はパニックを恐れたのだろうが事実は隠された。たとえパニックの怖れがあったとしても、私は事実を速やかに公表すべきだったと考えている。事実を公表して避難誘導のために自衛隊や機動隊を頼っても、結果的には数名〜数十名がパニックが原因で亡くなったかもしれない。そうなったときは、政府はその責めを受ければいい。一国の政権を担うというのはそういうリスクも含めてのことなのだ。パニックを防ぐ、出来得るかぎりの手を打ってなお、防ぎきれずに犠牲者が出たとしたら、非難はするがここまでの憤りは感じないだろう(むろん自分の家族が犠牲になったら別だが)。だが、事実を伏せて政府が勝手な判断を下すことを私はどうしても許す気持ちになれない。一斉に非難しようとする群衆を恐れ、放射能を浴びながらしばらく留まるか、運を天に任せて群衆とともに非難するかは、自分で決めたいのだ。

そこまで大きな問題でなくても、我が国には政府や行政によって秘匿されている情報が山ほどある。それを情報公開すれば多くの問題が浮き彫りになり、解決のための手段を講じることができるようになるだろう。

個人的にそんな思いが強かったので争点の10番目として「情報公開」を入れたわけだ。

それともう一つ、今回総選挙に出ている政党は12党あるらしいが、取り上げるのはこれからの日本の政治に多少なりとも影響力を持つと思われる7党に絞った。

この表をじっくり眺め、政党に点数をつけたりしながら、明後日まで悩んで、これからの4年間を託す投票先を決定したいと思う。

第46回総選挙 公約比較表

2012年12月7日金曜日

20121207_野田内閣の実績(3)

野田内閣の政治手法を見ていくと、ある特徴的な手法が見えてくる。

「大飯原発再稼働」「オスプレイ」「放射性廃棄物中間貯蔵施設」「TPP」など、国民の理解を得にくい問題については、まず、できるだけ情報を出さないようにして問題を放置しておく。

むろん、形式だけのいい加減な会合くらいは定期的に開くが、政府の方針を国民に理解してもらおうという努力は一切しない。そんなことはどうでもいいことだからだ。いや、むしろ国民にきちんと理解してもらっては困るからと言った方が適切だろう。

その後、国民の反感が多少収まった頃合いを見計らって、「丁寧な議論を積み重ねた結果である」などと言いながら物事を強引に決定してしまう。実に不誠実極まりない手法である。

さらに必要であれば「責任を持って」などと取れもしない責任を平気で口走ったりもする。

あとはどんなに国民が反発しても、「丁寧な議論の結果である」「政府の責任で」などと言って逃げ切ってしまう。ここまで露骨にやると、まさに政治手法としては最低最悪の部類に入る禁じ手であると言わざるを得ない。

税と社会保障の一体改革関連法案にしても、国民不在の強引な手法で決められてしまった。もともと消費税の増税は既定の路線だった。多くの国民が近い将来、消費税率がアップすることはやむを得ないと考えていたことは各種世論調査で判明している(一応根拠として一つだけ報道ステーションの調査を上げておく)。

それを増税前の(無駄の削減などの)手順を省き、「待ったなし、待ったなし〔お前は相撲の行司かと何度も突っ込みたくなったが……(笑)〕」と、なんとかの一つ覚えのように唱え続けて強引に推し進めようとしたから多くの国民の反発を買ったわけだ。

その一方でIMFなどに大盤振る舞いをしているのだからあきれてモノも言えない。

政権末期には東日本大震災からの復興予算が、全く復興とは関係ない事業に使われていたという不祥事まで発覚した。

こうして考えてみると野田内閣は、重要政策においては何一つ成果を上げられず、国民の政治不信を最高レベルまで高めた、史上最悪レベルの内閣だったと評価するしかないだろう。

2012年12月6日木曜日

20121205_野田内閣の実績(2)

2011年12月16日、野田首相は「原子炉は冷温停止状態に達した。事故そのものは収束に至った」と宣言する。

東日本大震災:福島第1原発事故 「冷温停止状態」 首相「事故は収束」
東京新聞:作業員「政府ウソばかり」

上記の記事を見るとわかるが、何の根拠もなく、また福島には(いや、福島に限らず日本中で、だな)この福島第一原発事故のために苦しんでいる人が残されていることに何の配慮もせず、野田首相は「事故そのものは収束に至った」と宣言した。

当然のことだが、この発言は各方面から激しく批判されたが、そのような批判などどこ吹く風といった風情でついに撤回しないまま現在にいたっている。

その収束宣言からおよそ1年たった現在でも福島の現場は、事故の収束にはほど遠い状態にあると考えている人が大勢いる。そのことからも、あの野田首相の「冷温停止、事故収束」発言は、一国の首相としては看過しがたいほど軽率なものだったということがわかる。

ついでに原発関連の野田内閣の実績についていくつか触れておく。

原発関連で最も大きな野田内閣の決断と言えば「大飯原発の再稼働」だろう。むろん、異論はあるだろうが、私はそう捉えている。なぜならあの大飯原発の再稼働がなければ、原発稼働ゼロのまま夏を乗り切り、世論の流れは脱原発へと大きく傾いたと予想できるからだ。

今夏を節電努力などで乗り越えてきた我々は、事実として原発が1基も動いていなくても、猛暑の夏をなんとかかんとか乗り切れたことを知っている。

大飯原発を再稼働するときに野田首相はこんなことを言った。

「突発的な停電が起これば、命の危険にさらされる人も出ます。仕事が成り立たなくなってしまう人もいます。働く場がなくなってしまう人もいます。」
むろん、大停電が起きれば多くの人が迷惑をこうむることは確かだ。医療の現場でもいろいろなトラブルが起きるだろう。しかし今年、電力不足ではなく台風や吹雪により日本各地で突発的に大規模な停電が起きたが、野田首相が言うようなことにはならなかった。

また、こんなことも言っている。
「夏場の短期的な電力需給の問題だけではありません。化石燃料への依存を増やして、電力価格が高騰すれば、ぎりぎりの経営を行っている小売店や中小企業、そして、家庭にも影響が及びます。空洞化を加速して雇用の場が失われてしまいます。そのため、夏場限定の再稼働では、国民の生活は守れません。」
これは大飯原発のみを再稼働すればそれで済む問題ではない。エネルギー政策全体の問題であって、たった2基の原発を動かしただけでは全く意味をなさない問題なのだ。野田首相はそれを大飯再稼働の問題に矮小(わいしょう)化し、持論に都合よく使ったというわけだ。

そして結局こう結論を出した。
「以上を申し上げた上で、私の考えを総括的に申し上げたいと思います。国民の生活を守るために、大飯発電所3、4号機を再起動すべきというのが私の判断であります。」

ようするに野田首相は、日本中の原発がすべて停止するという状況を看過できない産業界、官僚、政治家の圧力に屈し、安全をないがしろにしたのだ。

その後のエネルギー政策(2030年代に原発ゼロを目指す)にも、原子力規制委員会の人員の決定にも、国民の意見はほとんど反映されていない。明らかに野田民主党が進めてきたのは原発推進の政策と言える。

つまり、野田内閣の原発関連の実績は原発推進に賛成する人には多いにあったが、脱原発に賛成する人にとっては負の実績しかないということになる。

2012年11月26日月曜日

20121126_野田政権の実績(1)

本人曰く、「決められる政治」を展開した野田政権は、実際にどの程度の実績を残したのか見ていこう。

もちろん、鳩山政権、菅政権同様、誰がやっても結果は同じというような細かい実績は無視して、重要な法案、政治事案、あるいは野田政権の特徴をよく現している出来事に勝手に限定させてもらう。

10月3日野田首相は、建設すべきではないという世論が高まっていた埼玉県朝霞市に建設中の国家公務員朝霞宿舎を視察、安住財務大臣に5年間の建設凍結を指示している。まぁ、これは多くの国民が、震災復興に力を入れて欲しいと考えている最中のことなので、野田政権の実績ととらえる向きもあるかもしれない。

だが、以下のリンクの記事を読むと、2009年11月の事業仕分けで「必要性に疑問が残る」として、いったん計画が凍結されたものを、当時(2010年12月)の財務大臣野田佳彦がどういうわけか凍結解除を認めたものらしい。

朝霞公務員宿舎 建設凍結で調整へ
朝霞宿舎「凍結」でも…すでに森はバッサリ、フェンスで目隠し

そういえばニュースで野田総理が朝霞市の工事現場を視察する映像を見た記憶があるのだが、「建設現場見に行ったって意味ないだろ、そんな暇があるならもっと復興に力を入れてくれ、もし見に行くんだったらもっと被災地に行ってくれ、福島第一原発に行ってくれ」と思ったことを覚えている。

まぁその後、国家公務員朝霞宿舎の建設は最終的には中止(2011年12月)になったので、鬱蒼(うっそう)と生い茂っていた森がすっかり伐採されてしまったことは残念だが、その結果自体についてはよかったと思っている。

2012年11月20日火曜日

20121120_野田政権の概略

野田内閣は2011年9月2日から2012年11月20日現在継続中の内閣である(すでに11月16日に衆議院を解散しているので、総選挙後継続するかどうかは不明である)。

政権獲得後の民主党3人目の代表となった野田佳彦だが、党首選下馬評はそれほど高くはなかった。が、街頭演説で鍛えてきた弁論のうまさが功を奏したのか、あれよあれよという間に代表の座を射止め、第95代内閣総理大臣に就任してしまう。

東日本大震災からの復興、福島第一原発事故への対応、エネルギー政策問題、経済の立て直し……等々、菅内閣がやり残した問題が山積している状態での引き継ぎだっただけに、一抹の不安は感じないでもなかったが、その実直そうな風貌、就任演説などから地味にコツコツと問題を片付けてくれるものと就任当初の期待は高かった。

しかし、震災復興、事故対策など、ほとんどの重要案件に国民から評価される結果を出すことができず、代わりに「社会保障と税の一体改革」を本人曰く「待ったなしの課題(←なんの根拠もなく、野田が言い続けていただけ)」と位置づけるなど、独断専行が目立つようになってくる。

当然のことながら国民の支持率は極端に低下、党内外からの批判も高まったが、頑なに解散も総辞職も拒否し続ける。しかし、2012年11月16日、ついに衆議院解散に追い込まれる。

結局、民主党政権は3人の総理大臣を送り出したが、いまのところ全員1年前後しかもたない短命政権だったという不名誉な結果に終わる可能性が高い。

2012年11月18日日曜日

20121118_菅政権の実績(3)

前回では菅政権の実績を2点ほど上げたが、今回は失政について触れておく。

前にも書いたが、菅直人は民主党内のゴタゴタを収めることができず、2011年3月11日まで目立った成果を何も上げられていなかったことも、大きな失政の一つだろう。

続く3月11日以降の菅政権の災害、事故対応はどうだっただろうか? 正直言ってお粗末なものだったと思う。だが、東日本大震災とそれに続く大津波、そして原発事故という一連の事態は、まさに非常事態であり誰にも予測できなかったことだ。

あまりにも備えが足りなかったために、なす術がなかったというのが本当のところだろう。たぶん首相が菅直人ではなく、ほかの誰かであったとしても数多くの失策を犯したであろうことは間違いない。

だからここでも細かいことには言及しない。ただ、重要と思われる以下の1点のみ上げておく。

まず、情報の秘匿について。もともと日本の官僚がこれほどまでにのさばっていられるのは、不都合な情報を簡単に隠すことができるからにほかならない。菅直人はその悪しき習慣を打ち破る千載一遇のチャンスを逸してしまった。

なぜ、非常時に放射性物質の拡散情報は明らかにされなかったのか。

おそらく、霞ヶ関のお役人たちに菅直人や閣僚はこんなことを言われたのだろう。

(この部分は想像に過ぎないが)「事実を発表すると、住民がパニックを起こして一斉に避難を始めるのでかえって危険です。死者やけが人が多数出る可能性もあります。そんなことになったら不用意に危険を煽ったとして、菅政権が厳しく責任を追求されることは間違いありません。今のところ放射性物質の拡散は、すぐに影響があらわれるレベルではないのでこれは伏せておきましょう」

という具合だ。

確かに非常事態宣言を出し、自衛隊などを出動させたとしても100万人単位の住民を安全に非難させるのは至難の技だ。多数の死者やけが人はでないかもしれないが、何人かの死亡者は出るだろう。だが、そのリスクを負うのが指導者の役目だ。

情報を秘匿は諸悪の根源だ。

菅直人政権は結局、東日本大震災と福島第一原発事故対応以外のことはほぼ何もできず、2011年8月30日に総辞職する。

2012年11月17日土曜日

20121117_菅政権の実績(2)

2011年3月11日以降の菅政権の実績は、すべて福島第一原発事故関連のものである。

むろんここでも特筆すべき点のみを取り上げる。

評価すべき点は、以下の2点である。

まず、東京電力の全面撤退を阻止したことが上げられる。まぁこれは、菅政権の実績というよりも、菅直人元首相個人のファインプレーだろう。
この件に関しては、東京電力は一部撤退と言っただけで全面撤退とは言っていないとする説もある。東京電力の言い分が正しいのか、菅直人の言い分が正しいのかは、以下のリンク先の新聞記事を読んでご判断願いたい。

最悪時は残留10人と「認識」 国会事故調で東電前社長

二つ目は、「電気事業者による再生可能エネルギー電気の調達に関する特別措置法」を成立させたことだろう。

もし、菅直人がこの法律を成立させていなければ、原発に変るエネルギー確保への取り組みは、今よりもはるかに立ち後れていたはずだ。この法律があったおかげで政治がもたもたしているにもかかわらず、再生可能エネルギー導入の動きはなんとか継続している。

2012年11月16日金曜日

20121115_菅政権の実績(1)

菅政権は「最小不幸社会の実現」を目指して誕生した。

しかし残念なことに(民主党代表選を経て誕生したにもかかわらず、それも短期間に2度も勝利したのに)民主党党内のゴタゴタを治めることができず、その対応に追われているうちに2011年3月11日を迎えてしまう。

東日本大震災前の実績を強いて上げれば、2011年9月7日に発生した「尖閣諸島中国漁船衝突事件」がある。

日本の巡視船に、中国籍の不審船が体当たりをしてきた事件である。日本側は中国人船長を逮捕したが、9月24日に突如釈放してしまう。表向きは那覇地方検察庁が独自に判断して釈放したことになっているが、そんなバカな話があるわけがない。当然、政権上層部の判断があったと見るべきである。

この措置は、国の内外に民主党政権が外交的には弱腰であるということを印象づけてしまう。

2012年11月15日木曜日

20121112_菅政権の概略

菅直人の内閣総理大臣在任期間は、2010年6月8日から2011年9月2日までである。

前任の鳩山由紀夫内閣と異なり、菅直人内閣は党の実力者小沢一郎との確執があり、最初から波乱含みの誕生だったと言える。が、ともかく小沢グループが推す樽床伸二との代表選に勝利し、菅直人は総理大臣に就任した。

しかし、就任直後の7月11日に投開票された第22回参議院議員通常選挙でいきなり大敗北(選挙前の54議席を44議席に減らし、参議院で与党は過半数割れとなる)を喫してしまう。おかげで菅内閣は、党の内外からその責任を問われ批判にさらされることとなる。

小沢グループなどは、まるで他党であるかのような風情で菅直人を批判していたが、よく考えるとおかしな話である。

くだんの参院選は政権誕生後、わずか1カ月余りで行なわれた選挙である。総理大臣であり民主党代表でもある菅直人は、その1カ月の間に大きな成果は上げていないが、むろん大きな失敗もおかしていないという状態だ。野党ならともかく同じ党の議員が、そのようなタイミングで行なわれた選挙の責任を、自党の代表である菅直人に押しつけようとするのはどう考えても無理がある。まぁ、形式上は党の代表が責任を問われることはしかたないことだが、それは他党が言うべきことで身内が言うことではない。

参院選敗北は、私の見立てではむしろ、失策を繰り返した前内閣の鳩山由紀夫と金権イメージを身にまとう鳩山(ここでも登場)、小沢らの責任の方が大きい。

続けて菅直人は、党の規定により9月にも民主党代表選を戦うことになる。この代表選には満を持して小沢一郎が出馬する。てっきり「小沢一郎は、背後で物事を操ろうとするタイプであり、総理大臣になって表舞台で活躍しようとはしないだろう」と私は考えていたのでこれは意外だった。

党内の最大派閥を率いる小沢グループと現職菅直人の争いは、接戦になると見られていたが、あにはからんや結果は菅直人の圧勝で終わる。

実は、この代表選で民主党の内部抗争は収まり、菅政権が実力を発揮するのではないかとほんの少しだけ期待した。

だが、秋から冬にかけての菅政権はほとんど何もできずに終わり、あの……3月11日を迎えてしまう。

2012年11月6日火曜日

20121106_鳩山内閣の実績(3)

鳩山由起夫内閣の実績として行政改革の一環である事業仕分け、普天間基地移設問題について見てきた。

だが、10カ月ほど続いた鳩山内閣の仕事として取り上げるべきものは、それ以外にはあまりない。もちろん彼とて遊んでいたわけではないから、細かな政府提出法案は国会でいくつも可決成立している。

しかし、それに言及してもあまり意味はないと思う。たいして大きなニュースにもならず国会で粛々と可決成立するような法案は、誰が総理大臣でも結果は同じところに落ち着く、そういうものだからだ。そのような基準で見ていくと「鳩山だから……」というような実績は、ほかにはほとんど見当たらないのだ。

結局、鳩山内閣は、組閣当初は政権交代の高揚感もあり大きな期待を集めたが、その実行力のなさ、見込み違いによる前言撤回、そんなことばかりが目立ち、急速に国民の支持を失っていく。

最終的には普天間基地移設問題が収拾不可能な状態に陥り、2010年6月8日、首相と民主党代表を辞任するに至る。

私はどちらかというと民主党嫌いであり、鳩山由紀夫も嫌いである。そのため知らず知らずのうちに公正を欠く見方をしているのではないかと思い、再度、ウィキペディアなどで鳩山内閣の実績をおさらいしてみたが、残念なことにやはりつけ加えるべきことは見つからなかった。

初の民主党内閣である鳩山内閣は、何ら実力を発揮することなく不発で終わったということである。

2012年11月2日金曜日

21021102_鳩山政権の実績(2)

民主党政権、特に鳩山由紀夫政権の実績を語る上で、普天間基地移設問題に触れないわけにはいかない。

私の考えでは2009年8月の総選挙で民主党が大勝したのは、別に民主党が評価されたわけではなく、自民党に嫌気がさして、試しに民主党に1回やらせてみようと考えた有権者が多かっただけである。

むろん私も自民党の一党支配ではダメだと考えていたが、いまひとつ民主党に肩入れする気にならなかったのは、実にいい加減なことばかりを言う鳩山、菅、小沢などの民主党の幹部たちを信じられなかったためだ。

その最たるものが普天間基地移設問題だった。

民主党は普天間基地の海外移設を目指すとし、最低でも(沖縄)県外と言って選挙戦を戦った。

もちろんそれが実現できれば素晴らしいことである。

だが、海外や県外への移設が、かなり困難なことであることは容易に想像できる。まず、海外移転は日本の国益から言ってもできないだろうし、沖縄県外に移設するとしたら、相当丁寧な根回しと準備が必要になるだろう。政治家と官僚によるゴリ押しがまかり通る問題ではない。かりに実現できたとしても一朝一夕に実行できることでもない。

それにもかかわらず鳩山氏は、自信たっぷりに「最低でも県外」と言い続けていた。そして2010年3月にはあの有名な「腹案がある」発言まで飛び出した。

結局、鳩山氏率いる民主党は実現可能な移設案など何も持ち合わせておらず、自民党時代と同じ辺野古案に戻ってしまう。一旦希望を持たせておいて、あっという間にそれをぶち壊されたのだ。沖縄県民が怒り、いま、かたくなに県外移設にこだわるのも当然という気がする。

自民党時代になんとか辺野古で決着しかかっていた移設問題を、どうにもならないほど混乱させてしまったのは鳩山政権と認定していいだろう。

2012年11月1日木曜日

20121101_鳩山政権の実績(1)

正直言って、鳩山由起夫内閣の出だしは非常によかった。鳩山首相の口からは行政改革、減税、子育て支援、普天間基地の移設(海外あるいは沖縄県外)など、威勢のいい言葉が次々と出ていた。

民主党の悲願であった自民党からの政権奪取がかなったのだから、気合いが入るのも当然だろう。民主党政権に対し懐疑的だった私も、「よし、やってやるぞ」という鳩山首相のやる気満々の顔を見て、「おやっ、少しは活躍してくれるのかな」と一瞬思ってしまったくらいである。

実際、平成22年度予算を削減するために行なわれた事業仕分けは、政治パフォーマンスとしてはなかなか面白かった。蓮舫議員や枝野議員が、次々と官僚たちをやり込める姿は庶民の目には気持ちよく映った。しかしその一方で、行政刷新会議(議員)側のやや乱暴な論理展開に違和感を感じないでもなかった。

だが、何よりも問題なのは、あれほど派手なパフォーマンスを展開した割には、実際の予算削減はそれほど大きなものではなかったということだ。

削減額9692億円。当然鳩山氏や民主党寄りの人は、この数字を大成果と評するだろうが、平成22年度の国家予算は92兆2992億円、平成21年度予算を3兆7512億円も上回っている。

むろん、「2兆円の景気対策を行なったのだからしかたがない」というような言い訳はあるだろうが、景気は一向に上向いていないのだから、その景気対策も無駄遣いだったわけだ。

そして後からわかるのだが、事業仕分けで中止になった事業がひそかに復活したりしている。つまり、鳩山由起夫内閣の行政改革は完全なる失敗に終わったということだ。

2012年10月31日水曜日

20121031_鳩山政権の概略

2009年8月30日に執行された第45回衆議院議員総選挙において民主党が圧勝。衆議院議員・民主党代表の鳩山由紀夫が第93代内閣総理大臣に任命され、鳩山政権が発足した。

鳩山政権は、2009年9月16日から2010年6月8日まで続いたが、在任期間は266日間で、戦後8番目の短命内閣である。

非自民勢力による政権の誕生は、1994年の羽田内閣以来15年ぶりだった。

発足直後は日本経済新聞などの世論調査では75%の支持率となり、政権交代、2大政党によるいままでとは異なる政治の実現に、国民の期待が集まっていたことが伺える。

当時の状況を思い起こしてみると、確かに自民党による政治には多くの国民が嫌気をさしていた感がある。私自身も自民党はもうダメだなと考えていたが、とは言え烏合の衆に過ぎない民主党を支持する気にもなれず、総選挙ではみんなの党に投票したことを記憶している。

選挙結果を見て、民主党の勝ちっぷりが予想以上の圧勝だったことに驚きはしたが、どんな政治をやってくれるのかお手並み拝見、と、そんな気持ちだった。

まぁ、世の中というものは、想像だにしていないことが起こるものである。