2012年2月12日日曜日

福島第一原発事故“深刻事態シナリオ”公表せず


(2月12日 19時2分)
NHKニュースによると、原子力委員会の近藤駿介委員長が、去年3月25日に「福島第一原子力発電所の不測事態シナリオの素描」というタイトルの文書を政府に提出していたということである。


原子炉や使用済み核燃料プールに注水できなくなって、格納容器が壊れたり燃料が露出したりすれば、大量の放射性物質が放出されることも想定されるとしている。
その上で、こうした事態が起きた場合、住民を強制的に移転させる範囲が半径170キロ、任意の移転が必要になる範囲が半径250キロと、首都圏を含む範囲での住民避難などが必要になる可能性があり、こうした事態を防ぐため、原子炉を冷やす手段を多様化する必要があるなどと対策を示している。

当時、この事実をしっかりと把握していたのは菅首相と細野総理大臣補佐官(いずれも当時の肩書き)だったらしいが、「過度の心配を及ぼす可能性があると考え」公表を見送ったということである。

2012年2月10日金曜日

臓器移植の意思表示をしよう

たまたま早く帰宅することができたので、自宅で夕食をとりながらテレビを見ているとNHKのクローズアップ現代という番組で臓器移植のドキュメンタリーをやっていた。

「家族が脳死になったとき」

番組は脳死になった患者の家族が医師から臓器提供の話を聞かされるが、本人の意思表示がなかったため残された家族が臓器提供するかしないかで思い悩む、その姿を追ったものだ。

理詰めで考えれば、脳死になってしまい回復の見込みがないのなら、すでに意識もなく痛みも感じないわけだから、使えるものをすべて提供してもなんら差し支えない、ということになるだろう。


だが実際はそう簡単に割り切れるものではない。番組の中でも臓器提供を承諾する家族もいれば、断る家族もいる。そしてどちらの家族も自分たちが下した判断が正しかったか、間違っていたか、ずっと思い悩む。

この問題に正解はないのだと思う。

臓器提供をする場合の脳死判定はかなり厳密に行われると聞いている。そのような状態から蘇生した人がいない以上、脳死が本人にとってはどういう状態なのかは想像するしかない。あとは残された家族がどう判断するかだが、その判断には様々な要因が影響するだろうから部外者が口を挟む余地はない。

番組を見ながらそんなことを考えていてふと思った。いま私が脳死になってしまったら、どんなことになるだろうか。

家族は年老いた両親だけである。もう80過ぎの二人が医師に臓器提供しますか、と聞かれてもオロオロするだけだろう。まぁ、両親より先に私が死ぬことはないと思うが、世の中に絶対はあり得ない。そこで念のため意思表示をしておこうと思い立った。

正直言って少々怖いが臓器はすべて提供しようと考えている。

私が脳死になる可能性はそう高くはないだろうが、こうやって決めておけば年寄りに余計な負担をかけることもない。

自分は臓器提供をしたくないと考えている人も大勢いると思うが、そんな人も意思表示をちゃんとしておいた方がいい。

仮に私が臓器を提供したくなく、そのために意思表示していなかったとしよう。そんな私が事故で脳死になった際、もし担当の医師が脳死移植に積極的な医師だったとしたら……。その医師が年老いた両親を説得するのはわりと簡単だろう。そして私は自らの意志に反して臓器をすべてとられてしまうことになる。

臓器提供を「する」「しない」にかかわらず、意思は明確に示しておこう。

2012年2月8日水曜日

日本人の欠点

チンパンジーは、仲間が困っていると分かると状況を的確に判断して手助けすることができるという。詳しくはこちらの記事を参照

と言っても、自ら進んで助けるというわけではなく、相手に助けを求められると心良く手助けするということらしい。つまり助けを求められなければ相手が困っているということに思いが及ばないか、分かっていてもあえて無視するということだ。

もうひとつ、福島第一原発事故をめぐる日本のドタバタを観察して、こんなことを書いた米国メディアがあったらしい。

「メディアに限らず、日本人は相手が日本人だと批判を遠慮するところがあるように見える。米国人は相手が同じ米国人であろうとなかろうと、悪いと思えば徹底的に追及する」

上記はどちらも最近読んだ記事なのだが、どうにも考えさせられる内容である。

まず、チンパンジーの話。

チンパンジーは、相手に助けを求められると心良く手助けする。しかし、頼まれないと自ら進んで助けようとはしない。

「チンパンジー」のところを「日本人」と置き換えてみる。

日本人は、相手に助けを求められると心良く手助けする。しかし、頼まれないと自ら進んで助けようとはしない。

日本人の特徴をうまくとらえていると思うのは私だけだろうか。

つづいて米国メディアの話。

これはずいぶん以前から気になっていたのだが、日本人はどうも身内に甘く他人に厳しいという傾向があるように思えてならないのだ。

赤の他人がしでかした些細な過ちを口を極めて罵ったかと思うと、身内の不始末には驚くほど寛容な態度を示す。もちろん欧米人にしても多少はそのような傾向はあるに違いない。だが、日本人の場合はかなり極端なのだと思う。

昨年、東日本大震災に見舞われたとき、被災者が落ち着いて助け合う姿は海外からずいぶん賞讃された。おそらくそれは「助けを求められれば心良く助ける」「(被災者同士という)身内には優しい」という日本人のいいところが出た結果なのだ。

しかし、災害発生から1年が経とうとしているいま「自ら進んでは助けようとしない」「赤の他人には冷たい」という日本人の悪い面が出かかっている。

そんな気がしてならない。


2012年2月7日火曜日

統治システム崩壊の予感

しばらく前まではほんの少しずつではあるが、日本の政治は良い方向に向かっている……そう思っていた。

が、それは大きな間違いだったようだ。

2009年9月、あまりの不甲斐なさに国民の怒りが爆発し自公連立政権が崩壊。

変わって政権を担った民主党が日本の統治システムの欠陥を見事に露呈して見せてくれた。こういうのをケガの功名というのだろうか。

民主党政権初代から3代目まで、どれも似たり寄ったりの最悪の政権だが、現首相の野田佳彦が「暴走癖」があるという点で群を抜いている。この人には一刻も早くやめていただかなければまずいかもしれない。

野田佳彦の支離滅裂
 その1
 その2

上記リンクはYou Tubeにアップされている野田佳彦の演説。

発言と行動が一致しない連中に、何ができるというのだろうか。そんな政治家が誰一人生き残れないようにわれわれ国民もしっかりと記憶しておかなければならないと思う。

相変わらずの班目委員長

原子力安全委員会の班目委員長がこんなことを言っている。


「何かあるたびに、国民は想定外のことが原子炉で起きているように感じて、不安に陥っている」元記事はこちら

福島第一原発の2号機に設置してある温度計の一つが高い温度を示していて、その件でコメントを求められたときの発言らしい。

どうもこの方の発言を聞いているといつも、自分は「部外者」みたいなもの言いをすることが気になっていた。

私の目には、東京電力も原子力安全・保安院も原子力安全委員会も経済産業省の幹部も内閣も、みんな同じ穴の狢(むじな)に見えている。

その人たち全員の言葉がまったく信用できないから、人びとが不安に陥るということがどうやら彼にはわからないらしい。

2011年12月25日日曜日

マクドナルドの戦略

久し振りにマクドナルドのハンバーガーを食べた。

たぶん10年振りくらいだろう。


私は基本的にはいつも貧乏暮らしをしているので食事は「安く」「旨く」「多い」ものを食べるようにしている。無論「安く」「旨く」「早い」ことで知られている牛丼屋には以前ずいぶんお世話になったし、天ぷらが旨く、御飯物が充実している激安の立ち食いそば屋にもかなり通った。

そんな私が、手軽なファストフードの代表格と言ってもいいマクドナルドのハンバーガーを「およそ10年振りに食したというのはどういうことだ」と疑問に感じる方もおられるだろう。

確かに私は「安く」「旨く」「多い」ものが一番の好物だが、この条件のうち2つは貧乏であるために付け加えられているに過ぎない。つまり「安い」ことと「多い」ことは絶対的な条件ではない。

私が食事に求めている絶対的な条件は「旨い」ということだけだ。

およそ10年前……。

もともと私はハンバーガーという食物を滅多に食べないのだが、昼食を食べに行く際友人に「いま安いからマクドナルドにしようぜ」と誘われた。普段なら三度の食事はしっかり食べる(ただしおやつは食べない)ことにしているので断っただろうが、たまたまその時は前の晩に飲み過ぎて二日酔いだったのだろう、昼食をハンバーガーで安く済ませるという友人の案にうっかり乗ってしまった。

で、激安メニューのハンバーガーとチーズバーガーを食べた。

「……………………………………………………………………。」

あまりのまずさに絶句した。
正直言って「こりゃ食事とは言えんな。ほとんど餌レベルだな」と感じた。
一緒に食べた友人にそう言うと「そ〜かぁ、俺は結構好きだけどな。安いから一日おきくらいなら昼飯はこれで十分だなぁ」と驚かれた。逆に平然とした顔でそんなことを言う友人に私も驚いた。

前述したが、私はハンバーガーと並び評される激安メニューである「吉野家の牛丼」やその昔某所にあった「立ち食いそば」は好物である。和食だけでなくパン類でも安くて旨いものはたくさん知っている。

だが、あのコストパフォーマンスの塊のようなつくりのハンバーガーは、どうしても肌に合わないと感じた。

そんなことがあってマクドナルドのハンバーガーは食べなくなった。

ここで終わってしまうと「なんだ、それでいいじゃないか。別にマクドナルドはお前ひとりに嫌われても全く困らないんだからもう一生食うな」ということでめでたし、めでたしなのだが、それでは落ちがつかない。

実は先日、行きつけの飲み屋で話しをしていてハンバーガーの話になった。するとどうもマクドナルドのハンバーガーが嫌いなのは、ごく少数派に過ぎないようなのだ。

確かにマクドナルドの業績が好調であるというニュースもときどき見かけるし、近所に一件しかない駅前の店舗は昼や夕方には行列ができていたりする。

で、ふと思ってしまったわけだ。

「もしかすると最近のマクドナルドは旨いのかもしれない」と。

ほぼ10年振りにマクドナルドに行ってハンバーガーを買ってみた。

あの時と同じハンバーガーとチーズバーガー。2つで220円、相変わらず安い。しかし味は。

「…………………………………………………………………………。」

まずい……10年前となんら変わっていない。

ここでひとつ誤解がないようにお断りしておきたい。この文章で私が問題にしているのは最低価格商品の「ハンバーガー」と「チーズバーガー」のみである。実はその他の商品は食べたことがないからケチのつけようがない。私は別にマクドナルドに恨みがあるわけでもなんでもない。わずかなつながりも何もない。

ただ、上記のような経緯からこのように思うのだ。
私が食べてまずい、まずい、と騒いでいるのは、いわゆる釣り商品に過ぎず、多くのマクドナルドファンはそんなものには目もくれず、もう少し高級なものを食べているのだろう。そしてそれらは結構旨いのだと思う。

私のように、釣り商品以外のおいしそうでちょっと値の張るメニューには目を向けず、ひたすら安い商品に食らいつく貧乏人はマクドナルドにとっては儲けにならないありがたくない顧客なのだ。

いまのところ日本マクドナルドのその戦略はうまくいっている。

だが私は、その戦略は間違っていると思う。

2011年12月2日金曜日

賢くない人が作り出したもの

どんなに素晴らしい人物であっても、普通は亡くなってからひと月もすればすっかり忘れ去られてしまう。

しかしスティーブ・ジョブズ氏の場合は、亡くなってから2カ月が経とうとしているのに、いまだに生前のエピソードがしばしば登場する。そしてその度にアップル製品を愛用してきたものに深い喪失感と悲しみを与えている。

本当にもう少し、彼が生み出すものを見ていたかったとつくづく思う。

今日もこんな記事を見つけてしまった。

わずか46秒で世界が変わる!? ジョブズ氏の考える「人生の変え方」

上記の記事の中でスティーブ・ジョブズ氏はこんなことを言っている。

〈あなたの周りの「人生」と呼ぶすべてのものは、あなたより賢くない人が作り出したものであり、あなたはそれを変えることができ、影響を与えることができる。そしてあなたは、他の人も使える自分なりのものを作れるんだ。一旦それを学んだなら、もはや今までの自分とは違った人生を歩めるようになるだろう。〉

もしかするとこれは、少しわかりにくい文章かもしれない。

だが、この間私が書いた文章を読むとジョブズ氏の言っていることの意味が少しわかりやすくなると思う。

人類はまだ猿レベル(その1)
人類はまだ猿レベル(その2)

いずれにせよ、私たちはもっと自分の考えに自信を持つ必要がある。